6. タルク王国
早朝から降り出した雨は雨足を緩めない。
朝の準備が整い集合の号令がかかる。皆が集まり司令官である叔父が戦況を伝えているようだ。
「タルクの城はすでに帝国に攻め落とされてしまった。タルク王と王妃は捉えられ、王太子は行方不明だそうだ。我々はこのまま一路王都へ向かう。タルク軍がどれほど残っているか分からないが合流し、連合国軍が到着するまで必ず持ち堪えなければならない。いいな!」
「はい!」
やがて出立の用意ができると荷馬車が走り出す。ノアは言葉少なく緊張しているようだ。私達は黙って荷馬車に揺られるままに任せる。数刻でタルク国への国境を越える予定だ。
――
突然、荷馬車が止まり馬の低い唸り声が聞こえる。
「何かしら?」
「見てくる。」
ノアは剣を取ると外に出ていく。
時間的にもうタルク国への国境を越えた頃だ。
――もしかして、帝国軍が待ち伏せしていた?
しかし、外から聞こえる音は静かだ。
幌を上げてソッと外を伺うと、左が切り立った崖が聳える細い街道だ。右側は谷になっている。
やがて雨に濡れたノアが荷馬車に乗り込んでくる。
「道が崖崩れで塞がれてる。帝国軍の仕業だろう。今からみんなで土砂を取り除くから、しばらくはここで足止めになるぞ。」
「私も手伝えたらいいのに。」
「いいから、ここで大人しく待ってろよ。」
タルク国への道は北に広い街道が整備されているが、かなり遠回りになるため、軍は急ぎこの狭い街道を来たのを、帝国軍が先読みしていたのだ。
ずいぶん長い時間、荷馬車は止まったままだ。
やっと戻って来たノアは、身体中が泥だらけになっている。
「あと少しで通れるだろうって。」
「お疲れ様。」
濡れたタオルをノアに渡すと、ノアはタオルでゴシゴシと顔や手を拭いている。
しばらくすると荷馬車が再び動き出す。
国境からタルク城まで、何があるか分からない。またもや緊張が二人の間に走る。
「何か聞こえない?」
「ああ、……太鼓の音?」
「違うわ!地響きよ!」
幌を跳ね上げると左の崖を見上げる。一旦崩れた崖が雨で緩んだのか、再び崩れ落ちてくる。
「崩れるぞ!急げ!」
声をかき消す様に、地鳴りと共に左の崖から土砂や岩が降り注ぐ。馬の嗎が響き渡り幌馬車が激しく揺れる。
あと少しというところで大岩が落ちて来て幌馬車に体当たりをする。
「谷へ落ちる!」
「馬車から降りろ!」
ノアと飛び出すと同時に幌馬車は谷へと真っ逆さまに落ちていく。辛うじて地面に飛び降りたが、まだ土砂が二人に降り注ぐ。ノアが岩に足を取られて転ぶのが見え、助け起こすが、土砂に足を取られる。
「クロエ!」
叔父の声が聞こえ、私はノアを前方へ突き飛ばすと、土砂に巻き込まれ谷へと落ちて行った。
――
――寒い。……頭が、痛い。
目の前には小さな石の海が広がっている。
重い体を起こそうとするが、服が大木の枝に引っかかっていて起き上がれない。服を枝から解き、ゆっくり起き上がる。途端に咳き込み身体中が痛い。
周りを見回すと大きな川のほとりに大木と共に打ち上げられていたようだ。大木は川辺に乗り上げ動かない。
――大木に引っかかって助かったのね。
雨はすでに止んでいる。
身体を触って確認すると幸い骨は折れていない。しかし、体中が傷だらけで泥水にまみれ、服もボロボロだ。
周りを見回すと川辺の向こうは森に囲まれている。
どれくらい流されたのだろう。タルク国の地理を思い浮かべるが、川があったのは西から東にかけてだったとしか分からない。
泥を洗い流そうと、川辺に寄り服を脱ぐと川の水で服を濯ぐ。それから、自らも川に入り土を落としていく。あちこち傷だらけで水が染みる。初夏だが川の水は冷たく、冷えた体が震える。
背後からジャリっと石を踏む音がして驚いて振り向くと、黒いマントを着た男が一人立っている。私は慌てて服を拾うと体を隠す。
――下着は付けていてよかった…。
見たところ帝国軍では無さそうだが、真夏に足首まである黒いロングマントを着て、如何にも怪しい。
「体を洗っていたのか?」
男は深くフードを被り顔は見えない。声からすると若そうだ。私は隠れるところを探すが川辺では見つけられない。
男はそのまま私をじっと見ている。近づいたら護身術で対抗しようと、服で体を隠しながら相手を睨みつける。すると男は慌てたように後ろを向く。
「ああ、すまない。つい見惚れてしまった。」
男が後ろを向いているのを注視しながら、まだ濡れたままの服を急いで身につける。服は土色になりあちこち破れてしまっている。髪を結んでいた紐も流されて、剣も無くなってしまった。
――叔父様やノアが、きっと心配しているわ。
あちこち痛む体をおして、なんとか川に沿って歩き出す。
「待て!」
先ほどの男が声を掛けてくる。私は咄嗟に足元の流木を拾い男に構える。
「ち、違う。私は決して怪しいものではない。」
男はフードを取ると色白の面に、亜麻色の髪、深い緋色の瞳が顔を出す。この瞳の色はタルク国の王族の色だ。
「もしかして、……イーサン王子ですか?」
「そうだ。」
――行方不明の王子がなぜここに?
周りを見回すが供を連れていないようだ。歳は確か私の一つ上だったと記憶している。
「お一人ですか?」
「そうだ。供とは逸れてしまった。そなたは近くの村の者か?なら案内してほしい。」
「私はランバス国の騎士です。タルク国へ入国しようとしたところで崖崩れに遭い川に流されてしまいました。川の上流には味方がいるはずです。一緒に参りましょう。」
「……騎士?そなたが?」
イーサンは疑いの眼差しで私を見ている。
こんな女の子が騎士だとは信じられないのも無理はないし、今の私に証明できるものもない。ランバス国の王女だと名乗ろうかとも思ったが、その方が信じてもらえないだろう。
「来ていただければ分かります。ここにいても、いつ帝国軍に見つかるか分かりません。」
イーサンはしばらく考えた後、私を見て頷く。
「わかった、共に行こう。そなたの名前は何という?」
「クロエと申します。」
「クロエ……。」
先に歩き出す私に、後ろからマントが被せられる。
「いけません。」
「いいから着ておけ。背中が破れている。それにそんなに濡れていては風邪をひくだろう。」
マントをイーサンに返そうとするが、イーサンは気まずそうに私を見ずに言う。
背中が破れているのは知っていたが、背中なら見られても構わない。しかし、先ほどから寒さで体の震えが止まらない。
「ありがとうございます。」
イーサンの服装は、いかにも王子といったフリルの付いた白ブラウスに金ボタンの付いた青いジャケットを羽織り、かなり目立っている。しかし、黒いロングマントも同じくらい目立っていたので、黙ってマントを受け取っておくことにする。
帝国軍に見つかる可能性が高いため、街道は避けて川沿いの森を早足に行く。
「イーサン王子。ランバス国へ続く道へは、ここからどのくらいかかるか分かりますか?」
「ここからそれほど遠くない筈だ。」
――私が流された距離もそんなになかったようね。
次第に川幅も狭くなり、川沿いの道も起伏が激しくなってくる。
その時、ヒュッという音がして、近くの木に矢が刺さる。
それと共に、私達の周りは帝国軍に取り囲まれてしまう。
「イーサン王子だな。我々と一緒に来てもらおう。」
――気配をまるで感じなかった。相当、疲れているようね。
「イーサン王子、私が時間稼ぎをしますので、お行きください。」
小声でイーサンに声をかける。
――拾った流木でできる限り足止めをしよう。せめてイーサン王子だけでもランバス軍のいる所へ逃がせれば……。
「女性を置いて逃げられるわけがないだろう。」
イーサンは私の腕を取る。
「私は女性ではなく騎士です。それに、あなたは一国の王子です。ここで捕まるわけにはいきません。」
「それは君も同じだろう。」
「え?」
「ランバス国クロエ王女。」
私は目を見開きイーサンを見る。
――どうして分かったの?
「話し合いは終わったか?」
敵将が近づいてくる。黒髪に黒い鎧を纏いスラリと背の高い偉丈夫だ。歳は二十歳前半だろう。よく見ると銀色の目をしている。とても珍しい。
「分かった、共に行こう。しかし彼女は関係ない、ただの道案内だ。解放してやってくれ。」
「そうはいかない。誰かに知らせる危険があるからな。」
イーサンと私は帝国軍に捉えられ、森を抜けて街道まで連れて行かれる。街道には多くの騎士が集まり、帝国軍はイーサンを探す捜索部隊を出していたようだ。




