26. 遠乗り
「では、レベッカを連れていくわね。」
私は手綱を受け取ると、馬の首元を撫でる。
「久しぶりの遠乗りですね。レベッカもクロエ様と走れて喜びますよ。」
「頑張りましょうね、レベッカ。」
馬番のモーリスは、荷物を馬の両脇に分けて積む。
「お付きの方は、どちらに?」
「……訓練場で待ってるわ。」
「そうですか。クロエ様、どうぞお気をつけて。」
初冬の朝靄漂う厩舎を出て馬に乗る。夜明けまではまだ少し。
城門までくると門を守る衛兵に声をかける。
「お勤めご苦労様。今日は遠乗りに行ってくるわね。」
「いつも、お早いですね!」
「朝靄も間も無く晴れるでしょう。どうぞお気をつけて!」
衛兵は私がいつも通り訓練場に向かうと思っている。
私は城門を抜けると訓練場の方に向かうが、門から隠れる位置にくると王都へ向きを変える。まだ目覚め始めたばかりの街は人もまばらだ。
羽織ったマントのフードを目深に被ると、街中を速足で駆け抜ける。
――今日中に、タルク国に入らないと。
隊列を組んでいた時にはタルクまで二日かかったが、一人なら今日中に国境を越えられるだろう。
ノアに、何もしないで諦めるのか?と言われた時、なぜかとても悔しかった。
それはきっと、諦めきれない思いを無理矢理押し込めて、見ない振りをしていることを、見透かされたからだ。
諦めるんじゃない、私はちゃんと納得してる。
……そう言えなかった。
――本当にいいの?このまま何もしないで。
ずっと胸に秘めていた思いを伝えずに一生を終えるのかと考えた時、私はきっと後悔すると思った。
セオドアには、私は悔いはなかったでしょうと言ったけれど、一度目の私は、もしかしたら死ぬ時に後悔していたのかもしれない。
――私の気持ちをルイス様に伝えられるのは、今しかない。
たとえ叶わない思いだとしても、私の恋心を昇華したい。
王都を抜けて、タルク国へ向かう街道に入る。カザルファー王国まで三日の旅だ。
日が昇り明るくなっていくはずが、空には重い雲が蔓延り光を遮る。
北に向かうにつれ細かい雨が降り出し、やがて本降りの雨に変わる。
――昨日までは、晴れていたのに。
レベッカも濡れた体を震わせ、しきりに雨を払う。顔にかかる雨に自然とスピードは落ち、足をぬかるみが捉える。
徐々にマントにも雨が染み込み、体温を奪っていく。
途中、何度か木の下で雨宿りをし休憩を取るが、雨は止む気配がない。
何度も戻ろうかと心が折れかけるが、まだ諦めきれなくて先を目指す。
もう今日中にタルク国へ入るのは無理だ。
父への書き置きには、一週間後に戻ると書いてきた。
この調子ではそれも到底、間に合わない。
曇天の空を見上げて、無数に落ちてくる雨粒を眺める。
神様は私に怒っているのかもしれない。王女のくせに自分勝手なことをして運命に逆らおうとしている私に。
――記憶のない彼に私の気持ちを伝えて、どうするの?
――私の気持ちを伝えたとしても、もし困った顔をされたら?
次々と悲観的な思いが込み上げてきて、益々歩みは重くなる。
もうすぐ日が暮れるが、今日は半分も進めていない。
雨は北に進むにつれて、みぞれになってきた。
レベッカも相当疲れている。明日からも同じような天気なら、体力的に先に行くのは無理だろう。
――今日はもう宿に泊まり、明日、王都へ引き返そう……。
もう運命が私の邪魔しているとしか思えない。降り頻る雨に、私の恋はどう足掻いても叶わないんだと言われているようだ。
私は近くにあるビンツの町を目指す。
丘を登り始めたところで、急にピタリと雨が止む。
帰ろうと決めた途端に雨が止むとは、なんて皮肉なんだろう。
――本当に神様が私を見ているんだ。
丘陵を登りながらフードを取ると、雲間から夕陽が差し込み、冷えた体にその熱が暖かい。
丘の下に広がる小麦畑には、夕霧が立ち込めオレンジ色に染まる。陽が沈むに連れて、空は段々とオレンジから藍へと色を変えていく。
――私が一人で彼に会いにいく勇気を持てた。それだけでも凄いことだ。
丘陵を登り切ると、小麦畑の全景が見渡せ、そこには先客の馬に乗った旅人が一人佇んでいる。
そのシルエットがルイスに見えてしまう私はかなり重症だ。
――私はきっと、この景色を一生忘れない。
その夕陽に映える後ろ姿を一つの絵画のように眺めていると、旅人が不意にこちらを振り返る。
「……クロエ?」
その銀色に輝く瞳が私の心を捉える。
「なぜ、ここに?……供の者はどこだ?」
こんな時でさえ、彼は私の心配をしている。
――どうしてルイス様が、ここに……?
いろんな想いが綯い交ぜになり、言葉が出てこない。
彼は馬を操り、私の側にくる。
「クロエ?……ずぶ濡れじゃないか。何があったんだ?」
「……何でもありません。一人で遠乗りをしてきて、雨に降られたのです。」
私はようやく言葉を絞り出す。
「一人で?君は、無茶をする。」
ルイスが濡れていないところを見ると、降っていたのはこちら側だけのようだ。
彼は馬を降り自分のマントを取ると私に渡してくる。私も馬を降りると、彼のマントを受け取る。
「ありがとうございます。……ルイス様は、どうしてここに?」
ここはまだランバス国領だ。
私は濡れたマントを脱いで、ルイスのマントを羽織る。彼の温もりが残り、とても暖かい。
「俺は、その、……クロエに会いにきたんだ。」
ルイスは首の後ろに手をやり、銀の鎖に黒い一粒石のついたネックレスを取り外す。
私がルイスに返した毒消しのネックレスだ。
「これを、君に渡しに。」
「それは、ルイス様のお母様にお渡しください。」
「母ならもう大丈夫だ。視力が回復してカザルファー国に戻っている。」
「でも、……もしかして、ルイス様、記憶が戻ったのですか?」
「ああ、まだ欠けている記憶はあるようだが、随分思い出したよ。」
「私の事は?」
「……思い出した。」
ルイスは辛そうな顔をするので、私はその表情に不安になる。
「でも、どうして、これを私に?」
「クロエに必要だからだ。カレブにまた狙われるかもしれないだろう。」
やはり、前にこれを私にくれたのは、カレブの事を心配したからだ。
「カレブならもう心配はいりません。私が、彼に隷属の指輪を嵌めましたから。」
「指輪を嵌めたのか?」
「はい。ですので、カレブはもう私に危害は加えません。」
「カレブは、今どこにいる?」
「わかりません。……カレブは、自由にしていますから。」
カレブはあの日から姿を現さなくなった。
セオドアとの会話を聞いていたのだろう。
強い風が吹き過ぎて、私は僅かに身震いをする。
「体が冷えてしまうな。この辺りの宿を探そう。」
ルイスは馬の手綱を引くと歩き出す。
「待ってください。」
私はルイスの背中を呼び止める。
声をかけてしまったが、まだ躊躇いが生まれてくる。
天を仰ぐと、冬の澄み切った空には星が瞬き始めて、雲は綺麗に消え去っている。
「私、……ルイス様にお伝えしたいことが、あります。」
彼の瞳にも輝く星を見つけて、私は目を細める。
「話なら宿で聞く。早く体を温めないと風邪を引いてしまうぞ。」
「私は、本当は、ルイス様に会いたくて一人で城を出てきたのです。」
「……俺に?」
「でも、きっと神様は私に罰を与えたのでしょう。雨に降られてこの有様です。もう引き返そうと思っていたところで、偶然、ここでルイス様に出会えました。」
いざ言葉にしようとすると、緊張で喉が詰まる。
「……私は、誰かと婚約する前に、どうしても私の気持ちを、あなたに伝えたくて……。」
私は手を握り締めて、力を振り起こす。
「私は、……ルイス様が好きです。」
唇が震えたが、やっと想いを伝えられた。手が冷たく感覚がないのは雨に濡れたせいだけではないだろう。
しかし、ルイスは表情を曇らせてしまう。
――やっぱり彼を困らせてしまった。
胸がちくりと痛む。
でも口から出た言葉はもう戻せない。
「クロエ。俺は……、」
そう言ったっきり、ルイスは黙り込む。
「……決して重荷に思わないでください。ただ伝えたかっただけですから。……丘の向こうにビンツの町があります。大きくはないですが宿はあると思いますよ。」
促すように、ルイスの馬がブルッと震えて足踏みをする。
すると、彼はゆっくりと口を開く。
「……俺は、ずっと、自分の血を呪って生きてきた。皇帝の血を引く俺には、誰も愛することができないと思っていた。」
ルイスが結婚を断っていたのは、そういう理由があったのだろう。
「……でもクロエに会ってから、温かいものを胸に感じるようになった。……それは激しく、時に穏やかに流れ、とても心地よくて、……初めはそれが何か分からなかったが、ある時、それが、……恋なんだと気づいた。……俺にも人を好きになることができるのだと、クロエに会って初めて知った。」
「ルイス様……。」
ルイスは、照れくさそうに笑う。その笑顔は少年のようだ。
ルイスは手を開きネックレスを私に差し出す。
「これは俺の祖国リブロ王国の王家に代々受け継がれてきたものだ。……だが、祖国はもう亡く、王族とは名ばかりになった。今の俺に持てるものはこれだけだ。」
かつて、オアシスに栄えたリブロ王国も今は砂漠に飲まれてしまった。本来ならルイスはその国の王となる存在だったはずだ。
「俺がクロエの側にいられないなら、せめて、このネックレスに君を守ってほしかったんだ。」
私はネックレスをそっと受け取る。
再び私の手に戻ってきた銀色のネックレスに指先で触れる。
「これを私が持っていてもいいのですか?」
「いつも身に着けていてほしい。」
私はネックレス受け取り着けようとするが、冷えた手が中々動かない。ルイスは私の背後に回ると留め具を留める。
「髪も濡れているな。」
あの激しく降り続いた雨が嘘の様に、空は満天の星が煌めいている。
もし雨が降らずに速馬を駆けていたら、ルイスとはすれ違っていたかもしれない。
――もしかして、神様は、ルイス様と会わせてくれたの?
「クロエ。」
ルイスは私の手を取ると、徐に片膝をつく。
「皇帝が死しても、俺が皇帝の息子であることは変わらない。皇帝の呪縛が俺を離すことは一生ないだろう。……だが、もしクロエが許してくれるなら、……俺と、結婚してほしい。」
一瞬、理解が追いつかず固まった頭に、驚きと喜びの感情が一度に押し寄せ、目から涙が溢れてくる。
「……はい、……はい、ルイス様。」
ルイスは立ち上がると、強く私を抱きしめる。
「明日、ランバス王に婚姻の許しを請いに行くよ。」
「私も、一緒に参ります。」
ルイスの腕が緩み、私達は見つめ合う。
よく見ると、ルイスの瞳の中には小さな銀色の星がいくつも瞬いている。
「ルイス様の瞳は、まるで銀河の様ですね。」
「……これ以上、君を好きにさせるのか?」
ルイスははにかんだ笑顔を浮かべ、私に優しくキスをした。
終
拙い文章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
ブックマーク、リアクション、評価してくださった方、とても励みになりました。ありがとうございました。




