24. 一度目の時戻し
晩餐の席を立つとセオドアが私の手を取る。
「クロエ、話しがあるんだ。」
「なんでしょう?」
「二人で話したい。」
「……ではこちらへ。」
セオドアを連れてサロンに入ると、彼は扉の鍵をかける。
「セオドア様?」
彼はしばらく黙って立っていたが、やがて、私の顔を見ずに「座ってくれ。」と言う。私が近くのソファに座ると、セオドアも向かい側に腰かける。
彼は組んだ手を膝に乗せて、何度も手を組み直している。
「……クロエ、君に話したい事があるんだ。」
セオドアの喉から掠れた声が漏れる。私は彼の真意が分からず、ただ続きを待つ。
「……前に俺が時を戻した話をしただろう?俺達は過去に戻って時をやり直していて、今いるこの時は二度目だと。」
「はい。」
その時、私の脳裏にカレブの言葉が蘇る。
――セオドアが時戻しをしたのは、二回だよ。
「……だが本当は、二度目じゃない、……三度目なんだ。俺は、二度、時戻しをした。」
セオドアの小さな呟きは、カレブが言っていた通りだ。
「……驚かないのか?……もしかして、クロエも覚えているのか?」
セオドアはまるで、暗闇を怯える子どものような表情を見せる。
「いいえ、私は何も覚えていません。」
「……そうか。」
少し安堵したように、セオドアは表情を緩める。そして、何かきっかけを探すように、また手を組み変える。
「今からする話は、君にとっても辛い話になるかもしれない。」
「構いません。どうぞお聞かせください。」
「……俺が二度、時戻しをしたのは、………その二度とも、クロエが死んだからだ。」
私は目を見開く。冷静に聞く心づもりができていると思っていたが、自分の死を告げられると心が騒ついてしまう。
「クロエ、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。……続けてください。」
「分かった。……少し飲んでもいいか?」
「はい。」
セオドアは立ち上がると、壁に備え付けられたバーカウンターへ寄り、カウンターに置かれたグラスにデキャンタから酒を注ぐ。
「一度目の人生の俺は、どうしようもなく、情けない奴だった。」
そう言うと、彼は琥珀色の液体を一気に喉に流し込む。彼は空のグラスを持ち、背をカウンターに預けると、立ったまま話しを続ける。
「一度目、……レナン王国は帝国とランバスの合同軍に陥落し、両親は帝国に捕えられ、俺は人質としてランバス国に連れてこられた。」
――一度目は、レナン国王と王妃は生きていたの?
セオドアの顔を見るが、セオドアは空のグラスを見て俯いている。
「監視はつくものの、ランバス王はこの城での自由を許してくれた。しかし、俺は自分の無力さに自暴自棄になり、毎日不平不満を垂れ流し、荒れた生活を送っていた。」
私は静かにセオドアの話に耳を傾ける。
「皆が腫れ物に触れるような態度をとるのも気に食わなかった。……クロエにも不満を募らせていったよ。君はいつも俺を労わり慰めようとしてくれた。それが、俺をより苛つかせた。何の苦労も知らない十三歳のガキが、安全な鳥カゴの中から、外の世界が可哀想だと嘆いている。」
私の胸がズキッと痛むが、そう思われても仕方がない。
「……しかし、本当にガキなのは俺の方だった。」
セオドアは目を伏せる。
「クロエはみんなに愛されていたよ。みんながクロエを褒め称える、君は天使のようだと。でもそれは、本当の君を誰も知らなかったからだ。」
「本当の私?」
「胸に込めた辛さや悲しみは顔に出さず、誰にでも毅然として、愛される王女を演じていた。」
「いいえ、私は本当に世間知らずで、辛さや苦しみも知らなかったのです。」
「ああ、……二度目の君は、そうだっただろう。俺はクロエを苦しめる物全てから君を遠ざけていたから。君の笑顔を曇らすものは人でも物でも何であろうと、目の前から排除していたんだ。」
「そんな、……知りませんでした。」
彼が私の知らない所で、私を守ろうとしていたなんて。
「一度目の君は、……毎日病院へ行って戦傷者を看護し、死者を弔っていた。そして、教会へ赴き民を慰め励まし、癒していたよ。王や貴族達に戦争を終わらせるようにといつも進言していた。………しかし、王は帝国の巨影に怯え、帝国の言いなりになっていった。クロエが十八歳になって、公爵家長男との結婚が間もなくという時、……皇帝からクロエに婚姻が申し込まれた。」
私の体が僅かに震える。
「ランバス王はその話を断れなかった。もう帝国の領土は隣の国を侵略し目の前にあったから。……流石に、今度はクロエも嫌だと泣き叫んで拒むだろうと俺は思っていた。俺はどこかで、そんな君の姿をどこかで望んでいたのかもしれない。所詮、君も俺と同じだと。」
セオドアと視線が絡む。
「だが、君はその話を毅然として受け入れた。この国と帝国の架け橋になれるのは光栄だと笑ったんだ。」
私もその立場なら、その話を受けているだろう。
「誰もがクロエを思い嘆き悲しんだが、最後まで君は笑みを絶やさずこの国を去っていった。」
セオドアは深く息を吐き出す。
「俺は悔しかったんだ。君に負けたような気がして。だから、ランバス王に頼んで君を送る役目に紛れ込ませてもらった。」
「セオドア様も帝国に行かれたのですか?」
「ああ。結婚式は一ヶ月後。それまで君がどう過ごすのか見届けようと思った。………いや、違うな。その頃には、俺はクロエに惹かれ始めていたんだ。」
セオドアはまた酒を注ぐとグラスの酒を飲み干す。
「皇帝との謁見で、奴は君を抱きしめキスをした。胸が焼けるかと思うほどの憤怒が込み上げたよ。結婚式が楽しみだと言う皇帝に、君はいつもの笑顔を浮かべてみせた。君はどこまでも完璧な王女だったよ。」
完璧な王女という言葉が、私には腑に落ちない。
「後宮は思ったよりも恐ろし場所だった。庭園にある池の辺りを散歩していた時だ、侍女が日傘を取りに下がり、クロエと俺だけになった。怪しい人影を見つけ、俺が様子を見に少し離れた隙に、クロエが池に突き落とされた。」
「……私は、どうなったのですか?」
「ルイスがたまたま通りかかり君を助けた。そうでなければ水の中、重いドレスに引き込まれ君は溺れてしまっていただろう。ルイスの母とクロエの宮が近かったお陰だ。」
「ルイス様が……。」
「それから、ルイスは頻繁にクロエの前に現れるようになった。あいつは、君の身の危険を警戒していたんだろう。ルイスは二度もクロエを救ったよ。第二皇妃の毒からさえも。……ルイスがいなければ、結婚式を待たずに君は死んでいた。」
私は過去に戻る前にもルイスに会い、助けられていた。胸の奥に熱いものが流れ込んでくる。
「俺は何度も君に言ったよ、国に帰ろうと。このままではいつか本当に殺されてしまう。……でも君は決して首を縦には振らなかった。祖国を守るために、帰るわけにはいかないと。」
セオドアは私を見ると、クシャと顔を歪める。
「その顔……、いつもそんな表情を浮かべて俺を見ていた。困ったような、でも、揺るがない強い眼差しで。」
私は今どんな顔をしているのだろう。
「……きっと、私はまだ諦めていなかったのでしょう。」
「ああ。……きっと、そうだったと思う。」
セオドアは空のグラスにお酒を注ぐと煽るように口にする。あまり飲まないセオドアには珍しい。
「結婚式前日、ルイスの妹が祝いの贈り物を持ってやってきた。その中にあった手紙には、明日、聖堂で騒ぎが起こったら、ルイスが使いを寄越すから、その者と逃げろ、と書かれていた。」
「ルイス様が、私を逃がそうとしていたのですか?」
「ルイスは、結婚式の日に、皇帝への謀反を計画していたんだ。」
私は息を呑む。ルイスはいつの時代にも強く、そして優しい人だ。
「結婚式の日は、朝から激しい雨が降っていたが、帝都の中心にある聖堂には、君を見ようと多くの人々が押し寄せていた。その中を歩く君は、とても美しかったよ。君に心を動かされない者などいないほどに……。」
セオドアは目の前の私に、その姿を見るように目を細める。
「聖堂の中には、各国の王や貴族が居並んでいた。君は皇帝と共に祭壇の前に立ち、神父が神への祈りの言葉を捧げていた。……しかし、その言葉が終わらないうちに、聖堂の中を煙が充満し始めた。皆が混乱して逃げ惑う中、ルイスは皇帝の護衛を次々倒すと、皇帝の胸に剣を突き立てた!」
セオドアの視線は虚空を彷徨い、まるで目の前にその光景を見るようだ。
「次々と雪崩れ込む兵に紛れて、君の手を引き逃げる従者を見つけて、俺はその後を追った。祭壇横の扉から薄暗い廊下に出ると、夥しい兵が隠し戸らしき壁の隙間から出てきていた。その間を縫い、従者と共に駆ける君の背中を追いかけた。廊下を曲がった先には重厚な扉が、」
セオドアはそこで言葉を止める。
「その扉の先にいたのは、…………ジェイデンだった。そして、君の手を引いていた従者は、あのカレブだったんだ。」
私は思わず足元にできた影に視線を下す。カレブもこの話を聞いているだろう。
「ジェイデンはルイスの計画を知った上で、敢えて止めなかった。ルイスに皇帝を殺させて、自らが皇位を継ぐつもりだったんだろう。……俺達は捉えられ城に戻された。ジェイデンは俺がレナン王国の王子だということも知っていたよ。……またも俺は人質になった!」
パリンと衝撃音がして、セオドアが持ったグラスが砕け散っている。
「セオドア様!大丈夫ですか?」
私は立ち上がるとセオドアの元へ行く。彼の手には血が滴っている。
「ああ、大丈夫だ。」
「怪我をされています。誰か呼びましょう。」
「いや、いい。少し切っただけだ。」
セオドアは違うグラスを置くと、デキャンタの酒を手にかけて血を流す。グラスには血の混じった酒が漂う。
「これを。」
私はハンカチをセオドアの手に巻き付ける。それを見ながらセオドアは口を開く。
「……それまでも自分は無力だと感じていたが、あの時ほど、自分の無能さを呪ったことはなかったよ。」
セオドアはハンカチに巻かれた手を眺める。
「それから、ルイスが城に凱旋し、ジェイデンの兵と戦闘になった。初めはジェイデンが優勢だったが、ガブリエルの兵も加わると、形成は逆転していった。」
「ガブリエル様も、ルイス様と共に戦われたのですね。」
「ジェイデンは、まさかガブリエルがルイスに加勢するとは思ってなかったようだ。城に迫る敵軍を見て焦りを見せ始めた。そして、クロエを連れて城を逃げ出した。……奴は知ってたんだろう。ルイスが、……クロエに心を寄せていることを。」
セオドアは痛みを耐えるように結んだ口元を震わせる。
私は言葉を返せない。
知らない私もきっと、ルイスを好きになっていただろう。
「……ジェイデンに連れられ大階段の下にある地下通路に入り、ランプの明かりも届かない暗闇をカレブが迷いなく先導していった。その先は、第二皇妃の後宮だったよ。彼女は金品財宝を集めて逃げる準備をしている所だった。権勢を誇った女の哀れな末路。ジェイデンが止めるのも聞かず、馬車で出て行き、ガブリエルに殺された。」
第二皇妃も皇帝に翻弄され人生を狂わされた一人だろう。
「城は落とされ、第二皇妃の後宮も包囲されていた。地下通路もルイスの兵が張っている。もうジェイデンには逃げ道がなく、俺達が助かるのも、もうすぐだと思っていた。クロエはジェイデンに降伏を勧めていたよ。ルイスなら命は助けるだろうと。」
ルイスならきっと命乞いする者の命は取らない。
「ジェイデンはその言葉に頷き、降伏すると言った。後宮を出ると、既にルイスもいて俺達を待ち受けていた。ジェイデンが武器を捨て降伏を宣言すると、ルイスは一瞬怪訝な様子を見せたが、すぐにホッとしたように受け入れた。そして、……クロエを呼び手を伸ばした。」
セオドアが目を瞑る。
「その時、ジェイデンが言ったんだ。…………カレブ、クロエを殺せ。」
私は頭を殴られたような衝撃を受ける。
「カレブはどこからともなく現れて、クロエの胸に短剣を突き刺した。一瞬の出来事だった。」
私は自分の影を見て、この話をカレブが聞いてませんようにと祈った。




