23. 目覚め
中庭の女神像は変わらず水瓶から澄んだ水を溢れさせている。
翌朝、侍女からルイスが目を覚ましたと聞いた私は、ルイスの部屋へと急いでいた。中庭の渡り廊下を抜け、ルイスの部屋の前に護衛騎士とガブリエルの姿を認める。
「ガブリエル様、ルイス様が目を覚まされたのですか?」
ガブリエルは私を見ると私の背中を促し、護衛騎士から離れる。ガブリエルにしては深刻そうな顔に不安が込み上げる。
「クロエ、落ち着いて聞くんだ。いいな?」
「……はい。」
「ルイスは目を覚ましたが、……何も覚えていない。」
「覚えていない?今回の事を忘れているのですか?」
それなら、むしろ忘れている方がルイスの為になるだろう。
「いや、記憶を、……全ての記憶を失っているんだ。」
「……。」
「自分の名前もわからない。」
――そんな……。
私はルイスの部屋を見る。扉は閉ざされ中の様子は見えない。
「会えますか?ルイス様に。」
「ああ。」
ガブリエルに付いてルイスの部屋に入る。
ルイスはヘッドレストにもたれながら座り、ソフィや侍医と話をしている。
時折、頭を押さえているところを見ると、頭が痛むのか。
「ルイス。クロエが来たぞ。」
ガブリエルが声をかけると、ルイスはゆっくりとこちらを向く。
その変わらない銀色の瞳が、ガブリエルから私に止まる。
「ルイス様、……目を覚まされたのですね。」
「君は、……誰だ?」
ルイスは頭を少し傾げる。そしてまた頭が痛むのか、こめかみを押さえている。
「ルイス様……。」
「まだ目覚めたばかりですので、もう少し安静になさった方がいいでしょう。」
侍医の言葉に、ガブリエルと私は部屋を下がる。
「クロエに会えば、すぐに思い出すと思ったんだがな。」
ガブリエルが冗談めかして言うが、本当に私を忘れている姿を見るのは辛かった。
「あの腕輪のせいでしょうか?」
「そうだろうな。」
「もう一度、腕輪を嵌めれば……。」
「危険だな。あれは、記憶を上書きする物らしい。前の記憶が残っているかもわからない。」
「……。」
「心配するな。ルイスなら記憶が無くても生きていける。……お前も、ルイスのことは忘れろ。」
ガブリエルは私の背中を軽く叩くと去って行った。
――――――
私は広い庭園の芝生を、夕暮れの秋風が足元を吹き抜けるのを感じながら歩く。冬に向かう庭は踏み荒らされ花は無い。
栄華を誇った帝国の城も、石垣は崩れて焼け焦げ、見る影もない。
この国の再興は容易ではないだろうが、ガブリエルはモリスデンの金鉱を降伏条件として手に入れたそうだ。彼ならきっとこの国を以前のような、いや、以前とは違う平和で豊かな国に育て上げるだろう。
高い空を見上げると、いく筋も雲がハケで引いたように漂っている。
一人佇むルイスの側にいくと、彼は私に振り向く。
「もう起きて大丈夫なのですか?」
「ずっと寝ている方が辛いんだ。君は……、」
「クロエ、です。」
「クロエ……。」
「寒くはないですか?」
ルイスは寝衣の上に薄いガウンを羽織っているだけだ。少し痩せた体に、秋風が吹くとガウンがはためく。
「風が心地いいよ。」
ルイスは次々波が来るように芝生が靡くのを見ている。こんな穏やかなルイスの表情を見たのは初めてかもしれない。
「ルイス様、これをお返しします。」
私は首から銀色のネックレスを外すと、ルイスに差し出す。
「これは……?」
「これは、リブロ王国の毒消しの秘宝です。」
「リブロ王国の、毒消しの秘宝……。」
ルイスはネックレスの鎖を持ち上げ眺める。
「そのネックレスは、ルイス様からお母様にお渡しください。」
「母に?」
「はい。」
「そうか。」
ルイスはネックレスを手のひらに乗せると握りしめる。
「必ず母に渡すよ。」
ルイスは柔らかな笑みを浮かべる。
――こんな表情ができる人だったのか。きっと本来のルイス様は穏やかで優しい人なのだろう。
「お兄様。」
ソフィがこちらにやってくる。
「あまり長く外にいると風邪をひきますよ。」
「そうだな。」
「クロエ様も来られませんか?温かい紅茶を淹れますわ。」
「私は、……もう少しここにいますわ。」
ソフィはルイスを支えながら歩いて行く。
――記憶を失った方が、ルイス様にとっては幸せなのかもしれない。辛い過去を忘れて、穏やかな暮らしを送れるはず。
少しの胸の痛みは私だけのものだ。
「クロエ。」
セオドアが庭園の向こう側を横切りこちらへやってくる。私もセオドアに駆け寄る。
「セオドア様、もう話し合いは終わったのですか?」
「ああ、……クロエも、ルイスと話せたのか?」
「はい。」
振り返ると、ソフィの姿はなく、ルイスが一人立って、こちらを見ている。
「クロエ、……明日一緒に帰らないか。」
「……はい、わかりました。」
その時、強い風が吹き抜け、芝生が大きくうねり揺れる。
乱れた髪を払い風上を見ると、もうルイスの姿は無かった。
――――――
早朝、小隊を編成して私達は帰国の途に着く。
見送りにルイスは姿を見せなかった。ソフィによると彼はまだ寝ているそうだ。
――昨日の風で体調を崩してなければいいけれど……。
途中、タルク国に寄り、タルク国王、イーサン王子に報告を兼ねて一日滞在をする。
ルイスの母はタルク国の薬が効いて視力がほとんど戻り、まもなく、カザルファー王国へ帰国する予定だ。
「今度こそ、戦禍のない平和な世になってほしいものだ。」
イーサン王子の言葉に私は頷く。
「きっと私達の手で実現できますわ。」
――――――
ランバス国に帰ったのは、その翌日の夕暮れだった。
厳かな宴が開かれ、今回の戦勝が祝われる。
帝国への反発もまだ根強く残っている為、ささやかな祝いの席になった。




