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小鳥の声がする。ピーチクパーチク姦しく話している。昔飼っていたインコの声によく似ているなと思いながら薄っすら目を開けると、薄暗闇の中に縦一筋の光が見える。よく見るとカーテンの隙間から漏れる光だ。
ぼんやりとした意識が急に浮上する。
――ここは、どこ?
私はベットに寝ている。部屋を見渡すと私の部屋だ。布団の模様が違うが、見たことがある物だ。
――私、……死ねなかったの?
首に手をやり傷を確かめるが、痛みもなく何の跡もない。すべすべした肌触りが指を掠めるだけだ。
――傷が無い?でも確かに痛みがあったから、全く傷がないのはおかしい……。
ゆっくりと体を起こしてみる。体はどこにも異常がなさそうだ。
天蓋付きベッドから降り、傷を見ようと姿見に駆け寄ると、鏡には子どもが映り、驚いて後退る。
しかし、この顔には見覚えがある。
――……私?
鏡の中の子どもは青い目を見開き、私を見つめている。顔を触ると鏡の中の子どもも頬に手を当てる。鏡に手を伸ばせばその子も手を伸ばし、鏡の冷たい感触を感じながら手を合わせる。
「私?本当に?」
手も小さく、思わず漏れた声もまた子どもの様に高い。
――死にきれなくて、夢を見ているの?
震える手で自分の頬をつねるが、じんじんして痛みを感じる。
また小鳥の声がして振り返ると、ゲージの中で青いインコが二匹しきりに喋っている。
「……ラナ?ラロ?」
声をかけるとゲージの中で二匹はこちらへと寄ってくる。確かにラナとラロだ。深い青色の羽、目の縁に黒色の涙の模様があった。子どもの時に飼っていて、相次いで死んでしまった時には、悲しくて毎日泣いたのを覚えている。
閉じられたカーテンを捲ると、眩しい朝日に思わず目を細める。
外の庭園には荒らされた様子はなく、巡回の兵士が二人組で通り過ぎていく。
しばらく呆然と突っ立っていると、ドアがノックされる音に我に返る。
返事を躊躇していると、扉が開き侍女が二人、カートを押しながら入ってくる。
「クロエ様、おはようございます。今日もラナとラロに起こされたのですか?」
見慣れた顔だが、二人とも、とうに結婚し城を離れたはずだ。
「ジェーン、ソニア……?」
「どうなさったのです?顔色が悪いですわ。また怖い夢でもご覧になったのですか?」
「……ねぇ、今年は、何年だったかしら?」
「今年は五百八十五年ですよ。」
――五百八十五年、……ということは、六年前?私は、まだ十歳?
「私は今、……十歳なの?」
「そうですよ。クロエ様、年を忘れるには若すぎますよ。」
二人はくすくす笑いながら、カートから洗面器とタオルを下ろし洗顔の準備をしている。
――私は夢を見ていたの?これが現実で、今までの事が全て夢?……いえ、そんな筈がないわ。確かに何年もの出来事を克明に覚えているもの。
――では、過去に戻った?……死んだから過去に戻ってきたの?
一体どういうことかと頭を巡らせるが、混乱が増すだけだ。
着替えを済ませると、二人と共に食堂へと向かう。
食堂には既に父と兄が席に着き、私に気づくと顔を和ませる。
私はその姿に涙が出そうになる。二人は私の記憶よりも若く、そして、何より生きている。
「お父様、お兄様、おはようございます。」
「クロエ、おはよう。よく眠れたかい?」
――もしかして、お父様とお兄様も、私のように死んで戻ってきてるの?
「……怖い夢を見ました。……敵が攻めてきて、みんなが死んでしまうのです。」
私の言葉に父と兄はとても驚いた顔をする。
「安心しなさい。そのような事は決して起こらないよ。」
「母上がいない寂しさが怖い夢を見せたのかもしれないな。念の為、医師に診てもらおう。」
母は一昨年亡くなり、父の再婚もこの頃にはまだされていない。
父と兄が医師を呼ぶように侍女に指示している。
その様子から、二人は何も覚えていないようだ。
―――私だけが戻ってきたの?
二人が剣に倒れ、血を流す姿が脳裏に過ぎ、息が止まる。
――二人が覚えていないのなら、その方が良かった…。
「クロエ様、食欲がありませんか?他のお食事を作らせましょうか?」
手を止めて考え込んでいた様で、目の前の朝食はすっかり冷めてしまっている。
侍女のジェーンが心配そうに側に来て、皿を下げようか迷っているようだ。
「いいえ、少し考え事をしてたの。いただくわね。」
テーブルには私の好きな食事がいっぱいに広げられている。いつも食べきれない量だ。その事に今まで何も疑問に思わずにいた。あの鞄の中のパンと水を思い出す。あれはセリアが必死で用意してくれた物だろう。
「私の分は、これからは食べられる分だけを用意してくれる?」
「クロエ様、でも、」
「お願い。」
具体的に食べられる量を示して、それ以上は出さないのように指示をする。父と兄は困惑した様子だったが、特に反対もしなかった。
今まで王女として与えられるものに疑問を持つ事がなかった。その世界が永遠に続くものと疑うこともなかった。その報いがあの日だ。
――もし過去に戻れたのなら、またあの日が来るのなら、私は変わらなければいけない……。
乳母のセリアは城から退き伯爵夫人として社交をしているが、時々私に会いに来てくれ、母を亡くし義理の女王と上手く付き合えない私をいつも心配してくれていた。
あの日、私の結婚式では涙を流しながら私を抱きしめて喜んでくれた。その結婚式であんな事が行われるとは夢にも思っていなかっただろう。
――
私の戸惑いを他所に、日々は刻々と過ぎていく。
「クロエ様、最近沈んでおられるご様子ですね。何か悩みがおありなんですか?」
ジェーンが紅茶をカップに注ぎながら私に問いかける。以前の私なら目の前に並んだケーキに笑顔を漏らしていただろう。
――この国の現在置かれている状況を把握して、私にも何ができるのか考えなければ。私のせいで亡くなる命がある事を、あの日の光景を決して忘れてはいけないわ。
「……私も王女として自覚を持たなければと思って。」
「まだ十歳ですのに。でも、これから王女としてのお勤めが増えるでしょうから、それは良いことかもしれませんね。」
「そうね。……マイクを呼んでもらえる?」
「マイクですか?かしこまりました。」
――この国の軍事力はどうなのかしら?
護衛の近衛騎士が部屋の前にいるので呼んでもらう。
若い騎士は戸惑いながらも部屋の入り口に背筋を伸ばして立ち、綺麗な礼をする。
「お勤めご苦労様。マイクに聞きたい事があるの。」
「なんでしょう、クロエ様。」
マイクはにこにこ笑顔で答えてくれる。
「この国の軍事力は帝国と比べて、どの程度劣るかしら?」
「……軍事力ですか?」
「ええ。」
マイクは一転、当惑した顔をしている。幼い王女相手にどう答えるべきか迷っているのだろう。
「率直に答えてもらっていいのよ。」
「えーとですね、かなり劣るかと思います。」
「かなりとは、兵力で?軍備?財力?」
「えー全てですね。」
「そうなの。……分かったわ、戻っていいわよ。」
「……はい。」
マイクは当惑しながらも素直に部屋を後にする。
――帝国に対抗できうる軍事力は持っていないという事ね。でも、過去にも他国に攻め入られそうになり何度も撃退していたわ。お祖父様に聞けは何か分かるかもしれないけれど……。
祖父は今、病気療養のために北の離宮に住んでいる。
―
「クロエ様、今日は歴史のお勉強ですわ。」
ジェーンがマルチネ先生を連れ部屋に入ってくる。
――いい機会だわ。歴史の先生に聞けば分かるはず。
「今日はこの国の農耕の歴史について勉強いたしましょう。」
「先生、今日はこの国の戦争の歴史を教えていただけませんか?」
「戦争?どうしてですか?」
「どうしたら他国に攻め入られる事なく、この国を存続させられるのか知りたいのです。」
「まぁ、クロエ様はそんなことを知らなくてもいいのですよ。それは王様や偉い人が考えることですから。」
「私が知ることはできないのですか?」
「知る必要がないのですよ。」
先生は優しく笑いながら、諭すように話す。もうそれ以上、教えを乞うことはできなかった。
私の勉強は、他国の言語、刺繍にピアノ、バイオリン、歴史、礼儀作法、ダンスと多岐に渡るが、あくまでも国の政治に関わらない事ばかりだ。教師からは、政治は女の仕事では無いと、当たり障りのない事しか学んでこなかった。
それならと、私は自分で学ぶために勉強の合間の時間を見つけては王宮の図書館に篭り、本を片っ端から手に取る。
この国の歴史は北の大陸からの移民が始まりで、彼らは次第に各地に散って、それぞれ国を興していった。
私のいるランバス国はその中でも歴史ある国だ。この大陸には今や大小二十二の国がある。昔はもっと多かったらしいが、滅びたり併合したり増減を繰り返し今の数になった。
我がランバス王国は大陸の西の端に位置し、この大陸の中では大国だ。肥沃な大地、温暖な気候、国土の半分が海に面し、漁業、農業共に盛んで輸出も多い。
――その豊かな国が、どうしてカザルファー帝国の属国になり他国に侵略をしていったの?
大陸で一番大きなカザルファー帝国は、大陸の中心に位置し、今の皇帝になってから積極的に他国に攻め入り領土を拡大している。
カザルファー帝国とランバス王国との間には多数の国が存在し、帝国に接してはいない。
――お父様はどうして帝国と手を組み、侵略に手を貸すことにしたの?穏和で争いを好む王では決してないはず。お兄様もその気質を受け継いでいるわ。
祖父は勇敢な猛将として歴戦を戦って来たと聞いたが、その役目はお母様の弟である叔父様が受け継いでいる。
――帝国との協定は叔父様が関係しているの?
―
「今から、騎士の訓練施設を見に行きたいの。」
午前中の勉強が無くなった為、前から行きたかった訓練所に行ってみる。
「え?クロエ様、どこへ行くとおっしゃいました?」
「騎士の訓練施設よ。叔父様とお話がしたいの。」
「あ、お待ちください。」
ソニアとマイクが慌てて付いてくる。
騎士の訓練所は城の敷地のすぐ隣にある。
私は早足で歩くが、歩幅も小さくなり中々着けない。
「クロエ様、馬車を用意いたしますので、少しお待ちください。」
「大丈夫よ。すぐそこだから。」
思ったより時間をかけて訓練所に着くと、演習場で行われている基礎訓練を眺める。しっかり行われ、怠けた様子もない。
「叔父様は……、元帥はおられるかしら?」
「元帥でございますか?聞いて参ります。」
マイクが側の建物に入っていく。
元帥は母の弟であり私の叔父にあたる。小さい頃から私をとても可愛がってくれていた。
「執務室におられるそうです。」
「ありがとう。」
兵舎の二階にある執務室へと赴く。叔父は机に向かい書類仕事に追われているようだ。
「モーゼス叔父様、お久しぶりです。」
「クロエ!どうしたんだ?俺に会いに来たのか?」
叔父は書類を放り出すと私に寄り、腰を持って抱き上げる。思わず悲鳴が出そうになるが、私は十歳だったと思い声を抑える。叔父は書類仕事が嫌いなので、私が来てとても嬉しそうだ。次席参謀のマリスがその様子を呆れた様に見ている。
「叔父様にお聞きしたい事があって来たのです。」
「なんだい?何でも聞いてごらん?」
叔父は私を腕に抱いたまま尋ねる。
「父は帝国に与するつもりですか?」
「……。」
叔父は途端に顔を強張らせて、抱き上げた私を見上げている。
「どうして、そんな事を聞くんだい?」
「自国を守る方法を知りたいのです。」
「クロエ、それはお前が心配する事じゃないよ。」
「帝国に与して他国に攻め入っても、いつか報いを受けます。その前に自国の力で帝国に対抗できうる方法を見つけたいのです。」
叔父様は私を下ろすと、まるで見たことのない生き物を見るかのような顔をする。私が、突然変わってしまって戸惑っているのだろう。
「叔父様は帝国に与することに賛成なのですか?」
「いや、……俺は反対だ。」
「では、どうすればいいとお思いですか?」
「……帝国以外の国と同盟を結べばいいと思う。」
「それを、父に進言していただけますか?」
「王は俺の話に耳を傾けない。」
叔父は戸惑いを隠せないようだが、私の話を真面目に聞いて答えてくれている。
「では、……お祖父様なら話を聞いてもらえるでしょうか?」
「そうだな、先王のお言葉なら聞いてくださるだろう。」
――やはりお祖父様と連絡を取らないと。
「叔父様、私に力を貸してくださいますか?」
叔父はまた私を抱き上げるので、今度は私も思わず、「きゃあ!」と声を上げてしまう。
「ははは、可愛い声が聞けた。俺はいつでもクロエの味方だぞ。これから俺たちはチームだ!」
「叔父様、下ろして、ください、」
叔父は私を抱き上げながらクルクルと周り出す。
叔父も国が落とされた時に父を庇って死んでいる。
――もうあんな姿は絶対に見たくないわ。




