1. 王女失格
城の地下深くにある通路を一人歩く。いつの間にかハイヒールは脱げ裸足だ。ひたりひたりと暗い石畳の通路に私の足音だけが聞こえ、時折、天井からピチャンと地下水の落ちる音が響く。
どのくらい歩いたのだろう。後どのくらい歩けば出口に出られるのだろう。手に持つ蝋燭の灯りは心許ない。
立ち止まって後ろを振り返ると、灯の届かない先は深い闇がとぐろを巻いている。もう誰の声も聞こえない。先程までの怒号も叫び声も無く、恐ろしいほど静かだ。
私を通路に押し込めた乳母の顔が目に浮かび、再び涙が頬を伝うが、泣いてはいけないと自分を叱責する。
また先の見えない前を向いて歩き続ける。震える手をぎゅっと握りしめ、裸足の痛みを心に刻み込む。
体が芯まで冷え切り、足の指も感覚が無くなって来た頃、前方に階段が現れた。
階段をゆっくり登ると、先にある扉に耳を付け外の音を確かめる。
掛金を外し重い扉をゆっくりと押し開ける。そこは納骨堂のようだ。
石造りの建物を出ると、墓地の中心に立つ。大きな墓地は月明かりに照らし出されているだけで誰もいない。
ここがどこかも分からない。王女として大切に育てられ、馬車以外で出かけたこともない。もちろん一人で出歩いたことさえない。
振り返ると左遠方の高台に城が見え、夜の闇の中モクモクと煙を上げている。
その様子にまた涙が込み上げるが、眉間に皺を寄せ力を込めて涙を止める。
――この光景をしっかりこの目に焼けつけないと。決して忘れないように。
墓地から見下ろせる王都にはポツリポツリと灯りが灯っている。
城が落ちて民はどうしているのだろう。
私はマントのフードを深く被ると街へと降りていく。街の端にたどり着くと、いくつもの声が聞こえてくる。
「国民に危害を加えるつもりはない。我らが復讐するのは帝国の手先だ。この国は我らの手に落ちた。」
大きな声で呼ばわる男を見る。大柄で身なりは庶民のようだが、服の上に鎧を着けて、体つきからして兵士なのだろう。腰からは剣を下げている。他にも同じような男がたくさんいて、家々に呼びかけているようだ。
帝国の手先。改めてその言葉に震える。我が国は帝国と共に他国を侵略し落としていった。戦争が無ければいいのにと思いこそすれ、そのことに疑問を持つ事も無かった。
彼が侵略された国の王子であり、私と婚約し結婚することも、可哀想な彼を幸せにしたいさえと思っていた。
その彼が結婚式のこの日に城を攻め落とし、祝いに来ていた帝国の皇帝を殺し、そして父と兄も殺した。
彼が笑顔の裏でこの機会をずっと伺っていたのに私は露ほども気づかなかった。
――彼に恨まれて当然なはずなのに、私はなんて無知で愚かだったのだろう。
乳母が持たせてくれた鞄を開けるとパンと水と僅かな小銭が入っている。ウエディングドレスは身代わりの侍女が着ていった。私は代わりに侍女の服を身につけている。有事にはそうするように、乳母は常日頃から心積りをしていたのだろう。
彼女達は今生きているのだろうか。城をもう一度見てみるが、相変わらず黒い煙が月の光を浴びて城を覆い隠そうとしている。
ポケットから地図を出す。ここに行くように言われたが、地図を見ても私にはそこがどこかも分からない。馬車からの景色さえ、うろ覚えだ。
――王女という立場を取った後の私に残るものは、一体なんだろう……。
私と同じ歳くらいの少年が目の前を足早に通り過ぎる。家々は固く扉を閉ざし、出歩いているのは先程の兵士たちだけだ。
「もし、」
少年は首だけ振り返り、私を向いた。
「ここへ行きたいのだけれど。」
私は地図を少年に差し出す。
少年は少し迷ってから、私の方へ戻り地図を覗き込む。
「あっちだ。」
少年は右を指差し短く言うと、すぐに去ってしまった。
私は少年の後ろ姿を見送ると右を見る。街並みがどこまでも続いている。歩を進めるが、辿り着ける気がしない。
地図を見ながら歩いていると、前方から兵士らしい男が二人歩いてくる。
「ちょっと待て。」
私は肩を震わせて立ち止まる。
「どこへ行くんだ?」
「……。」
「どこへ行くと聞いている。」
なんと答えていいのか分からず、私はうつむき黙り込む。
「怪しいな。フードを取れ。」
フードを取れば私が王女だとすぐに分かってしまう。
「薬をもらいに……。」
咄嗟に出た言葉に、兵士は顔を見合わせている。
「どこまで行くんだ?」
私は地図を差し出す。地図にはオスマン薬屋と書かれている。
「ここか、夜道は危ないから付いていこう。」
「いえ、お手を煩わせるわけには。」
「女一人では危ない。遠慮するな。」
二人は私と共に歩き出す。地図の場所に案内してくれるようだ。
家の間を縫い、しばらく歩くと一軒の店の前で立ち止まる。
看板がかかり薬と書かれている。
「薬をもらったら家まで送り届けよう。」
兵士達は私を待つつもりのようだ。
「いえ、今日はここに泊めていただきます。」
「ここで?そうか。」
兵士達は私の言うことを信じたのか頷き合い、私を残し去っていった。
私は胸を撫で下ろし、すぐに店の扉をノックする。
祈るような気持ちで待っていると、扉の向こうから足音が聞こえる。
「どなた?」
「ここへ行くようにと地図をもらって来たの。」
扉が少し開き、中から中年の女性の顔が覗く。
「誰に言われたの?」
「セリアよ。」
乳母の名前を出すと女性は少し目を見開き、扉を大きく開け私に中に入るように促す。
「早く入って。それでセリアは?無事なの?」
私の後ろを首を伸ばして確認しながら女性が問いかける。
「……分からないの。」
「あなた一人で来たの?」
「ええ。」
扉を閉め鍵をかけると、女性は店の奥へと促す。
「あなたは、セリアのご家族なの?」
「セリアの妹のアリアよ。」
セリアは私の乳母として長年勤めてくれたが、セリアの妹が薬屋をしているとは知らなかった。
またしても自分の無知にうんざりする。
奥はダイニングキッチンになっている。
「怪我は無い?まあ、座って。主人が外の様子を見に出かけてるけど、もうすぐ戻ると思うわ。大丈夫、ここにいれば安全だから。」
「北の街に祖母がいるの。そこまで送っていただけないかしら?」
「そうなの。……じゃあ、明日の朝、主人に送ってもらいましょう。今夜はゆっくりするといいわ。」
アリアは私が王女だと気づいていないようだ。
――北の離宮にいるお祖母様の元へ行ければ……。
私に椅子を勧めると、アリアはケトルを火にかける。
「それで、城は、どうなったの?」
アリアは不安気な表情だ。外を歩く兵士の声や城から上がる煙を見て、侵略があったことは分かっているだろう。
「城は、……占拠されたわ。」
その言葉を発するのがやっとだ。今もあの城の中にセリアがいるかもしれないと思うと、彼女にこれ以上の言葉を繋げない。
「そんな、結婚式の日に……。王様や、王子様は?」
「……。」
私は力無く首を振り俯く。
「あなたは侍女をしているの?家は無いの?」
「私は……、」
身分を明かそうか迷っていると、アリアが私の足元を窺う。
「あなた裸足なのね。」
「靴は逃げる時に脱げてしまったわ。」
「待ってて、娘の靴があったと思うわ。」
アリアは奥へと靴を探しにいく。
長いスカートを履いているが、座っているため足は見えている。それに歩けば足が出て裸足だと気づくだろう。先程の兵士達もおかしいと思ったはずだ。
「行かないと、」
あっさり帰った兵士の違和感が分かった。
――早く逃げなければ……。
慌てて立ち上がった時、店の扉が強く叩かれる。
アリアが戻ってきて、ドア越しに「どなた?」と声をかける。
更に激しく扉が叩かれ、外から開けるように男の声がする。彼女も私も固まり動けない。
ケトルのお湯が沸き、蓋がカタカタと音を立てる。
「他に出口は?」
「あ、裏口から。」
裏口に近寄ると同時に、扉が蹴破られ、そこには男が三人立っている。先程の二人と、もう一人は年配で身なりからして上官なのだろう。
上官は私に近づくと、乱暴に私のフードを払う。
「こんなところにおられたんですか?随分、探しましたよ、王女。」
金色の髪が灯りの下に晒され、アリアが息を呑む音が聞こえる。
「やはり、……あなたは美しい。ただ殺すのは惜しいな。」
男に下卑た視線で見つめられ身震いする。私を知っているようだが、私は見たことがない。
「さあ、一緒に来ていただきますよ。」
男は私の左腕を掴むと、ドアの外へと引っ張って行く。
「待って!」
アリアが叫びながら出てくると、他の兵士が彼女に剣の先を向ける。
「なんだ?邪魔をするとお前も連れて行くぞ。」
「止めなさい。彼女は関係ないわ!」
私は剣先を向ける男へ向かおうとするが、掴まれた腕に引き戻される。
アリアは動けず、両手を胸の前で握りしめて私が連れて行かれるのを見ている。
「曹長、王に連絡をしませんと。」
「まだ連絡しなくていい。殺すのはいつでもできるからな。」
曹長と呼ばれた男は私の腰に手を回す。
彼らの王とは、今日、私が結婚するはずだった人だ。何時間か前のことなのに、結婚式が何日も前のことのような錯覚を覚える。
「さあ、馬車へどうぞ。王女様。」
店の前には簡素な木の馬車が停められている。
振り返ると、店の前の道にアリアが膝をつき頭を下げている。
――アリアが無事で良かった。彼女に何かあればセリアに申し訳が立たない。
馬車は街を抜けて、程なく、街外れにある邸宅の門を入って行く。庭の植栽は手入れされず伸び放題で、落ち葉が降り積もっている。ここが彼らのアジトとでも言う場所なのだろう。
ある者は商人の様な格好をして、ある者は農民の様な服を纏い、しかしどの者も服の上には鎧を着け、邸宅の門をたくさんの兵士が出入りし松明が明々と灯っている。
彼らの王は、私の婚約者は、かなりの時間をかけてこれだけの準備を進めてきていたのだろう。
彼がまた遠くに、知らない人になった感覚が過ぎる。
馬車が止まり、またもや曹長に腕を掴まれ下ろされると、扉の開け放たれた玄関から中に引き入れられる。馬車の中で再びフードを被されているため、行き来する兵士は私を気にした様子はない。
玄関ホールは古びた代理石の床がひび割れ、凹凸に足が取られそうになる。あくまでここは人が住むための場所ではなく利用されているようだ。
ホールから続く広い階段を上り切ると、天井まで届く大きな一枚ガラスの窓が、ニ階廊下に月の光を降り注いでいる。
大きな月が私を見ている。
――あの人の瞳と同じ琥珀色の月……。
廊下を右奥に進んだ扉の前で、曹長が立ち止まり、後ろに続いていた部下の二人に手を挙げる。
「お前達、ここはもういい。二人とも巡回に戻れ。」
部下の二人は互いを顔を見合わせ、困惑の色を浮かべている。
「しかし、曹長、王が来られるまでは我々も一緒に、」
「ここは俺一人で十分だと言ってるんだ。命令が聞けないのか?さっさと行け!」
部下の二人は逡巡した後、上司の命令に逆らえないのか、渋々と言う様子で廊下を戻って行く。
「さぁ、王女。中へどうぞ。」
曹長は再び私の腰に手を回すと、扉のノブを回して中へ促す。
部屋の中は広いが簡素な家具が並んでいるだけだ。カーテンは開けられ星明かりが差し込み、無機質な部屋の中を照らしている。
扉が閉められると、静かな部屋にカチャンと鍵のかかる音が高く響き、私の肩がビクンと震える。
後ろから私のフードを剥いだ曹長の荒い息が首筋にかかる。
「王女。いや、……もう王女じゃなかったな。クロエ、この時をずっと夢見てたぜ。」
私の腰を掴み無理矢理振り向かせると、曹長の欲望に満ちた目が薄気味悪く、肌が粟立つ。
彼が今から何をしようとしているのか、私にも知識はある。もう逃げ道はなく、私には身を守る術もない。
曹長の手が私の肩からマントを取り去る。
マントが床に落ちる前に、私は曹長の腰にかけた剣を抜くと、重さでふらつきながらも両手で握りしめて後ろに退く。
「な!」
「止まりなさい!」
曹長は僅かに驚きの表情を見せるが、すぐに口端に笑みを浮かべて私に手を伸ばす。
「そんな物、持ったところで振ることもできないぞ?さぁ、危ないから返せ。」
「あなたの王を呼びなさい。」
私はその手から逃れるように更に後退りをする。
――恥辱を受けるくらいなら、彼に会って殺された方がいい。その前に、一言でも彼の気持ちを聞いてみたい……。
曹長は少し苛立ちを見せながらも、余裕の表情を浮かべて間を詰めてくる。
「王を?王に会ってどうする?命乞いでもするのか?王はお前のことなど、虫けらほどにも思っていやしないさ。」
「……話をしたいだけよ。」
「俺の言うことを聞けば、俺から王に命乞いをしてやろう。さぁ、早く剣をよこせ!」
また伸ばされる手に、私は思いっきり剣を振り上げる。曹長の手を掠めて剣が空を切り、剣の重みで体がよろめく。
「う!……クソ!優しくしてたらつけ上がりやがって!」
赤い雫を滴らせ伸ばされた腕に、私の剣を持つ手が捕まる。
「剣を離せ!」
揉み合いながら、私の手から剣を奪おうと彼の腕が引かれた時、振り上げていた刃が私の首に切り込まれる。
「あっ!」
首筋に鋭い痛みが走り、視界が真っ赤に染まっていく。
体から急激に温かさが奪われていく感覚に、私は崩れるように地面に膝をつく。
「ああ!クソ!クソ!」
返り血で血塗れの曹長が悪態をつき何か言っているが、その声も次第に遠のいて行く。
ゆっくりと床に横たわり、鉛のように冷たくなっていく身体に最後の時を知る。
ーー今からでも、お父様とお兄様の元へ追いつけるかしら。
窓に広がる夜空には、星がいっぱいに瞬いていて、とても綺麗だ。
――せっかくセリアが命懸けで守ってくれた命を終わらせてしまい、私は最後まで王女失格だった………。
目の端に誰かが駆けてくるのが見えるが朧げで誰か分からない。何かを叫んでいるが何も聞こえない。
暗闇が覆いかぶさってくる。




