転生令嬢は不正経理に敏感です〜聖女様でも不正は許しません〜
「ラフレシア、少し良いかい?」
執務室で分厚い帳簿の束と格闘していた私に声をかけてきたのは、兄であり、この王家直属の会計監査室の室長でもあるアルブレヒトだ。金糸の髪に理知的な紫の瞳を持つ、絵に描いたようなエリート貴公子。まあ、身内から見ればただの仕事の鬼だが。
私は優雅な仕草を意識して、ペンを置き、兄に向き直った。
「はい、お兄様。何か御用でしょうか?」
「ああ。急ぎではないんだが、一つ頼みたい案件があってね。これなんだが」
そう言って差し出されたのは、羊皮紙に金の意匠が施された、やけに豪奢なファイルだった。表紙には『聖ルミナス大聖堂・新規プロジェクト「奇跡の泉」に関する予算計画書』とある。
うわ、面倒くさそうなやつ来た。
「……聖女様肝いりの、あの大事業ですわね。小耳に挟んだことはありますがその事業が何か問題でも?」
「いや、計画書も予算の内訳も完璧だ。むしろ、完璧すぎるくらいにね。だからこそ、お前に見て欲しいんだ。定例の監査という名目で」
兄の言葉に、思わずぴんときてしまった。
私の変な相槌に、兄アルブレヒトは苦笑いを浮かべる。
公的な話じゃないなら、まあいいか。時々こうして、兄から厄介事が持ち込まれる私、ラフレシア・フォン・アインツベルクは、転生者である。
前世は、日本の国税庁でマルサの女ならぬ、国税専門官として脱税者と戦い続けた、数字の鬼。今は、代々王家の懐刀として国家予算の監査を担う伯爵家の次女。年相応ではない知識を持つため、神童だと思われているただの元・公務員。権力と調査権限を持つ一般人、それが私だ。
「要するに、粉飾の匂いがするから、わたくしに実地調査してこい、と。そういうことですね?」
「話が早くて助かるよ。僕の方でも裏付けは進めるが、何せ相手は聖域だ。下手に動けん。だが、君なら『純粋な興味』で色々聞き出せるだろう?」
「わたくし、そんなに普段から興味津々なイメージですか?まあ、承知いたしました。面白……やりがいがありそうですわね」
「頼んだよ、ラフレシア」
兄はそう言って、私の肩を軽く叩いて執務室を出ていった。
残された私は、豪奢なファイルを手に取り、その中身に目を通す。
なるほど。寄付金の流れ、資材の調達先、人件費の計上。どれもこれも、非の打ち所がない。まるで教科書のような完璧な帳簿。
だからこそ、胡散臭いのだ。
前世の経験が告げている。完璧すぎる書類の裏には、必ず何かがある。
「ふふっ、良いでしょう。神域だろうと聖女様だろうと、わたくしの前で不正会計は許しませんわ。きっちり、申告漏れを指摘して差し上げます!」
誰に聞かせるともない決意を胸に、私はまず、監査室の資料庫へと向かった。相手を知り、己を知れば百戦危うからず。まずは過去の判例……ではなく、神殿の会計記録の洗い出しからだ。
一週間後。
徹底的に資料を読み込み、金の流れを分析した私は、一人の供を連れて聖ルミナス大聖堂の前に立っていた。
馬車から降りて、天を衝くような白亜の尖塔を見上げる。壮麗なステンドグラスが太陽の光を反射して、神々しいことこの上ない。
「……すごいですね。これだけの建物を維持するだけでも、相当な税金が……いえ、信徒の方々の浄財が使われているのでしょうね」
「ラフレシア様、心の声が漏れております」
冷静にツッコミを入れてきたのは、本日のお目付け役兼、私の部下であるクラウス・シュミットだ。銀縁眼鏡の奥の瞳は常に冷静で、仕事はできるが、超がつくほどの堅物。監査室の若手ホープである。
「あら、ごめんなさい。あまりの荘厳さに、つい原価計算を」
「職業病でしょうが、場所を弁えてください。我々は本日、監査が目的です」
「分かっておりますわ。さあ、参りましょう」
私たちが身分を告げると、待っていたかのように若い神官が駆け寄り、深々と頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、アインツベルク様。神官長のバルトロメウスが応接室にてお待ちです」
案内された応接室は、これまた豪華絢爛。
柔らかな絨毯に、彫刻の施された長椅子。壁には巨大な宗教画が飾られている。
やがて、恰幅のいい壮年の男性が、柔和な笑みを浮かべて入室してきた。彼が神官長のバルトロメウスらしい。
「これはこれは、ラフレシア様。ようこそ。このような辺鄙な場所まで、わざわざご足労いただき恐縮です」
「とんでもないことでございます。本日は、定例の監査手続きに参りました。ご協力に感謝いたしますわ、神官長」
「ええ、もちろんですとも。我々はいつでも、王家と神に誠実でありますからな。何なりとお申し付けください」
にこやかで、非常に協力的。
だが、その目の奥が一瞬だけ、値踏みするように光ったのを私は見逃さなかった。
こいつ、食えない狸ね。
「では早速ですが、プロジェクトの現場を拝見しても?」
「ええ、ええ。ご案内いたしましょう。聖女様も、皆様がいらっしゃるのを心待ちにしておられました」
案内されたのは、大聖堂の裏手にある中庭だった。
中央には巨大な円形の窪地が作られており、多くの作業員たちが石材を運び、水路を掘っている。ここが「奇跡の泉」の建設現場らしい。
その中心で、作業員たちに柔らかな微笑みを向け、水の入った水差しを配っている一人の少女がいた。
陽光を浴びて輝くプラチナブロンドの髪。慈愛に満ちた湖のような翠の瞳。肌は透き通るように白く、その存在自体が奇跡のように美しい。
彼女こそ、この国の至宝、聖女リリアンナ様。
「まあ、ラフレシア様!よくお越しくださいました」
聖女様は私に気づくと、花が綻ぶような笑顔で駆け寄ってきた。
うわ、眩しい。これが本物の聖女オーラ……!
「ごきげんよう、聖女様。本日は監査でお邪魔しておりますの」
「監査だなんて、堅苦しいですわ。この泉は、民の病や怪我を癒すためのもの。完成すれば、きっと多くの方が救われます。ラフレシア様も、ぜひ完成を楽しみにしていてくださいね」
一点の曇りもない、純粋な善意。
この人は、本当に民のことを想っている。それは疑いようがない。
……だからこそ、厄介なのだ。
この手のタイプは、自分が利用されていることに全く気づかない。
「ええ、もちろんですわ。ところで、あちらで資材を運んでいるのは、マルロー商会の方々ですわね。確か、神官長のご親戚が経営なさっているとか」
私が何気ない口調でそう言うと、隣にいたバルトロメウス神官長の眉が、ぴくりと動いた。
「おや、よくご存知で。ええ、私の甥がやっているしがない商会ですが、腕は確かでして。聖女様も、彼の仕事ぶりを大変評価してくださっているのです」
「ええ、マルロー様はとても熱心な方ですわ。寄付もたくさんしてくださいますし」
聖女様が何の気なしに肯定する。
はい、ビンゴ。
事前に調べた資料では、資材の納入業者は複数の商会による競争入札で決定したことになっている。だが、現場で働いているのは特定の商会だけ。そしてその商会は、神官長と繋がっている。
典型的な、身内への利益供与。
「素晴らしいことですわね。ところで、あちらの石材ですが、これは国内の西の鉱山で採れる『月長石』ですわね?神殿の壁にも使われている、非常に硬質で美しい石材だと聞いております」
「はい、左様です。聖なる泉に使うのですから、最高の素材を、と」
「ですが、計画書によりますと、予算に計上されているのは南の鉱山で採れる『大理石』のはず。月長石は大理石の三倍は高価ですのに、どうやって予算内に?」
私の指摘に、神官長の顔からすっと笑みが消えた。
隣にいるクラウスが、眼鏡の位置を直しながら冷静に補足する。
「計画書との齟齬が見られます。ご説明いただけますか、神官長」
「……そ、それはですな、マルロー商会が、聖女様の大事業に感銘を受け、差額分を寄付という形で奉仕してくれたのです。ええ、そうですとも。帳簿に載っていないのも、彼らの謙虚さゆえ。素晴らしい信仰心ですな!」
「まあ、そうなのですか?マルロー様はなんてお優しいのでしょう!」
聖女様が感動したように胸の前で手を組む。
……よくもまあ、スラスラとそんな言い訳が出てくるものだ。
寄付?結構ですわ。だが、その寄付はどこから出ているのかしら?
「素晴らしいお話ですわ。ですが、寄付であるならば、きちんと帳簿に記載し、金の流れを明確にするのが筋ではございませんか?そうでなければ、この差額分がどこから捻出されたのか、我々監査室としては看過できません。最悪の場合、商会への税務調査が必要になりますわね」
「なっ……」
「税務調査」という単語に、神官長の顔が初めてあからさまに歪んだ。
前世で私が何度も口にした、魔法の言葉。効果は絶大だ。
「ラフレシア様、それは……」
「神聖な事業だからこそ、一点の曇りもあってはなりません。信徒の方々からお預かりした大切なお金ですもの。一銅貨たりとも、使途が不明であってはならないのです。そうではございませんか、聖女様?」
私がにっこりと微笑みかけると、聖女様はこくこくと頷いた。
「ええ、もちろんですわ!バルトロメウス、ラフレシア様のおっしゃる通りです。きちんと分かるようにしてくださいませ」
「……は、はい。承知、いたしました」
歯ぎしりするような声で神官長が答える。
第一ラウンドは、こちらの勝利ね。
だが、本丸はこんなものではない。もっと根深い不正が、このプロジェクトには隠されているはずだ。
それから三日間、私たちは神殿に泊まり込みで帳簿の再調査を行った。
神官長はあからさまに非協力的になったが、聖女様の「協力しなさい」という鶴の一声のおかげで、私たちは全ての資料を閲覧する権限を得た。
「ラフレシア様、見てください。この人件費の項目を」
クラウスが指さしたのは、作業員の賃金台帳だ。
そこには、二百名近い作業員の名が連なり、日当が支払われたことになっている。
「何かおかしい?」
「はい。昨日、私が現場で実際に作業していた人員をカウントしたところ、百二十名ほどしかおりませんでした。台帳と八十名もの差異があります」
「……幽霊作業員、というわけね。古典的だけど、悪質な手口だわ」
存在しない作業員をいることにして、その分の人件費を懐に入れる。差額の八十名分は、まるまる誰かのポケットマネーになっている。
「さらに、こちらを。聖女様が各地の教会を慰問される際の旅費ですが、これも相場の倍以上で計上されています」
「宿泊費に食費、馬車のレンタル代……まあ、水増しのオンパレードですわね」
聖女様は純粋な方だから、渡された書類にサインするだけ。まさか自分が不正の片棒を担がされているとは夢にも思っていないだろう。
問題は、この不正で得た金がどこに流れているか、だ。
神官長が私腹を肥やしているだけ?それにしては、額が大きすぎる。まるで、どこかへ「上納」しているかのような……。
「クラウス。マルロー商会の過去五年間の取引記録と、バルトロメウス神官長の個人資産の変動を至急調べてちょうだい。お兄様にも協力をお願いして」
「承知しました。……しかし、よろしいのですか?これ以上深追いすれば、神殿だけでなく、その後ろにいる貴族たちとも事を構えることになります」
堅物のクラウスが、心配そうに私を見る。
「ええ、もちろんよ。わたくしは会計監査官。相手が誰であろうと、不正は見逃さない。それがアインツベルク家の務めですもの」
それに、と私は心の中で付け加える。
――前世でやり残したことがあるのよ。巨悪を眠らせない、ってね!
調査は困難を極めた。
だが、アルブレヒト兄様が裏で手を回してくれたおかげで、私たちはついに決定的な証拠を掴んだ。
マルロー商会から神官長へ、そして神官長から、ある人物へと定期的に多額の金が流れていることを示す、裏帳簿の存在だ。
その金の届け先は――宰相、ゲルハルト公爵。
国のナンバー2だった。
「……なるほど。神殿を隠れ蓑にして、公爵が裏金を作っていた、という構図ね」
全てのピースが繋がった。
宰相は、聖女の敬虔な信者を装い、神官長に取り入った。そして、世間知らずな聖女を看板に巨大プロジェクトを立ち上げさせ、身内の商会に工事を請け負わせる。そこで水増しした金を神官長経由で受け取り、自らの政治資金にしていたのだ。
「奇跡の泉」は、公爵にとっての「金のなる木」だったわけだ。
「どうしますか、ラフレシア様。相手は宰相閣下です。我々監査室の権限だけでは……」
「いいえ、クラウス。権限がないなら、作ればいいのよ」
私はペンを取り、一枚の嘆願書を書き上げた。
宛先は、国王陛下。
内容は、聖ルミナス大聖堂の会計に関する不正調査の最終報告会を開催し、その場に聖女リリアンナ様、宰相ゲルハルト公爵、そして国王陛下ご自身の臨席を賜りたい、というもの。
逃げ道は、与えない。
そして、運命の報告会当日。
場所は王城の一室。円卓を囲むように、国王陛下、聖女様、宰相閣下、そして神官長が席に着いている。その後ろに、私とクラウスが控える。
部屋の空気は、張り詰めていた。
「では、ラフレシア・アインツベルクより、監査の最終報告を申し上げます」
私は立ち上がり、一礼した。
そして、これまでに掴んだ証拠を、一つ一つ淡々と、しかし明確に突きつけていく。
資材の偽装、人件費の水増し、旅費の不正請求。
私が事実を述べるたびに、神官長の顔は青ざめていく。
「……以上が、調査の結果判明した不正の数々です。その総額は、金貨にして五万枚。これは、国家予算の実に2パーセントに相当する額です」
しん、と部屋が静まり返る。
最初に口を開いたのは、宰相だった。
「馬鹿な!神官長、これはどういうことだね!聖女様の大事業で、そのような不敬な真似をしていたとは!」
見事なまでの、トカゲの尻尾切り。
神官長は、わなわなと震えながら宰相を睨みつけている。
「ま、待ってください、閣下!これは、その……」
「だが、レティか……アインツベルク嬢よ。これはあくまで神殿内部の問題。神官長の管理不行き届きが原因であり、プロジェクトそのものに瑕疵はない。神官長を処罰すれば、それで済む話ではないかな?」
あくまで自分は無関係だと言い張るつもりらしい。
だが、そうはいかない。
「いいえ、宰相閣下。問題は、この金貨五万枚がどこへ消えたか、ですわ」
私は最後の切り札である裏帳簿の写しを、テーブルの上に広げた。
「こちらは、マルロー商会から神官長へ、そして神官長から……ゲルハルト公爵、あなた様へと渡った金の流れを記したものです。言い逃れはできませんわ」
「なっ……!そ、それは捏造だ!この小娘が、私を陥れるために!」
宰相が激昂して立ち上がる。
だが、国王陛下が静かに、しかし有無を言わせぬ迫力でそれを制した。
「……宰相。座りなさい」
「へ、陛下!しかし!」
「ラフレシアの報告が真であるか、偽りであるか。それは、これから王直属の騎士団が、そなたの屋敷をくまなく調べれば分かることだ。……分かっておるな?」
陛下の冷徹な言葉に、宰相は崩れるように椅子に座り込んだ。
勝負は、決した。
ずっと黙って話を聞いていた聖女様が、静かに口を開いた。
その翠の瞳は、悲しみに濡れていた。
「……信じて、おりました。バルトロメウスも、ゲルハルト公爵も、皆が善意で、民のために力を貸してくれているのだと。わたくしが……わたくしが、あまりに無知だったせいで、皆様の善意を踏み躙る結果となってしまいました」
そう言って、聖女様は席を立ち、私の前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ラフレシア様。あなたのその曇りなき目が、わたくしと、この国を救ってくださいました。わたくしは、あなた様のような方をこそ、真の友と呼びたい」
「……もったいないお言葉です、聖女様」
まさか聖女様に頭を下げられるとは。
いや、でも、うん。悪い気はしない。
前世では脱税者を追い詰めて感謝されることなんてなかったからな。
事件の顛末は、早かった。
ゲルハルト公爵とバルトロメウス神官長は全ての地位を剥奪され、国庫への賠償を命じられた上で、北の修道院へと幽閉された。マルロー商会も解体。
不正に流れた金は、全て国庫へと戻された。
「奇跡の泉」プロジェクトは、会計体制を刷新した上で、規模を縮小して続行されることになった。聖女様自らが帳簿の勉強を始め、今では私に時々、質問の手紙を送ってくる。
そして私は、国王陛下から直々に呼び出された。
「今回の働き、見事であった、ラフレシア。そなたに褒美を遣わす」
「は。ありがたき幸せにございます」
「うむ。……して、何か望みはあるか?爵位でも、金でも、望むものを与えよう」
私は一瞬考え、そしてにっこりと微笑んだ。
「では陛下、一つだけ。僭越ながら、お願いがございます」
「ほう、申してみよ」
「我が国の相続税法に、いくつか抜け道がございまして。富裕層の資産隠しが横行しております。つきましては、税法改正のための委員会を立ち上げていただきたく……」
私の言葉に、陛下は一瞬きょとんとし、やがて腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは!まこと、そなたは面白い娘よ!よかろう、許可する!存分にやれい!」
こうして、私は王国内に「税制改革諮問委員会」を設立する権利を得た。
面倒事が増えただけ?
いいえ、とんでもない。
これほど面白い仕事はない。
執務室に戻ると、兄が呆れたような、それでいて誇らしげな顔で私を迎えた。
「やれやれ。今度は国中の貴族を敵に回す気かい?」
「あら、お兄様。わたくしはただ、公平な徴税を目指すだけですわ。納税は、国民の義務ですもの」
そう言って笑う私に、兄は新たなファイルを差し出した。
「はい、次のお仕事だ。王立魔術学院の備品購入費、どうもきな臭いらしい」
「まあ!面白くなってまいりましたわ!」
私の戦いは、まだ始まったばかり。
この国から、不正経理と脱税を根絶するその日まで。
転生会計監査官の仕事に、終わりはないのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
あまり見ないジャンルの作品でしたがいかがでしたでしょうか?
よろしければ評価してくださると励みになります!
よろしくお願いします。