第48話 家出少女
ずぶ濡れの唄子を家にあげて、取り敢えずはお風呂に入らせた。
そして今、私は自分の部屋で、私のトレーナーに着替えた唄子と並んでベッドに座っていた。
「いったいどうしたの?」
硬い表情のまま、唄子は唇を結んだ。
「言ってくれないと分かんないよ」
唄子はこんな所でも頑固だ。
話したくないことなのだろうが、聞かないことにはどうすることも出来ない。
「暗くなって来たし、取り敢えず心配するといけないからあんたんちに電話しとくね。家の電話番号教えてくれる?」
「電話なんてしなくっていい」
うつ向いたまま、唄子は声を吐き出した。
「なに? 家の人と喧嘩でもしたの?」
返事はしないものの、唄子は不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
つまり家の誰かと喧嘩して、行くところが無くってここへ来たというわけだ。
「まさか家出ってわけじゃないよね」
「家出よ。悪い?」
何だか突っかかってきた。
子供のような態度だったが、それが何だか可笑しかった。
「馬鹿ねえ。別にいいけど、宿代は貰うからね」
「ケチ。 薄情者」
「悪態つけるんなら大丈夫だね。ちょっと待ってて」
私は一度部屋を出て、温かい紅茶を用意してやった。
「どうぞ」
「ありがと……」
捨てられた猫のようにしょんぼりとした唄子が何だか可愛らしい。
「お母さんに言って、唄子の分のご飯も用意してもらってるから」
「うん……ありがと」
「ねえ、文化祭のボランティア部の出しもの、何にする?」
話を変えてやると、唄子はやっと私の方を見た。
「部室いっぱいに今までの活動を写真入りで展示しようよ。それとさ、海で集めたシーグラス、いっぱい余ってるでしょ。それでアクセサリーを作って販売しない? 活動費が増えるかもよ」
「それ私も考えてた。ドリルで穴を空けるのはちょっとまだ怖いけど、ネットで調べたらああいう手作りのシーグラスって需要があるみたいなんだ」
「ホント? じゃあ売れ残ったらネットで売りさばいちゃおうよ。そしたら毎日帰りにアイスを買えるんじゃない?」
「ハハハ。賛成だけど律子先生に怒られちゃうよ」
部活の話題になって、ようやくいつもの唄子に戻った。
ボランティア部に対する思いは、きっと私以上なのだろう。
「そろそろ、事情を聞かせてくれる?」
「うん……」
気持ちが落ち着いたのか、ようやく唄子はここに突然現れたいきさつを話してくれた。
「学校のことで、お母さんと喧嘩したの」
「学校のことって、ボランティア部のこと?」
「ううん、そうじゃないの」
唄子は少し表情を曇らせて首を横に振った。
「昔からずっとそうだったけど、お母さんは私のすることに何も口出ししないわ」
「クールな人ってこと?」
「ううん、ただ関心が無いだけ。前に言ったでしょ、母はピアノをやっているって」
唄子の家には防音室があり、そこにたいそうなグランドピアノが置かれていた。
「母はピアニストでね、鳴瀬清美って聞いたことはないかしら」
その名前には聞き覚えがあった。
小学校の時にピアノを習っていた先生が、確かそのピアニストと同じ音大出だと言っていた気がする。
「うん。聞いたことあるよ。けっこう有名なピアニストだよね」
「うん。ピアニストとしては駆け出しだった頃、母は遠征先で知り合った声楽家の父と結婚したの。父も母もその業界で認められ活躍するようになった頃に私が生まれた……」
身の上話をし始めた唄子は、どこか淡々としていた。
「生まれた赤子の耳に障害のあることを知った両親はきっと落胆したんでしょうね。歌うどころか会話もできない娘を、二人は愛することができなかった」
重ねた掌が僅かに動く。唄子の感情の揺らぎに私は気付いていた。
「お母さんは私を家政婦に任せっきりにして、お父さんはそんなお母さんに母親の仕事をしろと、しょっちゅう言っていた。いつしかお父さんは仕事場の拠点を海外にして、帰って来なくなったわ。私が東京から母の実家へ引っ越してきたのはそういう理由なの」
淡々とした口調に変化はない。でも掌から伝わって来るその心は痛みに溢れていた。
「彩夏には言って無かったけど、こっちへ転校してきた時点で両親の離婚は成立しててね。こちらの中学卒業後に、私は親権のある父のもとへ行くことになってたの」
「それって、海外ってこと……」
「うん……」
力なく唄子は頷いた。
唄子が遠くに行ってしまう。それがどういう意味なのか、私はただ混乱してしまった。
「私、彩夏と一緒にたくさんの思い出を作ろうって思ってた。音に溢れた世界で、ボランティアをとおして一生分の思い出を作ってやるんだって……」
唄子の眼からポロポロと涙が溢れ出す。
「でも足りないの。今日律子先生の話を聞いて、さらに強くそう思った。彩夏と一緒に前に進みたいって。そして私たちのボランティア部を繋いでいきたいって」
今日の律子先生の言葉は私と唄子の心に響いた。
何にでも真っすぐ向き合う唄子は、たくさんのことを考えたに違いない。
「その気持ちを帰ってすぐにお母さんにぶつけたの。彩夏と一緒に日本の高校に進学したいって。お母さんは何馬鹿なことをって聞き流した。だから……」
「家を飛び出したってわけね」
唄子は律子先生の言葉で行動を起こした。
理由も分かったし、その気持ちも分かった。
けれど、それはどうしようもないことなのだろう。
私は唄子と一緒にいられる時間にタイムリミットがあるということを知って、表には出さないように動揺していた。
「私、諦めない」
「え?」
「笑われようが怒られようが、何度だってぶつかってやる。お母さんに私が本気だって分からせてやる」
ムスッとした顔で拳を握った唄子の決意表明に、私はクスっと笑ってしまった。
「唄子らしいね」
それから私は唄子を説得して、美津江さんに一晩泊りますと電話をしておいた。
遅くまで部活の話で盛り上がった唄子と私のお泊り会は、私たちの鮮やかな思い出の一頁となった。




