第43話 夏の終わり
「終わったねー」
「終わった。けっこうギリギリだったよね」
夏休みをあと三日残して、私と唄子は夏休みの課題を全て終えた。
冷房の効いた私の部屋で、唄子と私は体を伸ばす。
「もうあと三日かー」
この夏休み、唄子と私は、ほとんど毎日のように顔を合わせて、行動を共にしていた。
一方、野球部と兼部している康太は、合宿以降、試合の予定が入り、あまり来れなくなった。
あとで聞いた話だが、あの合宿も、親と監督に頭を下げてようやく参加させてもらえたらしい。
運動部との兼部はやはり難しいということなのだろう。
「山田君、惜しかったね」
「えっと、どっちが?」
どっちが? と聞いたのは、思い当たることが二つあったからだ。
一つはあのビーチフラッグス。
もう一つは、週末に行われた他校との交流試合だった。
夏休みも終盤に差し掛かった頃、私たちの住む町では毎年恒例の夏祭りが地元の神社で行われる。
先輩たちに誘われ、今年は風ノ巻ボランティア部のメンバーで夜店の屋台を周った。
その時に康太から、次の日曜日に試合があることを聞かされ、それなら応援しに行こうと、私たちは野球部の試合を観戦しに行くことになった。
と言っても風ノ巻中のグランドで行われた試合だったので、別にわざわざどこかへ出向いたわけでは無い。
だが、炎天下の中での弱小野球部同士の試合は怖ろしく退屈で、とにかく長かった。
律子先生も山田君が出るならと、顔を出してくれたが、試合中盤で帰りたそうにしていた。
それでも、打って打たれての熱い試合ならば、集中できたと思う。
だが弱小野球部同士の試合はエラーしてエラーされてのグダグダで、ただでさえ観ていられないひどい有様なのに、試合はさらに延長戦にもつれ込んだ。
猛暑の中で私たちは、まるで忍耐の限界を試されているかのようだった。
だが12回、1点リードされた裏の回で、私はハッとする光景を目にした。
「イケーコータ!」
「山田君ガンバレ!」
打たなければ負けという場面で、康太の打順が回って来た。
私と先輩たちが黄色い声援を送る中、ここで声を出すわけにはいかない唄子は汗ばむ手で私の腕を握っていた。
「根性見せろー!」
唄子の分も合わせて、私は声を張り上げる。
打席に入った康太は、別人のように集中していた。
そして、相手ピッチャーが腕を振り抜く。
「ットライーク」
疲労で降板したエースからボールを引き継いだピッチャーは、かなり調子良さそうだ。
あっという間に追い込まれた康太は、次のボール球を見送り、その次の球を振り抜いた。
キン!
振り抜いた金属バットが白球をはじき返した。
「当たった……」
その打球の鋭さに、ベンチの少年たちだけでなく、観戦していた私たちも一斉に立ち上がった。
ライナー線の球は、ライト方向に放物線を描きながら飛んで行く。
そして、グランドの誰もが注目したボールは、ファールとの境界ギリギリでフェンスを越えた。
「ホームラン……なの……」
私たちは審判の動きに注目する。
バッターボックスの康太もバットを持ったまま審判に目を向けていた。
「ファール!」
審判が大きく手をファール側に振った。
残念がるメンバーに目を向けることなく、康太は再びバットを構えた。
「もう一本!」
思わず私は声を上げていた。
次の一球で少年の夏は終わるだろう。
夕暮れ時にいつも庭の片隅でバットを振っていた少年。
ずっと負け続けた君がヒーローになる瞬間を、私は見てみたいんだ。
キン!
振り抜いたバットに当たった白球が空に舞い上がっていく。
そのままどこまでも、どこまでも飛んでいけ。
私は青い空に舞い上がった逆光のボールを目で追いかけながらそう願ったのだった。
遠くで聴こえる蝉の声。
眼に痛いほどの陽射し。
残暑で制服が汗ばむ夏休みの教室で、窓から入って来る風だけが、心なしかほんの少しだけ涼しくなった。
夏休みの最終日、唄子と私はボランティア部の部室で、夏休みに行った奉仕活動の記録をまとめていた。
「これでよしっと」
活動記録ノートは、文章だけではなく写真も載せて、アルバム調にしておいた。
実績をこうして残しておくことは、引き継いでいく後輩の為にもなる。律子先生にそう言われたけれど、私たちに続く後輩なんて現れるのだろうか。
「こうして見ると、充実した夏休みだったね」
唄子が頁をめくりながら、楽し気に回想する。
「そうだね。人形劇に合宿でしょ。それからお盆過ぎに清掃活動に二つ参加して、それから……」
唄子の開いた頁には、野球部の集合写真が貼られていた。
野球部の応援という奉仕活動として、私はあの日の写真を活動記録として残しておくことにした。
そこには悔し涙を流したあとの幼馴染が写っていた。
空へと舞い上がったあの白球は、センターを守っていた少年のグラブの中に納まった。
またヒーローになることの叶わなかった少年は、あのまましばらく空を見上げていた。
揺らめく陽炎の中で見たあの姿を、私はきっと忘れないだろう。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
唄子と私は教室を出て、保健室の律子先生に部室の鍵を返却する。
「明日から二学期ね」
先生にさようならを言って校舎を出ると、野球部の練習を終えた康太が私たちを待っていた。
最近はこんな感じで帰りに合流することが多くなった。
「アーちゃん、鳴瀬さん、お疲れ様」
「山田君もお疲れ様」
人見知りの康太も、男子にあんまり免疫のない唄子も、近頃は結構普通に話せるようになった。
「さ、帰ろっか」
通学路の途中にある駄菓子屋でアイスを買い、私たち三人は歩きながら他愛のないお喋りをする。
バスに乗った唄子を、手を振って見送ったあと、私と康太は家へと続く歩き慣れた坂道を上がっていく。
「夏休み、終わったね」
まだそこかしこに残る夏の空気を吸い込んだあと、隣を歩く康太が呟くように言った。
「そうだね。なんだかあっという間だったね」
何もかもが思い出深い、素敵な色に彩られた夏休みだった。
カラフルで特別な親友、初めてできた先輩たち、見た目優雅な面白い先生、そしてこの健康的に日焼けした幼馴染。
みんながいて、みんなで作り上げた特別な夏休みだった。
「ねえ、コータ」
歩みを進める幼馴染を私は引き留めた。
脚を止めた康太に、私はグッと握った手を突き出す。
「手、出して」
「え?」
「いいから手、出して」
康太が差し出した掌に、私は掌に握っていたものを載せた。
「これは……」
驚いたような表情で、康太は掌に納まった手作りのストラップに目を落とした。
あの砂浜で拾った緑色のシーグラスで作ったストラップだった。
「その、先輩に作るついでにね……まあ、コータもうちの部員なわけだし、それに私、部長だし、みんな平等にしとかないととか思ってさ、ハハハ……」
何となく言い訳がましくなってる。
別に悪いことをしているわけでもないのに、どうしてなのかな……
「とても綺麗だね」
まだ高いお日様に、康太は緑色のシーグラスを掲げてみる。
「穴を空けて紐を通すの、難しかったんじゃない?」
「技術室のドリルでね。まあ緊張したけど、けっこう上手く出来たんだ」
日焼けした幼馴染の頬がほんのりと赤い。
「二等賞の賞品だよ」
私がそう言うと、一度も一番になれなかった少年は、嬉しそうに目を細めた。
「一等賞より、ずっと嬉しいよ」
蝉の声が一瞬消えた。
「ありがとう。大切にするね」
幼馴染のはにかんだ笑顔を、ただ私は見つめる。
こうして私の夏休みは、また一つ思い出を残して終わったのだった。




