第4話 いつしか友達
「ここだよ」
ささやかな住宅街の坂の途中にある自宅に到着して、私は玄関を開けた。
「おかえりなさい」
昼間パートに出ている母も、この時間には帰宅している。
台所から出て来た母は、娘の連れて来たクラスメートを、小さな驚きとともに迎え入れた。
「あら、お友達連れて来たの?」
友達を家に連れて来るのは、多分小学校以来だ。
学校で親しい友人がいないことを、母には見透かされていたに違いない。
「同じクラスの子? お名前は?」
母は娘の交友関係に関心があるようだ。
恐らく唄子は母の唇の動きを読んで、質問を理解している。
しかし、私に触れていない状態では唄子は声をうまく発することが出来ない。
この場合、どうするべきなのだろう。
こうなることは予想できたはずなのに、選ぶべき行動を用意していなかった。
母は唄子が聴覚にハンデがあることを知らない。つまり、ここで唄子が普通に自己紹介をしてしまったら、母は彼女のことを普通の子であると認識する。
もし後で母が彼女に関する事実を知ってしまったら、どう説明したらいいのだろう。
僅かな時間の間にあれこれ考えを巡らせていた私の腕を、背後にいた唄子はグッと掴んできた。
その瞬間に視界に映る全てが、初めて見る色彩に彩られる。
「初めまして。私、彩夏さんと同じクラスの鳴瀬唄子と申します」
カラーになってしまった母に驚きを覚えるのと同時に、ゆっくりとだが堂々と自己紹介をした唄子の大胆さに、私は呆気に取られた。
あれほど慎重に行動しようと言っていた張本人が、掌を返したように大胆な行動に出ている。
「いらっしゃい、鳴瀬さん。ゆっくりしていって頂戴ね」
「はい。ありがとうございます」
完璧に母を欺いた唄子を、私は急いで自分の部屋へと案内した。
そして、唄子を部屋へ通してすぐに、私はその腕を掴んで問い詰めた。
「どうゆうつもり?」
「どうって?」
唄子は私の顔を不思議そうに見る。
「あんなに堂々と自己紹介して、お母さん、鳴瀬さんのこと普通だって思ってるよ」
「それでいいのよ」
唄子は釈然としない私に、丁寧に明快な説明をする。
「私たちは自分たちに起こったことを解明していかないといけないでしょ。こうして話し合いをしていれば、家の人に声を聞かれることもあるかも。もし私を耳が不自由だと紹介していたら、どうして部屋の中でお喋りしているのかと不審がられるんじゃない?」
「フンフン。確かにそうだわ」
「それに、あとでハンデがあるって分かったとしても、普段は補聴器を付けてるって言えばいいだけでしょ」
唄子はよく気の回る子のようだ。いや、単に自分がうっかりなだけなのかも知れない。
「そうならそうと先に言っといてよ。狼狽えちゃったじゃない」
「フフフ。ごめんね」
帰宅早々吃驚させられた私とは逆に、唄子はどこか楽しげだった。
「まあそれとね、一度声に出して自己紹介してみたかったんだ。ちょっと新しい経験させてもらっちゃった」
「へえ、それはようございましたね」
まるで小さな子供のようだ。
私は率直にそう思った。
そして、彼女は自分を映す鏡でもある。
唄子に触れていることで、いま私は自分の部屋の色を初めて目にしていた。
自分にとって全く意味の無かった色。
モノトーンでも良かった私の部屋は、意外とカラフルだった。
見慣れた白いレースのカーテン以外はみんな色がある。
でも、自分にはその色たちの名前が分からない。
私は初めて出会う部屋の色の名前を唄子に尋ねた。
「あれは何色なの?」
唄子は私の言いたいことをすぐに理解してくれたようで、そこにある色の名前を順番に言っていった。
「壁紙は薄いピンク色、掛け布団の花柄はマリンブルー、クッションはモスグリーン」
そして、十三年目にしてようやく、昔からベッドに居座っているクマのぬいぐるみの色が、パステルピンクであることを知った。
小さいころ何度も抱き締めて眠った、お気に入りのあいつの色がわかって、私は小さな感動を覚えてしまう。
「可愛い部屋だね」
唄子にそう言われて、素直にありがとうと返せなかった。
この部屋の色を選んだのは殆ど母だ。意味を成さないと分かっていながら、母は娘の部屋を女の子らしい素敵な色で彩ってくれていた。
そのことに気付いてしまった私は、カラフルに彩られた視界を通してさらに見えるものがあることを知った。
「あっ、そうだ!」
部屋を見回していた私は、前々から気になっていたことを思い出した。
私の視線の先には姿見のために掛けてある鏡があった。
唄子は意図を察して、鏡の前へ私の手を引いてゆく。
「カラーの自分とご対面だね」
「そうだね……」
毎朝家を出る前に、私はこの鏡で身だしなみを整えている。
見慣れた鏡ではあったけれど、今初めて色のついた自分の姿と向き合った。
「こんな感じかー」
ショートボブの黒髪の下には、思ってたよりも日焼けした顔。
色白の唄子と並んでみると、何だか見劣りしていた。
そして、これは色とは関係ないけれど、細面の輪郭の唄子に対し、私はちょっと丸顔。それと身長も少しだけ負けていた。
あと唇の色も健康的な色ではあるものの、少し濃くって、綺麗な薄紅色の唄子の唇に完敗していた。
でも眼はパッチリしてて綺麗な方かも……。
チャームポイントを無理やり見つけて、私は何度か瞼をパチパチさせる。
「ねえ志藤さん、お取込み中の所悪いんだけど、そろそろ本題に入らない?」
「あ、そうだね。そうしようよ」
唄子を家に招いたのは、自分たちに起こった不可解な出来事を解明するためだ。
鏡の前で目をパチパチさせていた私は、こっぱずかしさを誤魔化すように「へへへ」と照れ笑いをする。
そして、二人は学校の昼休みにそうしているように、向かい合わせではなく、座卓の前に並んで座った。
「えっと、それでどうする?」
ここから先は特に何をするか決めていない。
気兼ねなく話せる時間と場所の確保という目的を達成した二人は、なんとなく沈黙してしまう。
「一応、これを使おうかな」
もう調べ尽くしてはいたが、机の上に置きっぱなしにしてあるノートパソコンを座卓の上に置いて、電源を入れた。
「うわ、めっちゃカラフル」
唄子と肩が触れていることで、パソコンの画面が想像以上にカラフルだったことを知った。
「そうよね。今まで画面の色、わからなかったよね」
私が小さな感動に浸っていると、トントンとドアをノックして母が顔を覗かせた。
「彩夏、飲み物とお菓子持って来たわよ。あら、二人とも仲がいいのね」
肩を寄せ合って座っていた二人をひと目見て、カラーの母はちょっと驚いたようなリアクションを見せた。
「学校でもそんな感じなの?」
座卓の上にお茶とお菓子を並べながら、母は唄子の顔をチラチラと窺う。
親ならば、娘に出来た新しい友達に関心を持ってしまうのは、きっと当たり前のことなのだろう。
そう心の中で納得しながら、カラーになった母の顔がどうにも珍しくて、ついつい観察してしまう。
「お昼ご飯はいつもこうして並んで食べてます。時々おかずの交換をしたりして」
「あら、そうなの?」
唄子のその雄弁さに驚きと戸惑いを覚えつつ、私は母に気付かれぬよう小さく指で脇腹を小突いた。
「えっと、私たち今から、ちょっとミーティングするんだよね」
何となく早く出て行って欲しい感を出している娘に、ちょっと遠慮を覗かせた母は、少し名残惜しそうに部屋を出て行った。
「もう、あんまり余計なこと言わないで」
「どうして? みんな本当のことでしょ」
唄子は全く悪びれた様子もない。
やっぱりこの子、お喋りだ。
私はコップの麦茶に口を付ける横顔を見ながら、そう確信したのだった。
それから私たちは真剣に、いま自分たちに起こっている不可思議について話し合った。
いったい何故、どうして、お互いのハンデがこのように克服されてしまうのか。
あらためてノートパソコンに向かって、医学や科学の方面を検索してみたけれども、やはりそれらしい事例はどこにも見つからなかった。
「やっぱり駄目だわ。急に色覚が戻ったり音が聴こえるようになったって事例はあるけれども、私たちに起こったこととは全く違うみたい」
突然抱えていたハンデが回復した例は確かにあった。しかしそのいずれも、もともとそのハンデが心因性のものであったといった内容で、自分たちに当て嵌るものではなかった。
「志藤さん、少し代わってもらってもいい?」
「うん、いいけど」
お尻をずらして場所を譲ると、唄子は滑らかなブラインドタッチで四つの文字を打ち込んだ。
「超常現象?」
「ええ、説明のつかない現象の類は、全てこの範疇にあるのではないかしら」
それから怪しげなサイトをどんどん覗いていき、二人の話はどんどんオカルティックな方向に進んで行った。
そして陽が傾き、眼も疲れだしてきた頃、これまた怪しげなサイトに載せてあった一文を唄子は読み上げた。
「精神感応。所謂テレパシーと呼ばれる超能力に目覚めたものは、対象の精神的波長と同調し、その思考を読み取ったり、感覚を自らのものとすることが出来る……」
真面目な顔で読み上げた唄子に、どうしようもなく笑いが込み上げてきた。
「プッ」
悪いと思いつつ、たまらず私は吹き出してしまった。
「なによ……」
やや顔を赤らめ、唄子は口を尖らせる。
「いや、ごめん。で、でも私たちが超能力者って鳴瀬さんは言いたいのよね……ヒヒヒ……」
「あ、あくまでも可能性の話よ。別に私だってそこまで思ってないんだから……」
何だか必死で否定している。その唄子の表情が堪らなく面白くて、もうちょっと弄ってみたくなった。
「もしかして、今だにアニメの魔法少女とかに憧れてない?」
「なに? 私が中二病だって言いたいの?」
「思ってない思ってない。でもいいと思うよ。私たち中学生だし」
「やっぱり思ってるんじゃない!」
脱線してしまった謎の究明。
いつの間にか、涼やかな声で話す少女の表情が、ずいぶんと柔らかくなった。
体の一部が触れていれば、こうして色のある世界で友達と楽しい時間を過ごすことが出来るのだ。
そうか、私、友達が出来たんだ。
中二病を必死で否定するカラフルな友達は、思っていたよりもお喋りで、思っていたよりも明るい笑顔で笑う女の子だった。




