第29話 人形劇最終日
「あんた本当に良かったの?」
家へと続く夕日の坂道を辿りながら、私は隣を歩く康太にあらためて尋ねた。
「野球部の練習、大丈夫なの?」
「まあ、試合もないし。いいんじゃないかな」
康太は私の歩幅に合わせるように、緩やかな坂道をゆっくりとした足取りで進んで行く。
毎日素振りを欠かさない野球馬鹿が、行動を共にしていることに、私はどうしても戸惑いを感じてしまう。
「まあコータがいいって言うんなら、私は構わないけど……」
康太がボランティアサークルの手伝いを始めてから、私たちはこうして二人で帰っている。
家がすぐ近くなので一緒に帰らない方が不自然なわけだが、長い間一緒に帰ったことが無かったので、こうしているのは何だかしっくりこない。
特に話が弾むでもなく、こうして家路を並んで辿っていることを、康太はどう感じているのだろう。
「50点、取れたかな」
唐突にそう口に出した康太に、私はやや反応が遅れた。
「ああ、今日私が言ってたやつね。うん。50点ちゃんとクリアしてたよ」
「良かった。アーちゃんはナレーション、一回も嚙まずに行けたよね」
「私、本番に強い方なの。知ってるでしょ」
サークル活動を通し共通の話題ができたことで、長い間挨拶程度しか話をしなかった幼馴染と、こうして普通にお喋りしてる。
自然と疎遠になっていくはずの相手とこうしているのは、何に対しても積極的な唄子が起こした波紋が広がったからだ。
何気ない会話を交わしながら、縁というものの奥深さを私は感じてしまっていた。
三日後、二回目の保育園訪問日がやって来た。
今回訪問する保育園は前回よりも少し遠かったが、律子先生が車を出してくれたおかげで、移動は前よりも快適だった。
一人だけ初体験の唄子は、移動中から全身に緊張感を漂わせつつ、やる気をみなぎらせていた。
そして、二回目の本番が始まった。
「鏡よ、鏡、この世で一番美しいのは誰?」
「それは、白雪姫です」
実は今回の上演から、妃役はこの葉先輩に代わった。
そして、前回この葉先輩が演じていた白雪姫は、唄子に引き継がれた。
もともと声質がしっくり来ていた唄子が白雪姫に抜擢されていたので、これで元に戻ったということだ。
先輩から主役を引き継いだ唄子は、緊張を顔に出しながらも、持ち前の集中力を発揮して役を演じていく。
髪の毛で限界突破をしている唄子は、まるで歌うように滑らかに台詞を紡いでいった。
彼女のストイックさは、近くで見て来た私が良く知っている。きっとイメージの中で何度も何度も繰り返して、この日のために唄子は練習してきたに違いない。
そして、二回目の人形劇は、初回と同じかそれ以上に盛り上がりを見せ、私たちは子供たちにたくさんの拍手をもらったのだった。
二回目の上演も成功と言える結果で終え、新生ボランティアサークルは二日後、最後の保育園を訪問した。
入念に準備し、たくさんの練習をした人形劇。
これで終わってしまうのが、何だか名残惜しかった。
舞台の準備中、開演前にそんなことを考えていた私の背中を、瑞希先輩はポンと軽く叩いた。
「気合入れて行こうね」
「あ、はい」
そして舞台の準備を終えた私たちは、いつもの円陣を作った。
「さあ、いくよ。風ノ巻ー、ファイトー!」
「オー!」
教室に、心を一つにした私たちの声が広がった。
劇が始まると、賑やかだった園児たちの声はピタリと止んだ。
導入の部分で子供達を惹きつけて、劇は進行していく。
三日目にしてさらに完成度を高めた人形劇は、中盤へと入って行った。
「森の奥へと向かった白雪姫は、そこで一軒のおうちを見つけました。そこは七人の小人の住むおうちだったのです」
私がナレーションを入れたタイミングで一度幕を下ろす。
私たちは急いで、舞台を森から小人の家の中へと切り替える。
よし。今までで一番スムーズに切り替えれた。
そして再び幕が上がり、私はナレーションを再開する。
「家の中は小さくて可愛い物ばかりでした。疲れていた白雪姫はつい眠ってしまいました。やがて仕事を終えた小人たちが帰ってきました」
白雪姫と七人の小人が対面する場面。ナレーションをしている私以外の手を全部使って劇は進行していく。
「おやおや、君はいったい誰なんだい?」
「あら、わたし眠ってしまったのね。勝手にお邪魔してごめんなさい。私は白雪姫と言います」
良く通る唄子の声は、きっと本物の白雪姫のように園児たちには聴こえているだろう。
私と唄子は髪の毛の端と端を摘まんで限界突破しているので、私は唄子の動きに合わせるよう距離を測りながらナレーションを続ける。
「それから、話を聞いた小人たちは、すっかり白雪姫が可哀そうになったのです」
ここからは小人役の台詞だ。
瑞希先輩とこの葉先輩、そして康太が台詞を繋いでいく。
「それならここで暮らせばいいよ」
「それがいい。料理は出来るかい?」
「洗濯や掃除も頼めるかな?」
小人たちが白雪姫の傍に集まって来る。
その時、カラーだった私の視界は突然モノクロになった。




