第23話 唄子の家
期末テストの初日。
教室に唄子の姿は無かった。
テスト終了後、すぐに連絡を入れると、しばらくしてから「今病院だから」と返信があった。
それから夕方になって、明日のテスト勉強をしている時にようやく「明日は学校に行くから」と、唄子から短いメッセージが入った。
そうか、明日は学校に来れるのか。
私は少し安堵した。
少なくとも流感などの質の悪いものでは無さそうだ。
恐らく人形劇の準備に根を詰めてしまい、体調を壊したのだろう。
テスト勉強をしていた時も、そのことばかりを考えていたようだし、あの子ならやりかねない。
体育大会の前にえげつない走り込みに付き合わされた経緯のある私には、いつかこうなる予感が頭のどこかにあった。
「何でも全力でやり過ぎるのよ……」
「ムリしないでね」と返信を送り、私はベッドに仰向けになる。
「あの子、追試確定だな……」
ちょっと可愛そうに思いつつ、私はテスト勉強を再開した。
翌日、唄子はマスク姿で教室に現れた。
教室にいるときは、当然私たちは会話をしない。
隣の席で鞄を置いた唄子に、私は覚えたての手話で「大丈夫?」と尋ねてみた。
すると、唄子は何だか辛そうな感じだったが、拳を作りグッと親指を立てて見せた。
それからテスト最終日まで、唄子はマスク姿で登校した。
やがて全教科のテストが終わって、教室にけだるげな平常授業が戻った。
月が替わって七月になった教室。席に着いた私の耳には夏休みの話題がチラホラと聴こえてくる。
そして、そんな少し浮かれた教室に、唄子の姿は無かった。
バス停を下りて、私は結構な急坂を辿っていた。
いま私は唄子の家へと向かっている。
今日配られたプリントを手渡すという建前で、学校が終わってすぐ、唄子の様子を見に来たのだ。
そして、以前唄子のから聞かされていたとおり、家は坂の途中にあった。
「しかし……」
私は大きな門構えの屋敷の前でインターフォンを押すのを躊躇っていた。
他に家もないし、表札に鳴瀬と上がっているのでここに間違いない。だが……。
「家、デカすぎるだろ……」
背の高い白い塀に囲まれた屋敷の全貌を見ることは出来ないが、豪邸であることに間違いない。
それでもここまで来て引き返すわけにもいかず、私はそおっとインターフォンのボタンを押した。
「はい」
母親だろうか。返答はすぐに帰って来た。
「あ、あの、私、鳴瀬さんと同じクラスの志藤彩夏と言います。今日配られたプリントを持ってきまして……」
「お待ちください」
しばらくすると、大きくて重そうな門ではなく、その隣にある普通のサイズの木戸が開いて、なんだか上品な感じの初老の夫人が出て来た。
「わざわざすみません。ささ、こちらからどうぞ」
「あ、はい。失礼します」
夫人に続いて、よく手入れされた広い庭を抜けて、私は屋敷の中へと案内された。
すると、広い玄関にパジャマ姿の唄子が待っていた。
唄子は手話を使って「いらっしゃい」と表現した。
「なんだ、元気そうじゃない」
拍子抜けしたような声を上げた私に、唄子は可笑しそうな顔を向ける。
「お嬢様、お茶菓子はどちらに?」
夫人が手話を交えて唄子に聞くと、唄子は滑らかな手話を夫人に返した。
「承知いたしました」
重厚な螺旋階段を上がり、私は唄子の部屋へと通された。
部屋に入ってすぐに、私は唄子の腕を掴む。
「家デカすぎ! それと、あんたお嬢様だったの?」
「まあ、そんな感じなのかな」
唄子は少し困ったような顔を見せた。
お嬢様という呼ばれ方に抵抗がある。そんな風に窺えた。
「で、あの人はお手伝いさん?」
「うん。この家にずっと仕えていた家政婦さんで、祖父が亡くなった後、他の家政婦さんはこの家を出たんだけど、美津江さんだけは残ったの」
「ふーん、美津江さんって言うんだ」
名前で呼んだ唄子の口調に、なんとなく彼女に対する親しみが感じられた。
「それで、なんで休んだの? 元気そうじゃない」
「ああ、起きられなかったの。テスト中ずっと微熱があって、昨日帰ってからベッドに潜り込んで、気が付けば今日のお昼になってた。美津江さんも私の体調を察して起こさなかったみたい」
「爆睡ってやつね。それより、熱があるのにテスト受けてたの? 駄目じゃない」
「そこは根性で乗り切ったわけよ。その反動で寝すぎたけど、お陰で今は爽快よ」
出た、根性論。唄子はこうゆうとこ男子っぽい。
「あんたが熱を出した原因はあれでしょ」
私は大きなベッドに無造作に置かれてある作りかけの人形を指さした。
「へへへ、まあそうゆうこと」
「駄目じゃない。律子先生も言ってたでしょ。テスト期間中は人形制作禁止って」
「面目ない」
意外と素直に謝った。
頑固者の唄子も、流石にテストを一日休んだことについては反省しているようだ。
トントントン
ノックの後にドアが開いて、先程の夫人がお盆を持って部屋に入ってきた。
「ご学友の方が来られると分かってましたら、ケーキなどでもご用意しましたのに」
お茶とお菓子を優雅な物腰でテーブルに並べる夫人は、いかにもプロといった感じだった。
「プリント持って来ただけですから、ホントお構いなく」
ご学友なんて、ちょっと高級な感じの扱いに、私はどうも恐縮してしまう。
「ごゆっくりなさっていって下さい。私はこれから一時間ほど買い物に出ますので、その間お嬢様を宜しくお願いします」
「あ、はい。わかりました」
夫人が部屋を出て行ったあと、淹れてくれた香り高い紅茶を頂きながら、私はちょっと考えさせられた。
「あの家政婦さん、いきなりやって来た同級生に、相当気を許している感じだったわね」
「普段から美津江さんには彩夏のこと、よく話してるからね。勿論手話でだけど」
「ふーん」
「お友達連れてきたらって美津江さんには言われてたから。彩夏が来てくれて丁度良かったって感じかな」
唄子は口を付けていたカップをカップソーサーに置くと、スッと席を立って窓側へと足を向けた。
「美津江さん、今車で出て行ったわ」
そして唄子は私を振り返り、子供っぽい笑顔を浮かべた。
「付いてきて」
そのまま部屋を出ると、唄子は少し速足で私の手を引いて螺旋階段を降りて行った。
「なに? どうしたの?」
「いいから付いて来て。ちょっと彩夏にお願いしたいことがあるの」
弾むような唄子の声に、私は心の中で「またか……」と呟いていた。




