第16話 特別な能力
男の子の指さした砂浜の奥には、大人でも入って行けそうにない急斜面の岩があり、行く手を阻んでいた。
「本当にここ? どう見たって子供じゃ向こうに行けそうにないけど」
確かに唄子が言うように、そう考えるのが普通だ。
「そうね……」
とうせんぼをしている岩の前で、私たちがしばらく悩んでいると、律子先生が走って追いついてきた。
「ハアハア、どうしたのあなたたち、こんなとこに来て」
「航大君、カニを探してたって言ってたから……それで、砂浜にいた男の子に聞いたら、カニをこっちで捕まえたって」
「それでか……でもこの岩があるから向こうには行けそうにないわよ。さっきボランティアの男の人たちも諦めて戻ってきたし」
そして、先生は一度みんなと合流しようと私たちを促した。
しかし、どうしても私には何かが引っ掛かっていた。
「先生待って」
私は砂浜に目を凝らす。少し陽の傾いた砂浜が、私の引っ掛かりを浮き上がらせていることに気が付いたのだ。
「わかり辛いけど、大きな足跡の中に小さな足跡があります」
「足跡?」
ボランティアの人たちが残して行った足跡の中に、明らかに小さな、子供のものと思しき足跡が残っていた。
私がそれらを指さすと、先生と唄子はじっと目を凝してしばらく集中した。
「ごめん、彩夏。私には良く分からないわ」
「私も。本当にそんなのがあるのかしら」
どうやら二人には識別できないようだ。
でもどういう訳か、私にはそれがはっきり見える。
太陽が傾いたせいで、砂浜には多数の足跡の陰影が浮かび上がっていた。
その中で明らかに小さな足跡。
体重が軽い幼児の残した独特な足跡だった。
「こっちよ」
小さな足跡は海から遠ざかるように続いていた。
私は痕跡を辿り、波打ち際から離れた草むらの前で脚を止めた。
「ここで足跡は途絶えてる」
左手に続く草むらには、僅かに誰かが通ったような跡があった。
「多分ここから迂回して岩場に出たんだわ」
恐らく地元の子供達が岩場に出るために通る、道と呼べない様な草むらの小路。
踏まれて勝手に出来上がったその道を、私たちは進んで行った。
すると、いきなり視界が開け、岩壁に阻まれていたその向こう側に出ることができた。
「さあ、探しましょう」
足場が悪い岩場に出た私たちは、二手に分かれて慎重に探していった。
いつの間にか少し風が出て来た。
高くなった波が、私たちの邪魔をする。
「こうだいくーん!」
いくら呼んでも返事は帰って来ない。声が届いていないのか、それとも、この場所ではなかったのか。
しばらくしてから合流した先生は、残念そうに首を横に振った。
「ここじゃないのかも知れない。波も高くなって来たし、そろそろ戻りましょう」
唄子は唇を結んでうつむいていた。
私と同じように唄子も自分の力のなさに、ただ肩を落としていた。
「さあ、もう行きましょう」
律子先生がもう一度私たちを促した時だった。
「聴こえる」
背中を伸ばし、天を見上げた唄子がそう口にした。
「唄子、何か聴こえるのね」
唄子は返事をせず、何かに集中していた。
「子供の泣き声……あっちからだわ」
唄子は再びさっきまで探していた岩場の方へ向かうと、そこから何度か立ち止まっては耳を澄ませ、さらに奥へと私たちを誘導した。
そして、少し奥まった岩陰で、泣いている男の子を見つけたのだった。
「見つけた……」
嗚咽を漏らしていた男の子の目に、ブワッと大粒の涙が浮かぶ。
わんわんと大声で泣き出した男の子を律子先生は抱き上げて、私たちはもと来た道を辿った。
ボランティアと迷子探しを終えて、律子先生が連れて来てくれたのは、県道沿いにあるファミレスだった。
「注文なさい。ご馳走するわ」
店内はそこそこ賑わってる、大体席の半分くらいは埋まっている感じだ。
私は唄子と共に、周囲をきょろきょろと見渡す。
「大丈夫そうね」
見知った顔はどうやらいないようだ。
隣町なのであまり心配はしなくてもいいのだろうが、念には念を入れておくに越したことは無い。
先生のお言葉に甘えて、注文に来た店員さんに、私と唄子は普段あまり食べられない大きなパフェを注文した。
「太るわよ」
律子先生はホットコーヒーを注文すると、思春期の私たちが気にしているひと言をブスリと突き刺した。
やがて注文品が運ばれてきて、先生は保健室にいるときと同様に、砂糖も入れず琥珀色の液体をゆっくりと味わう。
ファミレスでも律子先生はなんだか優雅だった。
「ゆっくり食べなさい」
先生はなんだか楽し気に、私たちがパフェをかき込むのをコーヒーカップ片手に眺めている。
「どう? ボランティア、けっこう楽しかったんじゃない?」
感想を聞かれ、私は口の中のものを飲み込んでから、こう返しておいた。
「午前中は楽しかったんですけど、迷子探しで全部吹き飛んだっていうか……ね、唄子」
「私も彩夏と同じく、もうあれしか記憶に残ってないっていうか、そんな感じです」
私たちの率直な感想に、先生は、クスっと笑う。
「そうよね。私もあの時は流石に焦ったわ。でも軽い捻挫だけで済んで良かった」
今回の事件の発端は、ゴミ拾いに飽きた五歳児が、目当てのカニを求めて小さな探検をしたことだった。
地元の小学生にカニを見せてもらったことで、彼の好奇心は増大し、その結果、大騒動になってしまった。
カニを探していた時に岩場で躓いて足首を捻ったみたいだが、幸い擦り傷と軽い捻挫だけで済んだ。
そして、救急箱にあったもので手早く処置を済ませた律子先生がちょっとカッコよかった。
あっという間だったけれど、何だか長い一日だった。
「それにしても、二人ともお手柄だったわね」
振り返るように、律子先生はそう口にした。
「あなたたちがいなかったら、多分警察を呼んでいたわ」
先生の言うように、私たちが彼を見つけなければ、本当に警察を呼んでいただろう。
それほどあの母親は我を忘れるほど取り乱していた。
そして父親も、子供の名を声を枯らして呼びながら、ずっと探しまわっていた。
見つかった子供を抱き締め、人目をはばからず号泣していたのを目にして、私も少し、ジンと来てしまった。
そして沢山感謝されて、普段あまりお礼を言われることのない私と唄子の口からは、「いえいえいえいえ」とそれだけしか出てこなかった。
ボランティアの尊さとは別に、自分たちの語彙力の貧弱さに気付かされ、最後に反省した一日だった。
大きなパフェを平らげて満足していると、ふと、律子先生が私の顔を凝視していることに気付いた。
「どうしたんですか?」
「いえ、ちよっとね」
先生は一度視線を逸らせて、コーヒーカップに口を付ける。
そして優雅な動作でコーヒーカップをテーブルに置くと、ゆっくりと口を開いた。
「志藤さん、どうしてあの時、たくさんの足跡があるにも拘らず子供の足跡に気付いたの? それと鳴瀬さん、どうしてあの潮風と波の音の中であの子の泣き声を聴き分けれたの?」
私と唄子は顔を見合わせる。
「どうしてって言われても……」
「限界突破をしたあなたたちはお互いのハンデを補い合っている。私はただそう思ってた」
先生は一度言葉を区切って、確信を秘めた目を私たちに向けた。
「でも違うみたい。今日あなたたちは常人にはない超感覚を発揮して子供を探し当てた。恐らくあなたたちは単にハンデを克服しているわけでは無く、その先の超人的な領域にまで踏み込んでいる……」
いついなく真面目な先生に、この時の私たちは口を挟むことができなかった。
「二人ともよく限界突破って言ってるけど、本当にある部分で常人を凌駕しているのかも知れないわ」
どうしても適当な返答が見当たらなくて、私たちは二人揃って難しい顔をするしかなかった。
そして、私たちはこのあと、普通の中学生であるラインをこのとき超えてしまったことに気付くのだった。




