第15話 いなくなった男の子
陽が高くなってきた頃、広い砂浜にちらほらと人の姿が見え始めた。
潮干狩りか何かだろう。いくつかの親子連れが、波打ち際で楽しげな声を上げている。
私も小さかった頃、同じように潮干狩りをした記憶がある。
毎日のように一緒に遊んだ坊主頭の幼馴染。
多分五月くらいだったかな。よく二人で砂浜に出て貝を探したっけ。
それは遠い幼少期に目にした色のない鮮やかな記憶だ。
今は唄子がいることで、私の視界は鮮やかすぎる景色で満たされている。
きっとこれから私には、色のついた思い出がたくさん出来るのだろう。
「彩夏、手が止まってるよ」
「あ、ごめん」
額に汗を浮かべるカラフルな相棒。
もっと前にあなたと出会っていたなら……最近そんなことをよく考える。
「あっ、またあった!」
緑色のシーグラスを砂浜から拾い上げた唄子が、私を振り返って明るく笑った。
太陽が丁度真上にさしかかった頃合いで、お昼ご飯の時間になった。
メガホンを手にしたリーダーのおばさんの号令で、広い砂浜に散っていたボランティアの人たちが集合する。
「皆さんお疲れ様です。今から一時間ほど休憩します。ここにお弁当とお茶を用意してますので、各々昼食を摂って下さい」
前もって先生から、お昼ご飯は心配ないからと聞かされていた。
先生は私たちに気を利かせてか、卒業生の少女たちを連れて休憩に行ってしまった。
私と唄子は先にお手洗いに行った後、お弁当を貰って松の木の木陰に腰を降ろした。
「ふ――――」
流石に疲れたみたいで、唄子は大きく息を吐いた。
「ちょっと頑張り過ぎた。お弁当食べたら寝ちゃいそう」
「ホントだね。学校だったら午後からの授業、起きてらんないかも」
手元にあるのは多分スーパーに並んでいる普通のお弁当。
私たちは「いただきます」を言ってから箸をつける。
「美味しいね」
「うん」
大きな松の木の木陰から並んで見る海。
潮風と波の音と遠くまで続くコバルトブルー。
青い空には、陽光をはね返す白い海鳥が悠々と舞っている。
ここはいったいどこなんだろう。
お弁当を頬張りながら、視界に広がるその美しさに、思わずため息が漏れ出る。
「来て良かった」
隣で唄子が、独り言のようにそう言った。
「私も。来て良かった」
モノクロ写真ばかりだった思い出のアルバムに、カラフルな写真がまた一枚加わった。
お弁当を食べ終えて、プラスティック製の容器を所定の場所に捨てに行った時だった。
「あの、すみません」
声を掛けて来たのは、子供連れでボランティアに参加していた若い母親だった。
「あの、うちの子見掛けませんでしたか? ちょっと目を離した隙にどこかに行っちゃって……」
三十歳くらいの母親は明らかに動揺していた。
「すみません。子供は見掛けていません。幾つくらいのお子さんですか? 一緒に探します」
唄子が応じると、母親は少し上ずった声で、子供の特徴を説明し始めた。
「五歳の男の子で、名前は航大っていいます。白いTシャツを着ていて……ズボンはひざ丈で……紺色で……」
順序だった説明は今の彼女には難しいようだ。
ボランティアで子供連れはひと組だけだったが、今この砂浜には潮干狩りに訪れた家族連れが何組もいる。
子供の特徴を把握しておくのは必須だった。
頭の中が混乱しているせいか、そこで母親の口から声が出なくなった。
もどかしさを感じた私は、記憶にあった幼児の特徴を、思わず口にしていた。
「確か飛行機のプリントがある蒼い帽子を被っていましたね。靴は黄色いクロックス。間違いないですか?」
確認すると、母親は何度も頷いた。
「はい。間違いないです」
そんなやり取りをしていた私たちのもとへ、律子先生が走って来た。
「あなたたち聞いてくれた? 子供さんが迷子になったこと」
「はい。たった今」
「じゃあ一緒に探してくれる? 先生はボランティアの人たちと海沿いを探すから、あなたたちは松林の方をお願い」
「わかりました」
水辺で迷子になったからだろう。先生の表情はいつになく緊迫しているように見えた。
私と唄子は指示された松林を、名前を呼びながら捜索していった。
「こうだいくーん」
「こうだいくーん」
お腹から精いっぱい声を出して呼びかける。
唄子の声は私のそれよりも明瞭に、広大な松林に広がっていく。
持って生まれた喉の力を、唄子はまさにいま発揮していた。
だが、私たちの呼びかけに帰って来る声はなく、私たちは半時ほど経って一度砂浜へと戻った。
「先生、見つかりましたか?」
膝をつき肩を震わせる母親に付き添っていた律子先生に私たちが駆け寄ると、先生は小さく首を横に振った。
「まだ見つからないの。みんなで一生懸命探しているんだけど」
これだけの人数で探しても見つかっていない……私は頭のどこかに最悪のシナリオを思い浮かべてしまった。
私は小さく頭を振って嫌な想像を振り払い、青ざめる母親と同じ目線になるよう屈んだ。
「いなくなる前のお子さんの様子、詳しく教えてくれませんか?」
「あの子は……お弁当を食べて、それから……」
「それから?」
「カニを捕まえたいって……言ってました。お掃除終わったら一緒に探そうって私は言って……」
「カニですか……」
私は立ち上がって周囲を見渡した。
髪の毛で限界突破している私の目には、勝手に鮮やかな色が飛び込んでくる。
私は波打ち際で潮干狩りをしている子供に目を向け、近くに置いてある黄色いバケツに注目した。
「唄子、ついてきて」
私は唄子と共に駆け出すと波打ち際まで走り、そこに置いてある黄色い玩具のバケツを覗き込んだ。
「次、行くわよ」
「え? どうゆうこと?」
唄子は私の後ろを走りながら、説明を求めた。
「カニを探してるの」
「カニ?」
「さっきあのお母さんが言ってたでしょ。子供がカニを探したいって言ってたって」
「言ってたけど、どうして知らない子供の獲ったカニを探すの?」
その質問に応えず、私は別の子供が持ちこんでいたバケツを覗き込んだ。
「いた」
水を張ったバケツには、小さなカニが二匹入っていた。
私は近くで砂を掘っていた小学校低学年くらいの男の子に声を掛けた。
「ねえボク、青い帽子を被った五歳くらいの男の子見なかった?」
男の子は砂を掘っていた手を止めて、私の顔を不思議そうな顔で見て来た。
「飛行機の絵のある青い帽子の子、憶えてない?」
「うん。その子ならさっきカニを見せてあげたよ」
やっぱり。私の推測は当たっていた。
恐らく航大君は、家族連れで来た子供たちがバケツを置いて何かしているのを見て、カニが入っているのではないかと考えたのだ。
「カニを見てから、どっちへ行ったとか知らない?」
「わかんない」
首を横に振ってそれだけを応えた男の子に、私は別の質問をした。
「このカニって、どこにいたの?」
「あっち」
指さしたのは、少し遠くの岩場だった。
「ありがとう」
手短にお礼を言って、私はまた唄子と共に駆け出した。




