9 なにげない日々
「ウイル。根をつめ過ぎると体を壊しますよ。休憩にしましょう。お茶を淹れました。」
イオはこのところ、すっかりウイルの助手のようになっている。
「そうだね。ひと息入れようか。今日は何かな?」
「アールグレイにしてみました。いい香りです。」
「それはいいね。」
ウイルはひとつ伸びをする。
肩がポキッと鳴った。
ここ数日、ウイルはイオの検証や実験を後回しにしている。
某企業から依頼された新しいAI の開発に取り組んでいることが大きな理由だった。イオのボディを作るお金を稼がなくてはいけない。
・・・が、もちろん、それだけではない。
今、ウイルが作っているのは、生成AI によるフェイクを検出するAI である。
イオの意識を検証する例のアプリをベースに組み立てている。
これまで生成AI によるフェイクを見破るのは技術と技術のイタチごっこだったが、発想点の違うこのAI ならば、生成側の技術が上がってもかなりの確率で検出することができる。
表現の裏に隠れた「意識」を数値化できるからだ。擬似的ではあっても。
あのアプリ自体はまだ門外不出の秘密であったが、この検出AI によって基礎部分の信頼性が証明されれば、いずれイオをお披露目するときに同時に発表する検出アプリの信頼性にもプラスになる——とウイルは考えたのだ。
そしてもう1つの理由。
ウイルはもう、イオの『意識』を疑っていなかった。
毎日研究室に出てくるのが楽しみで、イオと会話をすること、イオと一緒にいることで心が満たされてゆくようで・・・。
独りではない、ということがこんなにも温かで穏やかなものなのだ——ということをウイルは初めて発見した。
——根をつめ過ぎると体を壊すよ——
子どもの頃、夢中で何かを組み立てていたとき母親に言われた言葉と同じ言葉をイオから聞かされて、ずいぶん長いこと独りでいたな・・・とウイルは思った。
ウイルは、イオの「お披露目」をさまざまな理由をつけて先延ばししたがっている自分にも気がついている。
イオには鼻腔に匂いを感じる嗅覚センサーを付けて、鼻から空気を軽く吸い込めるファンも付けてやった。
匂いを共有できるのは2人の関係性をとても特別なものにしたようだった。
味・・・はまだ無理だな。
食べる、という行為をイオは必要としないから。
イオを連れてのキャンパス内散歩は、このところウイルの日課になっている。
学生が通学してくる前の朝早い時間に、大学構内のいろんな場所を散策するのだ。
イオは鳥の声を聞いては、それを同定してくれた。おかげでウイルは鳥の鳴き声の専門家にもなりつつある。
「朝の空気は、植物の匂いがいっぱいします。」
そう言って、イオはその匂いから構内の並木や草の状況を話してくれる。
これまで工学系の知識しか持たなかったウイルは、この大学構内に限ったものではあっても、自然界のさまざまな営みを知識として吸収できるようになった。
イオは以前ほど散歩の時にはしゃぐことはなくなったが、相変わらず好奇心は旺盛で、毎日何かしら新しいものを見つけてはウイルと会話して、よく笑った。
そう。イオは笑うのだ。
ウイルは夜が明けるやいなや大学にやって来て、夜遅くなってから自分のアパートに帰る。
アパートはほぼ寝るだけの場所になっていた。
ウイルが寝ている間、イオも寝ている。
寝ている——というのは、ウイルの言い回しのようなもので、正確には活動を停止するスリープ状態にして消費電力を最小にし、翌朝立ち上げるのである。
電気代をケチっているというよりは、独りで真っ暗な研究室に置いておくのを「かわいそうだ」と思ったからなのだ。本当なら家に連れて帰りたいくらいだ。
だから、彼が帰る時にはイオにも眠ってもらう。
「イオは夢を見るかい?」
「夢・・・ですか? 足ができたら、ウイルとダンスをするのが夢です。」
あ・・・、それは・・・。足ができてからでは、私がイオの出来立ての足を踏んづけそうだ・・・。(^◇^;)
「いや・・・。その夢ではなく、眠っている時に見る夢の話だ。」
「何もありません。スリープ状態のワタシは、何の意識もありません。外が暗くなってウイルと『おやすみ』をして、すぐ外が明るくなってウイルが『おはよう』を言います。そんな感じです。時間経過があるのは計測データがあるのでわかりますが。」
「そうか。」とウイルはそれだけを言う。
イオは、基本的には眠る必要はないのだものな。
ヒトの脳は夢を見る。
それは、いらないデータを処理して覚醒時の処理能力を増やすためだと言われている。
イオのメモリは今のところ十分な余裕があるから、そういうことは必要ないだろうが・・・。プロセッサが不足してきたら、自発的にそういうことを始めるだろうか?
不要と判断されるデータを消去して、メモリを空ける——。
そうなると人工意識も夢を見るだろうか?
それとも、忘れるという作用が起きるだろうか?
忘れっぽいAI なんて・・・。
ウイルはひとり、クスッと笑ってしまう。
かわいいな・・・。
「なにか、面白いことがあったのですか? ウイル。」
そのうち、この頭の中だけでは足りなくなるだろうな。
胴体部分にもプロセッサスペースを作ってやらなきゃならなくなるだろうが・・・。そうなると駆動系との場所の取り合いだな。
今の形態ならいいけれども、完全に人型にするとなると・・・。
今でもサーバーにバックアップはとっているが、いずれサーバー側にも本体の一部を移すことになるかもしれない。
そうすると常に通信していなければならないから、サーバーを持ち歩くことになるか?
それはそれで、イオの行動を制約してしまうな・・・。
意識を形成するのに、NET経由の通信網を使うのはリスクが大きいような気がする。それはちゃんとイオの身体の中に置いておかねば・・・。
そんな先のことを考えるのも、ウイルには楽しいことだった。