30 駆け引き
あけましておめでとうございます。
今年最初の投稿になります。
お楽しみいただければ、幸いです。(イオ)
「古川先生はどこにいるんです? 古川先生に会わせてください。」
+ + +
ここがどこかは分からない。
小さな軍用と思しき空港に着陸したあと、また車に乗せられてしばらく走った。
車はリムジン風の黒塗りのセダンで、後部座席4席の窓は全て外が見えないようになっていた。しかも、最後部の座席からはドアを開けることができない。運転席のある前部とはスモークのポリカーボネート板で仕切られている。
ウイルとイオは最後部の座席に座らされ、そこからは外の景色を見ることはできなかった。
E国の扱いとは随分違うな——とウイルは思う。
一応、リムジン風で形だけはVIPのように扱ってはいるが、同乗している男たちは皆銃を持っている。
襲撃への警戒というよりは、それはウイルたちに向けられたものであろう。
イオはずっとシステムに侵入しているらしく、ウイルの脚に指先でR国の地名を書いてきた。スマホを取り上げられてしまっている今、他にさとられずに知らせる方法がそれしかないのだ。
が、R国の地図など頭にないウイルにはその地名の都市がどこにあるのか分からない。
ただ、イオの懸命のアシストが嬉しかった。
連れてこられたのは、白くカーブした壁のある現代的デザインの8階建てくらいのビルだった。高さはあまりないが、横に広がりのあるビルだ。
さらにその地下にエレベーターで下りてゆき、案内されたのは地下5階にある厳重に管理された施設の1室だった。
男が扉を開けて、部屋の中へと誘う。
キーボードやモニターなどの端末が、カーブしたデザインのデスクの上にいくつも乗っており、サーバーラックも3台あって、いかにも整った研究室という感じだ。
レイアウトは岐阜産業大学の頃のウイルの研究室の配置を模してあるが、設備は格段にグレードアップされている。
イオのボディの組み立てに使っていた工作機械も、同じ日本メーカーの最高ランクのものが置いてあった。
こいつらはどうやって大学のウイルの研究室のレイアウトや設備内容を知ったんだろう?
最初に松原たちがやってきてから、あの場所はA国の情報機関が監視をつけていたはずだが・・・。
情報というものを握られることがどれほど恐ろしいことか、今まさにウイルは実感していた。対峙している組織の力に、怯えて腰砕けになってしまいそうだ。
イオが相手のシステムに侵入して、彼らに気づかれないうちに情報を手にしてくれている——という事実に支えられていなければ、ウイル独りでは、たぶんとっくにこうした連中の言いなりになってしまっていただろう。
「どうぞ、ご自由にお使いください。イソザキ博士。」
あの流暢な英語をしゃべる男が、そう言ってドアボーイよろしく片手で部屋を指し示した。
「あのサーバーはNETからは切り離されています。安心してお使いください。」
『ウソです』
イオが不安でウイルにくっついている、といったふうを装って、ウイルの脚に指で短く言葉を書いてきた。
おそらくこいつらは、イオのバックアップを盗もうとしているのだろう。
この場所でもイオがシステムに侵入して状況を把握していることに、ウイルは心強さを感じた。
いい相棒に成長してくれている。でも・・・。
どうか心に闇だけは抱えないでくれよ。
祈るような気持ちで、ウイルは思う。
イオの無邪気な笑顔を、あの大学での散歩の時に見せていた天真爛漫な笑顔を思い出しながらそう願うウイルは、一方でこうしてイオを情報戦の武器として使ってしまっている・・・。
そう思うと、あの時まだ未熟だったイオをNETにつないでしまった自分の軽率な行動を酷く後悔する。
部屋の一面にはガラス張りの大きな窓とドアがあり、その先の隣室には数名の若い男女が白衣を着てこちらを向いて整列していた。
「彼らは博士をお手伝いするスタッフです。足りなければ言っていただければ補充しますし、役に立たないようなら言っていただければ交代させます。」
ウイルの意志など、全く無視されている。
「こんなやり方をして、協力なんかすると思いますか?」
男の表情が、ぴくりと動く。
「——と、言ったら?」
男はまた、穏やかな微笑に戻った。
ただ、目は笑っていない。
「私は博士を助けたいのです。このままでは、いずれ博士はどこかの国の諜報機関によって殺される。協力していただければ、我々は全力で博士のその頭脳をお護りします。」
どこかで聞いたセリフだ。
またしても、選択肢はない——。ということか・・・。
「古川先生はどこにいるんです? 古川先生に会わせてください。」
ウイルはその男の目を睨み返した。
「古川先生をここに連れてきてください。それから『協力』についての話し合いを始めましょう。全てはそれからです。」
男は感心したように頭を振って、破顔した。
「なかなか度胸がおありだ。フルカワ教授といい、日本人は土壇場になると命というものを軽んじる傾向があるのかねぇ。」
「いいでしょう。明日にはフルカワ教授にもこちらに来ていただきましょう。」
男はそう言って、ウイルの肩をぽんと叩いた。
その手の意外な大きさと力の強さに、ウイルは思わず内心挫けそうになってしまった。
男というものは、フィジカルに勝てそうもない男に対してここまで本能的に劣等感や恐怖心を持ってしまうものなのだろうか・・・。
「そちらのドアは、博士のプライベート空間につながっています。こちらの・・・」
と、男は1枚のカードをウイルに渡した。
「このIDカードでしかドアを開けることはできませんので、ゆっくりおくつろぎください。しばらくはこちらに詰めて頂きますが、いずれもう少し広い別邸と家政婦をご用意します。」
「家政婦」という言葉に、それがただの家事手伝いではないことがにじませてあった。
ウイルを連れてきた男たちが出ていくと、ウイルは隣室に通じるドアを開けてそこに控えている若い研究者たちに話しかけてみた。
「Can you speak English ?(君たちは英語が話せるのか?)」
「Yes. Dr.(はい、博士。)」
「では、日本語は?」
と、あえて日本語で言ってみると、彼らは少し困ったような顔で互いを見合った。
「Can you speak Japanese?(君らは日本語が話せるかね?)」
再度英語で尋ねてみると、うちの1人が「No. Dr.(いいえ、博士)」と英語で答えた。
「では、研究は英語で進めよう。」
ウイルが英語でそう言うと、彼らはほっとしたような顔をした。
どうやら集められた優秀な人材——というだけのようだった。あえて上から目線の訊き方をしてみたのは、彼らが従順にウイルに従うかどうかを試してみたかったこともある。
上下関係だけははっきりさせておきたい。勝手にイオをいじられないためにも。
「では、今日は何もないから君たちは帰っていい。」
ウイルがそう言っても、彼らは帰ろうとしない。
「いえ、博士。私たちは今日は全員ここに詰めるように言われています。博士から何かのご用があってもすぐに対応できるように。」
なるほど。監視も兼ねているのか。
日本語が話せないというのも、1人2人くらいは嘘をついているかもしれないな・・・。
ウイルには、もはや安住の地はないのだ。そう思わざるを得ない。
腹を括るしかないのだろう。
どの国に協力するか——は、どの国がウイルたちと古川先生の安全を保証できるかにかかっている。そうウイルは考え始めている。
「私は今日は疲れているのでもう休む。君たちは寝ないでそこに立っているつもりか?」
「いえ、博士。仮眠室は用意されています。いつでも博士のご要望に応えられるよう、交代で眠ります。どうぞ、お好きなときに何なりとお申し付けください。」
ウイルはそれ以上会話もせず、プライベートと言われた方のドアを開けて中に入った。
今日は早く休んだほうがいい。東に来た分、明日の夜明けは早いだろう。
眠れるかどうかわからないが、寝不足で鈍った頭で彼らと渡り合うのは危険だ。
そう思っても、気がかりは頭から離れてはくれない。
古川先生は無事なんだろうか?
ひどい扱いは受けていないだろうか?
部屋はE国の施設ほど広くはなかったが、一流ホテルのロイヤルスウィートくらいのグレードではあった。
ただ、やたら大仰なデコレーションのインテリアはウイルの趣味ではないし、正面の壁に大統領の肖像写真が飾ってあるのもキモチ悪い。
急にイオがウイルの腰にしがみついてきた。
ウイルはややよろけて、背中を壁にくっつけて体を支えた。
「ウイル。ワタシ、不安です。研究室のサーバーにバックアップをとってください。」
それは・・・。
連中に今のイオの状態をモニターさせるということではないか。
ついさっき、イオはウイルの脚にこっそりと『ウソです』と、サーバーはモニターされている——と伝えてきたばかりではないか?
しかしイオは、その言葉とは裏腹に、ウイルの太ももの裏側、壁を背にしてほとんど見えない部分に指先で文字を書きつけてきた。
『盗聴器』
『隠しカメラ』
『有線でつないでバックアップのふり』
ああ、そうか。とウイルも理解した。
イオは研究室のモニターを使ってウイルと話したがっている。




