3 博士の幸せ
イオには身体がある。が、人の形などはしていない。
自走する4輪のシャーシの上に、さまざまなセンサーやカメラやマイクが載っただけの無骨なシロモノだ。
その身体で研究室の中をくるくると走り回りながら、イオはウイルと会話する。
一つひとつの実験やチェックを繰り返しながら、そのデータを蓄積し、イオが意識を持っていないという可能性をつぶしてゆく。
根気のいる作業だが、それが一つ確認できるたびに、ウイルは胸の内に灯がともるような暖かさを感じていった。
「悪いね、イオ。もう少しお金ができたら美人な顔を作ってあげるよ。物が持てる手も。」
「嬉しいです。でも、この身体も好きです。ウイルが作ってくれたワタシだから。」
そんなやりとりに、ウイルはいつしか癒しのようなものを覚え、研究室に来るのが楽しみになっていた。
ともすれば、科学者であることを忘れそうにさえなる。
「イソザキ先生、最近何かいいことでもありました?」
事務の中年女性にそんなことを聞かれ、ウイルは曖昧に返事をした。
「ええ・・・。まあ・・・。」
「あれは絶対、彼女ができたのよ?」
ウイルが事務棟を出ていってから、その中年事務員は隣の若い女性事務員に耳打ちするみたいに話しかけた。
「ですかねぇ・・・。まあ、黙っていて動かなけりゃ、それなりにイケメンではありますもんね。」
「あら? あなたも実は狙ってたの?」
中年事務員が茶化すと、若い事務員は笑いながら手をぶんぶん振った。
「ない、ない! あれほど面白味のない人と付き合うなんてムリ! 3日ともたないわ。」
こんな評価のウイルだから、もちろん結婚なんてしていないし、彼女いない歴=年齢である。
識らず漏れるウイルの幸せオーラの原因は、研究室の中にあった。
毎朝早く出てきては、イオをスリープからウェイクに立ち上げる。
「おはよう、イオ。」
「おはようございます、ウイル。なんだか嬉しそうですね。」
こんな会話が、この30代の男にこれまでにはない幸福感をもたらしている。
ウイルはもう、イオに「意識」があることを確信していた。
あとは。
万人にそれを納得させられるだけのデータをそろえるだけである。
それと、お披露目のためのそれらしい身体もだ。できるだけ愛らしい姿にしてやろう。
「新型AI を1つ企業に納品できたから、そこそこの入金がある。これで君に顔や手を作ってあげられるよ。もう少し、らしい身体もね。」
「そのAI はワタシと同じようなものですか?」
「全然違うよ。ただのAI さ。推論して、出力するだけの——。君とはまるで違うものだ、イオ。」
「ワタシはAI ではないのですか?」
「君はAI としての機能も持っているけれど、これまでのAI にはないものを持っている。『意識』だ。」
「意識・・・自分が何をしているか、どんな状況なのかが自分でわかる心の働き。 心・・・知識、感情、意志などの精神的な働きのもとになるもの。また、その働き。・・・難解な言語データです。」
「イオは、今ここに、自分が確かにいると感じるだろう?」
「はい。ワタシはここにいて、ウイルを見ています。触覚センサーでテーブルに触れています。少し埃っぽいですね。」
ウイルは苦笑いする。
「掃除しなきゃな。」
「ウイルと話せることは楽しいです。」
「それが、意識だよ。」
ウイルはイオの触覚センサーを手でそっと持ってやる。
今、イオに付いているのは、触って物の感触を知るだけの触覚センサーだけで、物を持つことのできる手ではない。
「ウイルの手は、温かいです。」
イオの感想には、もう少し深い意味が添えられているようにウイルは感じた。
イオには素敵な身体を作ってやろう。
イオが喜んでくれるような・・・。