25 脱出
プレゼントのボディと脚は置いてゆくことにした。
脚があればイオの動きは格段によくなるだろうが、取り付けてセットアップしている時間がない。
盗聴器が遮断された以上、彼らは今夜にも動き出すだろうからだ。
かといって、ウイル1人で何もかも持って逃げるわけにもいかない。サーバーも予備のバッテリーも背負わなくてはならないし、イオも階段や斜面はウイルが担いでやらなければ下りられない。
「バッテリーだけにしてください。ウイルの荷物が多すぎます。」
イオがウイルに言う。
「しかし、サーバーにはバックアップが・・・」
置いていけばそれを解析されるだろうし、何よりイオに何かあった場合・・・。
「初期化しました。」
「!」
イオはこともなげに言った。
「ウイルはウイルの中にしかいません。ワタシもこの身体の中だけで十分です。いつか、安全な場所にサーバーを置けるようになったら、その時にまた・・・。」
イオの覚悟に背中を押されるようにして、ウイル自身の覚悟も確固たるものになった。
そうだ。生命はたった1つだ。だからこそ・・・。
イオはウイルのスマホに周辺の地図と、警備員の位置を表示してきた。
庭の監視カメラから得た情報である。
彼らはまだ、ウイルが逃げ出すとまでは考えていないようだった。警戒は外からの侵入者に対して向けられている。
ウイルは寝室の窓からデッキに出ることにした。そこからイオを抱き抱えて斜面を下ろうと考えたのだ。
ウイルの頭脳はアルゴリズムを構築するように戦略を構築し始めていた。
「イオ、窓の電磁ロックを開けられるか? 警報も鳴らないように。」
「はい。」
窓は音もなく開けることができた。
「ロックを元通りに。」
「はい。」
これで、彼らから見ればウイルとイオは室内から忽然と消えてしまったように見えるだろう。
デッキの先は外から眺めた時よりも、ずっと急斜面に見えた。
監視カメラがデッキと斜面の方を向いている。
「イオ。」
「はい。カメラはワタシたちが写っていない映像をループさせてあります。」
「頼りになる相棒だな。」
ふふ・・・とイオが嬉しそうな声を漏らす。
ウイルは予備のバッテリーを入れたリュックを胸の方に掛け、抜き取ってきたローブの紐をおんぶ紐がわりにしてイオのボディを背中に括りつけ、斜面を下り始めた。
「私は腕力が弱いから、しっかりつかまっていろよ。」
「はい!」
イオの声が嬉しそうだ。
イオが監視カメラをハッキングしながら、動き回る警備要員からは見えないルートを背中から伝えてくる。
スマホは光が見つかる危険があるので、ポケットにしまったままにした。イオの声だけがナビゲーションになる。
月明かりだけの斜面で、ウイルは何度も足を草に取られそうになった。
植栽の細い枝をつかみ、じりじりと、青虫が這うように進む。
転んで転落などしたら、それこそ目も当てられない。怪我だけは避けなければならない。
こんな場所で動けなくなって見つかれば、もはや言い訳のしようもない。おそらくもう、「交渉」の余地すらない。
彼らはイオをウイルから取り上げ、分解し、分析を始めるだろう。
今すぐそうしなかったのは、ウイルから何も聞き出すことなしにそれをやれば、場合によっては最も知りたかったデータを壊してしまいかねないからだろう。
だが、ウイルが逃げ出すほど協力を拒んだのなら、もはやそれは諦め、彼らの持つ技術力の範囲で分解、分析を行い、そこをスタートラインに研究を始めるだろう。
あるいは、イオの破壊をちらつかせてウイルに協力を迫るかも知れない。
いずれにせよ、イオはウイルから奪われてしまい「物」として扱われることになる。
30メートルも下ると、茂みの先に金網のフェンスが現れた。フェンス周囲は草が刈られていて、見通しもよくなっている。
フェンスは内外二重になっていて、外側のフェンス上部には傾斜した鉄条網が張り巡らせてあった。外に向けて傾斜させてあるのは、外からの侵入を防止するためであろう。
10メートル間隔くらいにポールが立っていて、そこに監視カメラが付いている。
「気をつけてください。外側のフェンスには電流が流れています。」
イオは今、この施設のセキュリティシステムに侵入している。
イオが探ったところでは、この施設はVIP待遇の重要人物を一時的に滞在させるためのものであるらしかった。
外からの侵入に対してのみ備えているのは、内側からの脱出など想定していないからであろう。
ウイルはイオにしがみついているように言い、イオを背負ったままでフェンスをよじ登って反対側に飛び降りた。
内側のフェンスは人の背丈ほどなので、乗り越えるのはさほど苦ではない。滞在者が、電流の通った危険なフェンスに近づかないように設けられたものだからだろう。
それでもウイルは着地に尻もちをついた。
「運動不足だな・・・。」
苦笑いする。
「ワタシよりはよく動けています。ワタシは平坦なところしか走れない。」
外側の3メートル近いフェンスが問題だった。
上には、外側向きとはいえ50センチほどある鉄条網のフェンスが付いており、しかも電流が流れているのだ。
「電流は遮断できるかい? 登る時だけでいいんだが。」
「できます。遮断されていないように偽装することも。」
「問題は、イオを背負ってあの鉄条網をどう乗り越えるか——だ。何の準備もしていない・・・。」
血だらけになるだろうな・・・。と思ったが、なに、かまわない! とウイルは思い定めた。
これからの戦いはどうしたってフィジカルなものが必要になってくるのだ。
これくらいで怯んでいては・・・。
「ワタシを先に担ぎ上げてください。」
イオがそう言って自分で紐を解き、ウイルの肩に手をかけて伸び上がるように身体を持ち上げた。
「ワタシがあの鉄条網につかまって、向こう側にぶら下がって曲げます。ワタシの身体は金属ですから。」
しかし・・・。
身体は金属でも、体表面の触覚センサーは鉄条網で傷つく。
痛みを感じるのではないか・・・?
そんなウイルの逡巡の意味を覚ったのだろう。
イオはにこっと笑って鉄条網を見上げた。ウイルの位置からは、イオのその表情は見えない。
「ウイルほど痛みは感じません。痛かったらその回路は遮断すればいいだけですから。さあ。フェンスの電流は切ってあります。」
イオはウイルに持ち上げられると棘の生えた金属線を無造作に両手でつかみ、そのまま身体をぐいと引き上げ、そのボディで鉄条網を下側に折り曲げるみたいにしながら反対側にぶら下がった。
フェンス上部の鉄条網に、一部欠損ができた。
イオはそのまま手を放して、フェンスの外側の地面に落ちる。
ボスン、とイオは背中から地面に転がった。
すぐに手を使って身体を起こし、4輪の足で地面に立ち上がる。
「痛ぁ〜い。」
イオが顔をしかめて、にっと笑う。
円筒形のボディが擦り傷だらけだ。
ウイルもフェンスの金網に手をかけて登る。
イオが捻じ曲げていった鉄条網の欠損部分によじ登ったあと、その3メートルという高さに一瞬怯んだが、思い切って反対側に飛び降りた。
地面は意外なほど柔らかかった。




