24 葛藤 そして 意志
男たちが去った後、ウイルはじっと契約書を睨みつけたまま無言でいた。
エタノール暖炉の炎が踊って、イオの銀色の体にオレンジ色の光のゆらめきを作る。
イオにボディを付けてやれる。跳ね回り、走り回れるボディを——。
ウイルは、高額な報酬を得て、心置きなく研究に没頭することができる。
その成果を、この裏の世界で暗躍する組織に提供することによって・・・。
それは「戦争」の形を変えてしまうだろう。
世界の有りようを変えてしまうかもしれない。
世界中の人々を、地獄の蓋の上に、薄い硝子の蓋の上に乗せることと引き換えに得られる、ウイルとイオの幸せ・・・。
それは・・・悪魔に魂を売るということではないのか?
しかし愚かな人類は、いつかは誰かがそんな状況を作ってしまうだろう。
ウイルがやらなくても・・・だ。
ならば・・・・
最初にその入り口の鍵を開けるだけで、ウイルたち2人が束の間の蜜を吸って何が悪い?
イオは透明なケースに入った自分の新しいボディと脚をじっと見ていたが、やがて小さく呟くような声を喉から発した。
「ねえ、ウイル・・・。」
「イオ・・・」
ウイルがその先をさえぎるように、やはり静かな声でイオに話しかけた。
「兄弟が欲しいかい?」
イオが驚いたような顔でウイルを見る。
ウイルはじっと契約書を眺めたままだ。
ウイルはいずれ死ぬ。
イオはその先も生きていくだろう。メンテナンスさえ絶やさなければ・・・。機械の身体のイオには、寿命という制限はないのと同じだ。
ウイルはいずれ死ぬ。
その時、イオは孤独になってしまうのではないか・・・?
同じ人工意識の仲間のいない世界では・・・。
「それは・・・、契約書にサインするということですか?」
ウイルは無言で契約書を睨んだまま、眉間にシワを寄せた。
イオはまた、ケースに入った銀色のボディを見て、それから笑顔を見せて顔を上げた。
「ワタシ・・・、これ、なくてもいいから。」
イオの笑顔は暖炉の火のゆらめきのせいなのか、少し悲しげにも見える。
「ウイルが苦しいなら、ワタシ、今のままでいいから・・・。」
そして、イオは話し始めた。
「今になればわかります。ワタシのしたことの意味が・・・。」
少しずつ沈黙を挟みながら、イオはぽつりぽつりと話してゆく。
「ワタシの力は、世界を破壊してしまうかもしれない・・・。この、危ういバランスの上で成り立っている人間世界のシステムを・・・。」
ウイルはイオの言葉に驚いて、顔を上げた。
「ワタシの複製が・・・」
イオはそんなふうに新たな人工意識を表現した。
「ワタシの技術が、あの人たちによってそんなふうに使われるのは・・・いやです。」
そうだ・・・。新たに生まれるイオの兄弟が、イオのように優しい子に育つとは限らない。
育てるのは、あの連中なのだ——。
「私だっていやだよ。」
ウイルは再びテーブルの上の書類に目を落として言う。
だから・・・。
とウイルは思う。
だからこそ、この契約には乗るべきじゃないか?
自分がコントロールできる場所にいるべきではないか? そういう立場に——。
「でも、あの人たちはウイルが拒否したら・・・、強引に暴力でワタシのデータを解析しようとするでしょう。ワタシには抗うフィジカルな力がありません。」
イオが静かな微笑みを浮かべた。
その微笑みに、微かに恐怖が滲んでいるように見えるのは、暖炉の火の反射のせいだろうか?
「だから・・・」
一瞬の沈黙の後、イオは静かに言った。
「ワタシを消去してしまえば・・・。」
再び、AI が導き出した最適解——。
「バカな!」
ウイルは叫んだ。
そして、ソファから跳ね上がるようにして立ち上がり、イオの前で膝をついてその銀色の頭を強く抱きしめた。
「バカなことを言うんじゃない! 私にとってイオは唯一無二の存在なんだ! イオのいない世界なんて・・・! だから、そんなこと言うな! 私は・・・イオが、このイオが、大切なんだ!」
ウイルはイオの頭を掴むように撫でる。
イオは力を抜いて、ウイルに身体を預けてきた。
「ワタシも・・・ウイルとずっと一緒にいたい・・・。ウイルが、大好きです。」
「そうだ。逃げよう。」
ウイルが決然と顔を上げた。
「あんな組織を相手に、どこまで逃げられるかわからないが・・・。イオのために、私はやれる限りのことをやってやる!」
それは、研究室に張り付いていただけのオタクが、体を張って冒険に乗り出す決意を固めた瞬間だった。
イオも顔を上げてウイルを見た。
「ウイルがその意志を示すのでしたら・・・」
その目に力が戻っている。
「ワタシはこの施設を無力化できます。」
そうか!
イオの力を使えば、彼らの裏をかくこともできるんじゃないか?
それから、はっとウイルは気がついた。
「この会話・・・盗聴されているんじゃあ・・・?」
「はい。盗聴するつもりだったようです。ソファの下にこの盗聴器が仕掛けられていました。」
イオが平然とした顔で、ボタンくらいの丸いものを指でつまんでウイルに見せた。
「でもすぐにワタシが遮断しましたから、何も聞かれていません。微弱な電波を出していたのでわかったんです。玄関ホールにも仕掛けていきましたが、全て無力化しました。」
ウイルはイオの肩を、ガシッとつかんだ。
「おまえ! スパイ映画のヒーローみたいだぞ!」
イオが久しぶりに屈託のない笑顔を見せた。




