22 失踪
エレンに案内された寝室は、ウイルには恐ろしいほど広いものだった。
寝室の中にもホームバーやシャワー室があり、ベッドは縦に寝ても横に寝てもいいような大きさだった。
一面に大きなガラス窓があり、テラスに通じている。遠くに街の夜景が見下ろせた。
「テラスには出ないでくださいね。一応二重の防弾ガラスですが、今夜は窓際にはあまり近づかないように。家の中は自由に歩いてけっこうです。」
エレンが事務的な感じで説明をしたあと、部屋を出て行きかけてまたふり返った。
ちょっと上目遣いになっている。頬の色は照明のせいだろうか?
「私は隣の寝室にいます。この家の中は自由に歩いて、中のものは自由に使っていいんですからね?」
さすがにその意味がわからないほどウイルも鈍くはなかったが、口から出た答えは一言だけだった。
「イオがいるんで・・・。」
バタン! と乱暴にドアを閉めてエレンが出ていった。
「?」
イオが怪訝な表情でウイルを見る。
ウイルはイオを抱っこして、大きなベッドの上に乗せてやった。
ふわんふわんのスプリングの上でイオは手を上下に振って体を上下させ、嬉しそうに笑いながらウイルを見る。
初めての大きなベッドのクッションが面白いらしい。
ウイルと2人だけになれば、イオはまだこんなふうにはしゃぐんだな・・・。
「足を作ってあげられたら、ジャンプして遊べるね。」
ウイルがそう言って目を細めると、イオは腕を振るのをやめた。
「無理しなくていいです、ウイル。」
イオはもう、自分たちの置かれた微妙で危険な立場を理解しているようだった。
E国の情報セクションは、A国のような強引な扱いはしなかった。
毎日のようにエレンがやってきて、研究に必要なものをそろえては持ってきてくれる。
イオの胴体や足の製作も、ウイルの設計に従って制作に入ったと話してくれた。
エレンが泊まったのは初日だけで、その後は適度に距離をとって通いでやってきては話をしていく。松原のように強引に話を引き出そうとはしない。
・・・・・が。
それでもウイルの見るところ、エレンはどうやらウイルから情報を引き出す窓口担当のようだった。
最初のアレも、そうやって情報を引き出そうとする試みだったのかな?・・・・とウイルは、ちょっと寂しいような気もする。
おそらくエレンはどこかにマイクやマイクロカメラを仕込んでいて、背後では大勢が観察しているのだろう。
部屋にだって隠しカメラがあって、ウイルにプライベートはないに違いない——。そう思うと、夜寝ていてもウイルは落ち着かない。
「カメラなんか部屋に仕掛けてはいませんよ。私たちは博士の人権を尊重しています。博士に自主的に協力していただきたいんです。我々自由世界の国民の安全のために——。」
エレンはウイルがそれを疑っているらしい、と察して自分からそう言った。
「どうかプライベートではくつろいでください。」
それから少し拗ねたみたいな表情を見せる。
「私じゃダメみたいなんで・・・」
ウイルはちょっと慌てた。
「いや・・・そ、そ、そ、そんなことは・・・」
エレンはちょっとだけ期待をするような目で、ちらとウイルを見た。
「エレンはカメラ機能のついたコンタクトをして、マイクはネックレスに仕込んであります。この部屋にはエレンの言うとおり、隠しカメラなどはありません。」
システムに侵入してきたイオが、ウイルにそう報告した。
イオのスキルは、ウイルという個人が国家の巨大な情報機関に対抗するにはありがたいものだった。
「見つかるなよ。」
それでもウイルにとっては、イオの安全こそが今は何より大事だ。
侵入も、そのための情報を得るのが第一の目的である。
「エレンは情報部のオフィスにいる時も、ここにいる時とあまり変わりません。少しドジっ子ですね。彼女が現場に出るスパイではない理由がわかりますね。」
イオがちょっと面白そうに言う。
イオもエレンという情報技術部門の責任者に、少し好意を持ち始めているようだった。
どうやらウイルに対するこの接し方は、彼女が主導権を持っているかららしかった。
ウイルはこの1週間ほどの間に、人工意識に関する基本的知見を少しずつエレンに漏らし、基礎的なアルゴリズムの構造をメディアに移して手渡した。
エレンの好意に応えたい、という思いもある。何もしなければ、彼女の立場が悪くなるだろう。
もちろん、学生に講義してもいいような基本部分だけで、核心部分(生命のアルゴリズムを忍び込ませて、あえて誤作動の可能性を作ったこと)は深く秘して語らない。
イオの核心部分を話してしまったら、この先イオがどういう扱いを受けるのか。
それが怖かったからである。
岐阜産業大学の方には、エレンが代理人を通じて退職願いを提出してくれた。
E国のIT企業に引き抜かれた——という体で、その企業から大学に相当額の違約金も支払われたということだった。
もともとゼミの集まりも悪い冴えない准教授だったので、大学も二つ返事で承認したようだった。
そんなことをして2週間くらいが経った頃、エレンが珍しく深刻な顔でウイルのところにやってきた。
「え?」
エレンから聞かされた内容は、ウイルが心配すらしていなかった意外な出来事だった。
古川教授が失踪した——というのだ。
家にも、研究室にも、普段通りの雑然とした物を残したまま、本人だけがいなくなってしまったらしい。
「我々は、どこかの情報機関が拉致した可能性を疑っています。古川教授はあなたの研究に協力していたんですよね? 彼は研究内容をどこまで知っているんですか?」




