19 エージェント J B
廃工場には数人のスタッフが待機していた。
手際よくドローンを折りたたんでトラックに積み込んでゆく。
この連中は・・・、どこまで準備をしていたんだろう?
ウイルは映画かなんかでしか見たことのない世界に、自分が放り込まれてしまっていることに恐怖を感じた。
いったい、どれくらいの組織が、いつから自分を監視していたのだろうか?
イオの悪戯がバレてない、と思っていたのはウイルたちだけだったのか・・・?
「さ。博士。こちらの車に。背中のお荷物は、わたしがお持ちいたしましょう。」
ドローンで一緒に飛んできた若い女性が、ウイルの背負ったサーバーの入ったリュックの紐を持って下ろすように促す。
「ああ、紹介がまだだったね。彼女はアイリーン。今回の助手だ。」
「毎回、助手が違うんですけどね?」
そう言ってアイリーンは笑顔を見せ、軟体動物のような舌をちろっと出して形のいい上唇を軽く舐めてみせる。
その表情としぐさは、彼女いない歴=年齢のウイルには猛毒だった。
車は黒塗りの高級車で、これまでウイルが経験したことのない快適で静かな乗り心地だった。
ウイルはふと、自分は本当に重要人物なのではないか・・・と錯覚しそうになる。
しかし・・・。
松原やディクスンも、あんな笑顔を見せておきながら「ウイルを殺せ」という命令も同時に受けてきていたのだ。
この世界の住人は・・・、誰も信用できない。
「ご不安でしょうから、この先の予定を説明しておきます。」
J B が車を運転しながら、後部座席のウイルとイオに話しかけた。
「我々はこれから、E国大使館に入ります。そこから外交官の身分で空港に向かい、専用機でE国に向かいます。向こうに着けば、VIPとしての護衛が付きますが、そこまでの護衛は私とアイリーンの任務です。」
助手席の美女が軽く振り向いてウインクしてみせた。
「その・・・」
とウイルは訊いてみたいことがある。
「あなたたちは、いつから私を監視していたんですか・・・?」
なんだか、私生活だけでなく、心の中まで丸裸にされてしまったような嫌な感じがある。
「3日前からです。」
J B が明るい声で言う。
「正確には、我々が監視していたのはあなたではなく、あなたの研究室に隠しカメラを仕掛けたA国のエージェントチームですが。」
「彼らが何をつかんで、何をしようとしているか——について、我々もその日のうちに概要をつかみました。そして、A国のチームがあのマツバラ率いるエリートチームだと知った時点で、私は彼らのその後の行動を推測して準備を始めたのです。
彼ならどのルートであなたを本国に連れて行こうとするか。我々とほぼ同時期に情報をつかんだであろうR国のチームは、襲うならどこで襲うか。」
車は夜のハイウエイを滑るように走ってゆく。
「今回は、私の読みが彼らを上回ったということです。」
ウイルのスマホが、ブルッと震えた。
『from A to W』
ウイルはそれを前の席からは見えない位置にして、そっと見る。
『J B の話に嘘はありません。侵入できる範囲だけの情報ですが。』
「A国とE国は同盟関係にあるんじゃなかったんですか? こんなことをして大丈夫なんですか?」
ウイルの質問に、J B は運転しながらちょっと肩をすくめてみせた。
「全くそのとおりです。条約上は、安全保障上の重要な情報については共有することになってるんですが・・・。」
「今回は、マツバラのチームが何の情報共有もないままに抜け駆けで博士を拉致しようとしました。我々はそれを阻止しただけです。我々が得た重要情報は当然、A国と共有する用意があります。
こうなってしまえば、A国も強い態度には出られないでしょう。まあ、そこから先は、政治と外交の仕事ですが——。」
そう言って、J B が後ろをふり向いて笑顔を見せた。
うわ! 前・・・前、見て!
ウイルは思わず両手を上げてジェスチャーをしてしまった。
左手にスマホが握られている。
J B の視線がその画面をちらりと捉えた。
が、そこには待ち受け画面があるだけだった。
イオが咄嗟の判断で消したのである。
「ああ、高速道は自動運転できるんでね。どこかに連絡しようとしてたんですか?」
J B がにこやかにウイルに訊いた。
「この車内は圏外ですよ?」