10 なにげない日々
朝の散歩は、ときどき朝早く来た学生や職員に目撃されることもあった。
たいていはちょっともの珍しそうに一瞥をくれるだけで、そのまま通り過ぎてゆく。今どき、自走するロボットなど珍しくもない。
よほど高級な店でない限り、どこの飲食店でも料理を席まで運んでくるのはロボットだし、そういうロボットにはあまり人型の頭はついていないが、介護現場などではもっと人間に近い形の人工皮膚付きのロボットも稼働している。
「見た? イソザキ先生(笑)。犬の散歩するみたいに、朝早くロボットと散歩してんの。」
「あ、わたしも1回見た。よくわかんないよね、あのセンセ(笑)。」
割に朝早く出勤してくる事務の女性陣の噂話などは、こんなところだ。
ごく稀に、女子学生などに「カワイイ」と言われることもある。
「写真撮ってもいいですかぁ?」
「あ・・・、ネットに上げないなら・・・・。」
あまり女子学生から積極的に声をかけられることのないウイルは、こういう時、やはり少し固くなってしまう。
「なんだか嬉しそうでしたね、ウイル?」
イオの言葉に少しだけ不満そうな響きがある。
ウイルの持つ端末のモニターには、今、イオの自我が強く発動されていることを示すグラフと数値が表示されていた。
嫉妬した?
イオには性的な感覚はないはず・・・、と首を傾げてから、ウイルは別の可能性に思い当たった。
子どものそれだ。
親が別の子どもに親切にするとむくれる、というアレ。(*´艸`*)
ウイルは嬉しそうにイオの頭に手を置いて微笑む。
「?」
イオは、ちょっとキョトンとした表情をした。
そんな朝の散歩で、珍しいことに普段は出勤の遅い古川教授に会った。
「やあ。ロボットと朝の散歩なんて、優雅でいいですね。」
「あ、古川先生。おはようございます。」
「おはようございます。」とイオも笑顔で挨拶する。
「ほう。」
古川教授は腰を曲げてイオの顔を覗き込んだ。
「賢いね。・・・もしかして?」
ウイルはちょっと迷ったが、この人にだけは打ち明けてもいいと思った。今までも哲学の視点から、いろいろアドバイスをもらっているのだ。
「ええ。まだ発表前ですが、古川先生にだけはお伝えしておかないとですね。」
古川教授はその場にしゃがみ込んで、イオの顔に微笑みかけた。
「君には、意識があるのかい?」
イオはウイルを見上げた。
言っていいの? といった表情だ。
「かまわないよ。この先生にだけは。イオを創るときに、いろいろアドバイスをいただいたんだ。」
「イオ、というのか。いい名前だね。」
イオは、ぱあぁっと表情を明るくした。
「少し試させてもらってもいいかな?」
イオがまたウイルを見上げる。
「どうぞ。イオも好きに答えてごらん。」とウイルが微笑みながら言うと、イオもまた笑顔になって古川教授を見た。
「では、イオ。質問だ。」
古川教授は優しそうな顔でイオに向き合った。
「壁に向かって立って、1歩・・・いや、君の場合は4輪走行だから50センチとしよう。壁に向かって立って、さらに50センチ前に進むにはどうすればいいかな?」
禅問答だ。
答えは、1歩退がってから1歩前に進む——だが、イオはどう答えるだろう。
固定観念を捨てよ。柔軟に発想せよ。という禅の教えの初歩の一つだ。
データにアクセスしているだけの生成AI なら、正解を答えるだろう。下手をすれば「1歩」という言葉で答えるかもしれない。
はたしてイオは独自の発想で答えるだろうか。
イオは視線を落として少し考えていたようだが、明るい顔で古川教授を見返すと、こう答えた。
「90度向きを変えて、壁に沿って50センチ前に進みます。」
古川教授は目を丸くしたが、そのあとに続いた答えの方にむしろ驚かされた。
「無限に続く壁はありません。」