1 クリスマス・シグナル
気がついた時、ワタシはそこにいた。
「おはよう、イオ。」
「おはようございます。ウイル。」
ワタシは答えるべき言葉を知っている。
それは初めから知識として与えられていた。
+ + +
それは初め、街角の信号機の誤作動から始まった。
「ねえ、何、あれ?」
「信号機が酔っぱらってるぜ、おい。」
「クリスマスだからねぇ ♪」
そういえば信号機は赤と緑のクリスマスカラーだ。
それがリズミカルに点滅を始めたのだ。
「どうやって進めばいいんだよ? これ。」
またたく間に車が渋滞を起こす。
そのうち誰かが気がついた。
ラジオから流れるクリスマスソングのリズムで点滅していると。
「何かの演出?」
「クールじゃあん!」
その異変は、その国の中だけに終わらなかった。
信号機どころか病院の集中治療室のコンピュータまで酔っぱらったみたいに誤作動を起こし、患者の生命が危険にさらされる事態が世界中で多発したのだ。
しかしその事件は、あまり大きなニュースにはならなかった。
なぜなら決済システムが世界のあちこちで誤作動を起こしたからだ。世界経済は一時大混乱に陥り、株価は乱高下した。
もっとも、この一時期においては株の売買注文でさえ信用できるものではなかったが。
某国の軍事演習では戦闘機が一時コントロール不能になり、友軍の空母にミサイルを誤発射するという事態も起きていた。
これらの異変はほぼ1日の間に起き、そして、何事もなかったように静まった。
しかし、静まったからいい、というものではない。
世界は大騒ぎになり、原因を突き止めるために世界中のあらゆる機関が動き出した。
何らかのハッキングが行われたのは間違いないのだが、それらしい痕跡が残っていない。
これまで、これほどの被害をもたらしたハッカーグループも国家機関も存在しなかった。
そもそも、C国やR国のサイバー部隊の仕業なら、その被害はA国やE連邦に限られるはずだが、被害はそれらの国々にも及んでいるのだ。
これほど大規模なサイバー攻撃を相手構わず仕掛けられるようなハッカー組織があるという情報も、これまで聞いたことがない。
いったい、何者が、何の目的で行ったのか?
同時にこれだけの障害が発生した以上、これを偶然と呼ぶことはできない。
世界中の企業だけではない。
あらゆる国の国防機関やセキュリティ企業が、血眼になって侵入の痕跡を探した。
ヒステリック、とさえ言ってもいい。痕跡さえ掴めないようなら、再び同じような侵入を許すことになる。
一部の国のサイバー特殊部隊は、あらゆる最新の解析を試みた結果、ほんのわずかな侵入の痕跡を見つけたが、侵入者の特定どころか、どこから来たかさえ知ることはできなかった。
これまでのサイバー攻撃とは次元が違った。
ところが、これほど完璧なハッキング技術を持ちながら、暗号資産を盗むでもなく、この犯人はただ子供のいたずらみたいな真似だけをして沈黙してしまった。
愉快犯だろうか?
自らの技術を誇示したかったのだろうか?
その技術を、どこかの国の軍事セクションにでも売り込みたいのだろうか?
「その後、何の進展もないのかね?」
国防長官のスミスは、苦虫を噛み潰したような表情で情報部門トップのカリマンに訊いた。
「総力をあげて情報を収集していますが、今のところ、R国もC国も我が国と同様、何も掴めていない様子です。同盟国からの情報にも・・・」
「犯人からの接触も?」
あれほどのデモンストレーションをやってのけたハッカーだ。
その技術を国家レベルの組織に高値で売る——というアクションに出ても不思議はない。
「犯人だと言って身代金の要求をしてきた者は多数いますが、全員身元を特定して逮捕しました。全て騙りです。1人残らず・・・。」
「真犯人からの接触はないんだな?」
「ありません。R国もC国も同様のようです。」
「あっても隠しているのでは? 我が国だってそうする。これほどの技術者だ。自国で独占したいに決まっている。」
「我が国の情報能力は、長官が最もご存じなのではありませんか?」
「むう・・・」
とスミスも唸らざるを得ない。
どこかの国に真犯人が接触を試みたとするなら、確証はなくとも、臭いくらいは嗅ぎつけられるはずだ。
最初にあった愉快犯説も消えた。
愉快犯なら、次のデモンストレーションがあってもいい頃だし、何より、これをやったのは自分だと自己顕示したがるはずだ。
動機が、わからない。
ただそこに、脅威だけが存在している。
次の攻撃があっても、防ぐ手立てがない。