5年
少しですがシモの話がありますので、お食事中には読まないことをお勧めします。
話中に出て来る用語や症状は素人がおぼろげな記憶を頼りに書いておりますので、不安を感じた方はきちんとお医者様にかかることや相談されることをお勧め致します。
今回、私がかかった病気に関することを無駄にテンション高めで明るいノリで書いていますが、そうしないと暗く重くなってしまいそうなので、そういうノリが苦手な方には申し訳ないですがお読みにならないことをお勧め致します。
お世話になっている皆様、いつもありがとうございます。初めましての皆様、お立ち寄り頂きありがとうございます。退院後、約半年で10kgも体重が増えてしまった満月イモリンでございます。
退院した日に家に帰るために乗ったタクシーの運転手さんが、退院後は太りやすいから気を付けてとアドバイスして下さったのについ食が進んでしまって(涙)。
術後補助化学療法が終わってから最初の検査で異常なし、と言われたので自分的にまずはひと段落、と思いこのエッセイを書いております。
ちなみに術後補助化学療法というのは、素人の説明で申し訳ないですが、手術が終わった後に目に見えない小さな細胞を攻撃して退治したり、その細胞が増えてまた病気になることを防ぐために行うものです。
さて、タイトルの5年と言えばなろうラジオ大賞5のお題でしたが、このお題を見た時に自分は随分とまたタイムリーなお題が来たなぁ、と苦笑いをしてしまいました。
なぜなら、今回の病気には5という数字が大きく関わっているからです。
例えば、5年後生存率、5年間再発しなければ完治、治癒後5年たたないと献血出来ない、等。
流石に自分のこの話を基にしてラジオ大賞の話を書くのは、退院して間もなかったので書くと重い話になってしまいそうでしたので書かなかったですが、偶然というのはあるものだなぁと思いました
ここまで書くと気付いた方もいらっしゃると思いますが、この度の病気は癌でした。
最初は全くと言っていいほど自覚症状がありませんでした。しかし、徐々に徐々に、段々と腹痛が始まり、その内に治まるだろうと思っていたのですが悪化の一途。食事をとるのも辛くなり、便に赤いものが混ざるようになり、高熱が出てふらふらになってきたところでようやく病院に行きました(え、私が病院に行くの遅すぎ?)
最初に行った病院はうちは消化器系は検査出来ないと言われたので、翌日別の病院へ。その病院ではレントゲンは取ったものの、うちだとこれ以上は詳しく検査出来ないと言われて紹介状を貰い次の病院へ。その病院で詳しく検査したものの、即開腹手術になった場合に対応できないと言われ次の病院に。そしてその病院に着いて更に詳しく検査したところ、入院してから5日で手術となり一か月強の入院となりました。
ちなみに検査ですが、本当は内視鏡検査をしないといけなかったのですが、それをすると患部周辺に色々と撒き散らしてしまうので出来ないと言われてしまい、推定アレ(癌)だと仮定して手術をしますみたいなことを言われました(もちろん、きちんとした説明があり、家族と一緒にお話を聞いたのでこういう言い方ではありませんでした。うろ覚えですみません)
その時にはもう癌なんだろうなぁ、と思ったのですがきちんと確定させていないとお医者様は病名が言えないんだなぁ、大変だなぁとのんきに感じてました(笑)
何故、当事者の私がこんな調子なのかというと、なってしまったものはもう仕方ないのだから、大切なのはこれからどうするかだ、という考え方をしているからだったりします。やってしまったこと、起きてしまったこと、なってしまったことは過去に戻ってやり直せないのだから、これからのことを考えようと前向きなのか投げやりなのか分からない考え方をしています。
あ、一応ですが手術後に取り除いた患部を調べた結果、癌だと確定しました。
私は直接、取り除いた患部を見ておらず写真でしか見てないのですが、かなりグロく見えました。
直接見ていたらお肉、特にホルモンが食べられなくなっていたかも知れません。
さて、手術が終わった直後ですが。体に色々と管が挿さっていて身動きが取りにくかったです。寝返りを打とうとすると管に引っ張られるし、逆向きになると手術の傷跡が下にくるしで、基本的に仰向け状態を維持してました。寝返りが打てないのがこんなに苦痛だとはこの時初めて知りました。
苦痛と言えばくしゃみをしたり咳をしたりと腹部に圧をかけない限りは痛みはほとんどなかったのが幸いでしたが、違う苦痛が待っておりました。
寝付けない、というか眠れないんですね。元々、午前0時に消灯をして1時間くらい眠れないのはいつものことで、2、3時間眠れないこともあったのに病院の消灯は21時なので早すぎて眠れない。環境が変わったことにもよって益々眠れない(旅行に行くと常に寝つきが悪いです)。体に挿さったあれこれが気になったり寝返りが打てない、あれこれが外れてもやっぱり眠れない。日中に眠くなるかと言うと何故か眠くならない。
病院の起床時間は6時なので、ふと灯がついたことに気付いて朝になったか、と多少は寝ていることが多かったですが、病院にいる間に熟睡出来たのは2回くらいだった気がします。
ちなみに毎朝、血圧と体温と血中酸素濃度を測るのですが、一度だけ灯が着くと同時に病室に入ってこられて慌てたことがあります。
まだ顔も洗ってないし歯も磨いてない状態だったので(笑)
現在はお陰様で無事に手術も終わり退院して体重も増え(増えない方が良かったのですが)、こうしてエッセイを書いたり他にもお話を書いたり、感想やレビューを書いたりと活動しております。
無事に退院できましたが、自分が癌になって思うことは私の母も、母方の祖母も、部位こそ違えど癌で命を落としていただけに、自分は運が良かったな、ということです。
母は高齢で手術が出来ず、最期は自宅で看取ったので、自分も同じように全身のあちらこちらが痛くなり、身体が動かなくなっていくのだろうか、介護で家族に負担を掛けてしまうかと思っていただけにそうならなかったのは幸運でした。
母の時に介護、というにはおこがましいですが日中には介護士さんや看護師さんに来てもらい、夜は父と二人でしていたので大変でした。夜中、寝入りそうになった瞬間に呼ばれて眠れないことも多く、あの頃は睡眠不足で仕事に行っていたものです。
そうなることなく私の手術が成功したのは、もしかしたら同じ病気で亡くなった二人が守ってくれたのかも、なんて思ったりもしております。
ただ抗がん剤の副作用というか後遺症で指先の痺れがまだ残っており、キーボードを長時間打つのがちょっと辛いですが、これもおいおい治まっていってくれると思います。
さて、今回の癌は早期では無症状のため、直ぐには気付けないことが多いのですが、実は異常は数年くらい前から出ていました。
それが健康診断における便潜血で陽性反応が出始めていたということです。
その時に直ぐに大腸内視鏡検査を受けていればお腹を20cmも切るような手術をしなくて済んでいたかも知れませんし、癌のステージももっと小さく、術後補助化学療法も受けなくて済んでいたかも知れません。
何故、検査を受けなかったかというとそこまで大袈裟にしなくてもとか、その内良くなるだろうという楽観、そして検査でお尻を見せるのが恥ずかしいと思ってしまったことがあります。
すでに恥ずかしいとか言っている場合ではなかったんですが(汗)。
そして入院して感じたことですが、お医者さまや看護師さん達は慣れていらっしゃって何も気にされていないので、こちらも気にしすぎる必要が無かったんですよね。
手術後で身体が動かせないときに身体を拭いて貰ったとき、色々と見られましたが看護師さん達は何も反応せず、淡々とお世話して下さいましたから。
と言う訳で今回の体験で得た教訓は、体の不調を感じたら直ぐに病院に行きましょう、健康診断の結果は軽く見てはいけないし、異常があったら精密検査を受けましょう! ということでした。
それがひいては自分の健康を、命を守ることになります。
そして検査を受けるのが恥ずかしい、と思ってはいけません、検査は受けましょう。
見せるは一時の恥、見せぬは一生の傷、です。経験者が語っているので間違いありません。
実は今回の健康診断で便潜血が検査2回中1回出たので、主治医に相談してもしかしたら大腸内視鏡検査を受けることになるかも……?
実は……手術のずっと前に内視鏡検査に関して調べているときに、高取和生さまと鶴舞麟太郎さまが内視鏡検査を受けられた、というエッセイを読ませて頂いておりました。
あの時、自分も内視鏡検査を受けておけば、もっと早く処置出来てステージも小さくて済んでたのにと思うと本当に後悔先に立たず、です。