7.召喚士の仕事1
たいていのところへはグランを伴うエタンから、留守番を言い渡された日、召喚獣は出歩かず、家の中にいた。エタンが帰った際、出迎えてやろうと思ったのだ。
家の中を歩き回り、あるいは棚の上に飛び乗ってみたり、あるいは狭い隙間に身を滑らせてみたりした。窓からは日が差し込み、明るい。良い天気である。
グランは窓辺に行き、外を眺めた。
緑の葉が陽光に照らされ、きらきらと輝いている。実に暖かそうだ。外に出てみたくてうずうずする。
いや、我慢だ。
エタンはグランに「留守番を任せる」と言ったのだ。この家を守る必要がある。
エタンはグランを置いてでかけるというのに、召喚書の中に戻さなかった。
魔力量は大丈夫なのか、あいつ。
呆れつつも、きっと家を守れということなのだろうと思ってやる気になっている。
なお、エタンは現在の住処を気に入っているので、建物と内部にも防壁の魔術をかけている。そのため、グランが守る必要などはないのだが、そんなことは知らない召喚獣は使命に燃えていた。
窓の外はうららかで、草がつやつやしていて、ついつい突きたくなる。
うずうずする気持ちのままふたつ尾を揺らしながらじっと見ていると、ふと気配を感じた。獣の性で他者の気配には敏い。
敵意がある者が近寄ってきているのなら、撃退する必要が生じてくる。グランは意識を凝らして気配を探る。
人間だ。小さい。おどおどしている。
グランは窓ガラスに鼻先をくっつけるようにして外を凝視する。
エタンは元魔術師で、この住処に他の者の意識が向かないように魔術をかけているのだと言っていた。そのせいか、この家にも窓からのぞくグランにも気づかないまま、小さな女の子がよろよろと歩いて行くのを見守った。
迷子だ。
エタンが読んでくれる絵本でたまに出てくるから、すぐにそれと分かった。
グランは考えた。
子供は道を見失っている様子で、そのままでは森を抜けることはできなさそうだ。
すぐに戻ればエタンが帰って来るのを迎えることはできるだろう。
グランはそうと決めればすぐさま行動に移した。窓を顔で押しやって開け、するりと潜り抜けて外に降り立つ。
「にゃあ」
「あ、猫さん!」
そうそう。わざわざ猫っぽく鳴いてみせたのだから、ちゃんと認識してもらわなくては。
「可愛い!」
手が伸びて来たので、グランはさっと身を翻し、距離を取る。
グランはエタンに撫でられるのが苦手である。撫でられると、喉がごろごろ鳴るからだ。それでもたまに、膝の上に乗せられて撫でられることがある。そんな時は丸まって目をつぶってやり過ごす。そのうち、いつの間にか眠っている。そんなグランは、エタン以外の人間に撫でられるのは嫌である。
「にゃあ」
グランは少女が進もうとしていたのとは違う方向へ少し歩き、振り向いてふたたび鳴く。
「どうしたの? あ、ついてきてほしいのね。良いわよ。森の中は怖いものね。いっしょに行ってあげる」
グランは吹き出しそうになるのをこらえながら、ゆるゆると歩く。小さな歩みがついて来れるようにだ。
つい今しがたまで不安そうにしていた少女は自身の恐怖をグランに押し付けて、同行してやるという形に納めてしまった。小さくてもプライドがあるのだ。
少女はしきりに、どこから来たの、どこに住んでいるの、などとグランに語り掛けた。
その調子で森の恐ろしさから目を背けておいてくれよ。恐怖で一歩も動けなくなられてはかなわない。
そんな風に思いながら、グランは周囲を警戒しながら森の終わりにまで少女を誘導した。
「あ、森から抜けられたわ! ———あれ、猫さん? どこ?」
「にゃあ」
グランはたたっと木の幹を駆けあがって枝の上に登った。
「わあ、すごい。———ねえ、もしかして、猫さんってふつうの猫じゃないの?」
「にゃあ」
そうだよ。
「やっぱり! きれいな黒い毛だものね」
タイミングよく鳴くと、少女が答える。ちょっとした会話になっていて、グランも楽しい気分になってきた。
「ねえ、もしかして、猫さんは召喚獣というやつではないの?」
少女が声をひそめて言う。グランの発達した聴覚はちゃんと拾い上げる。
「にゃあ」
そうだよ。良く知っているね。
「そうなのね! ねえ、わたしね———」
「それで、その女の子が召喚士に依頼したいことがあるって?」
『正確にはその子の父親がな』
翌日帰って来たエタンを迎えたグランは、土産だという焼き菓子を食べながら、少女から聞いた話をした。
少女の父親は街はずれの牧場を持っているが、最近、家畜が襲われるらしいのだ。
『それが野犬や狼ではなく、妖獣じゃないかというんだ』
番犬が食い殺されていたことや、犠牲者の身体に残る爪あとや噛みあとからそうではないかと推測されたらしい。
『森へ来たのも母親がすっかりまいってしまったから、心を落ち着かせる薬草を採りに来たんだって』
そこで、妖獣ならば妖獣を使役する召喚士に依頼して退治してもらおうという話が持ち上がっているのだそうだ。
エタンとグランの住処がある森の近くには大きな街がある。そこに召喚士組合があり、そういった一般人からの依頼も舞い込むのだそうだ。
「それでグランに依頼をしたいというのか」
『俺らもいい加減、召喚獣と召喚士としての仕事をしないとな!』
森のなかに引きこもってのんべんだらりとしているので、いつまで経っても新人のままである。
なお、グランはエタンが以前魔術師であったということは知っているが、どの程度の腕前であるかということ、更には現在召喚士と兼業しているということを知らない。
グランはいつでも暢気な召喚士に、自分が頑張らないとと勢い込んだ。エタンは魔術師から転身したので、歳はいっているけれど、駆け出し召喚士なのだ。
それを笑われても気にしない。グランという召喚獣と契約出来て喜びでいっぱいであるからだ。
『能天気なんだから!』
「グランが危険にさらされるから嫌」
討伐じゃない依頼を受けるか、せいぜい弱いのを討伐するならと言うエタンに、イマイチ召喚士め、と仕事を受けろと尻を叩く。
グランにせっつかれて、エタンは街へ行くことにした。今度は召喚獣を伴う。大賢者としての仕事を終えたばかりだが、大した労力は使っていない。なにより、張り切るグランに付き合うのだから、まあ良いか、となった。
人の街は珍しくて、きょろきょろと辺りを見回すふたつ尾の黒猫が可愛くて、後ろをついていくエタンはにやにやした。
召喚士組合の建物に入ってこれこれこういう依頼は入っていないか、と聞けば、受け付けていたらしく、すんなり話が進む。
「ああ、あれですね。尾が二本の黒い猫種の召喚獣を持つ召喚士に依頼したいとありました。ちょうど、条件に当てはまりますね」
カウンターから身を乗り出してグランを眺めた職員が詳細を説明するために依頼書を取に行く。
「あー、でも、ちょっと新人には難しい依頼になるかもしれません」
カウンター奥の棚でごそごそやっているため、声を張る。
「その点は、以前魔術師だったので、魔術と併用して乗り切る」
むしろ、魔力でガチガチに防御しているので、危険はない。
グランが気を引き締めている様子で、きゅっとへの字口に力を入れている。
エタンはその様子を可愛いなあと頬を緩める。
その締まりのない顔を居合わせた召喚士たちが見ていた。職員が少々大きめの声で言ったことが耳に入った者がいたのだ。
「あの年齢なのにまだ新人なのか?」
「よせよ、」
からかう者、それを止める振りしつつ笑う者がいる。エタンは馬鹿にされても気にしなかった。むっと目を怒らせたのはグランである。自分がすごい召喚獣になって見返してやると意気込む。
だが、エタンを見下す召喚士たちが「まあ、新人ならあのくらいの妖獣がちょうど良いだろうな」と続けたものだから、申し訳なさそうに気落ちする。これにはエタンが怒った。
「あいつら」
珍しく低い声を出すエタンに、受付がひっと喉の奥で悲鳴を上げる。危険から早く離れたいとばかりに、牧場の依頼をエタンに託した。
グランが早く行こうと急かすので、エタンは陰口を聞こえるように言う召喚士たちを睨みつけながら組合を後にした。
「な、なんか、すごい迫力のある新人だったな」
エタンが堂々としているのは称号を持つ魔術師として実績があるからだ。
「ああいうやつがさっさと実力をつけていくのかな」
「え、じゃあ、俺らって将来の実力者に睨まれたってこと?」
彼らは知らない。召喚士としては無名であっても、魔術師としては余人の追随を許さない実力者であることを。