6.大賢者の仕事2
乗合馬車に乗って王都を出たエタンは、街道脇で降りた。
馬車が走り去り、人通りがないのを確かめた後、飛翔の魔術を使って一直線に古城を目指す。
遠見を使ったところ、森のなかに建つ古城は昼なお暗く、ところどころが崩れ落ち、うらさびれた雰囲気があった。門扉はさびて蝶番が取れ、開いたままになっている。常時使用する探知には鏡の他にはなにも感知しないので、そのまま突き進むことにする。
魔術ではなく肉眼で捉えた古城の内部に、躊躇せずにそのまま飛び込んでいく。
魔術師長はエタンが魔術を変容させることができると知っていてなお、その本質を理解していなかった。
電撃と装雷を同時使用する。人もいないので、無詠唱である。
裁きの雷と称される落雷は天からもたらされるものだ。空から降って来ること、そしてその轟音と闇を切り裂く稲光はまさしく、神の威光をまざまざと見せつけるもので、地上の者たちの多くがひれ伏す。悪卑にも有効であった。
飛翔の魔術を解き、鏡の前に降り立ったエタンに、悪卑は喜悦の舌なめずりをし、娘は落胆の表情を浮かべた。エタンは軽やかな足取りで近づいた。娘の肩の向こうに影が揺らめく。エタンは娘に手でしゃがむように指示した。怪訝な顔をしながら、娘は膝を折る。
と、エタンは電撃をまとわりつかせた拳を、鏡の中に突き入れた。
それは天の領域の力が宿ったものであった。今までに味わったことのない鋭い一撃を食らった悪卑は咆哮した。そして、それは断末魔となった。
電撃はそこに巣食う悪卑だけでなく、鏡自体をも打ち砕いた。
長い年月を鏡の中で過ごした娘は愛した者や両親ですら食い殺されるのを目の当たりにしてきた。多くの惨状を見せつけられ、果ては人を呼び寄せる手段とされてきたことに疲弊していた。心が擦り切れ、もはや鏡とともに打ち壊されたいと願っていた。
今や、影は消え去り、娘は鏡の破片きらめく聖性が天に昇るのと一緒に魂は安からん国へと昇っていく。
「ありがとうございます。わたくしを救ってくださって、ありがとうございます」
そう言って娘は煙のように消えた。鏡が粉々に砕ける涼やかな音は祝詞となり、犠牲者の弔いとなった。
大賢者の称号は国王すらおろそかにできない。諸外国への牽制となる。だからこそ、この国に留めおこうとあの手この手を使ってくる。
一番多いのは女性を使っての色仕掛けである。
国王はエタンが賢者の称号を蹴って召喚士になると主張した際、王女をやろうと言った。国王は老境にさしかかろうとしており、王女は難ありで残っている人物だと聞くので丁重に断った。
ところが、それでは孫娘をという。こちらは若くて美しい。
「敬わなければならないからなあ。いらない」
そのわりに、自身の召喚獣にはかしずいている。
王都に戻り、報酬を受け取ったエタンが魔術師の塔から出てくるのを、女性たちが待ち構えていた。
女性に取り囲まれたエタンはグランを連れてこなくて正解だと思った。
「出かけてくるから留守番をよろしくな」と言った際、見上げてくる顔、不安にへの字口をきゅっと硬く閉じていた。思わず、お土産たくさん買って帰るからね!と言ったものである。
そんな甘さは王都に着いた途端、霧散した。
自分を取り込もうとする権力者たちのとばっちりが及ぶのを恐れて友人たちと距離を置いたところ、疎遠になってしまった。王都はもはや懐かしむこともない場所である。
「やだあ、エタンったら、王都に来ているんだったら、声を掛けてよ」
「お仕事、終わったんでしょう? これから食事でもどう?」
「あら、エタンはわたしと飲みに行くのよ。ねえ、あの店に良いお酒が入ったらしいわよ」
傍から見ればうらやましい限りの光景だが、下心がありありと分かるエタンは、さて、この女たちはどこの誰からの指示でどういう思惑があるのかな、などと考えていた。まあ、押し付けられた胸の感触を楽しむくらいの余禄はあっても良いだろう。グランは鼻が利くから、飛翔で森の空気をたっぷり身に付けてから家に入ろう、とこっそり思っていた。
浮気を隠そうとする夫のような隠ぺい工作まで考えていると、新手が割り込んでくる。
「ちょっと、あんたたち、邪魔よ!」
「きゃっ」
「押さないでよ」
「なによ!」
「エタン! 久しぶりね!」
「なにか用か?」
「あら、恋人に対してつれないわね」
「別れただろう」
召喚士になるといったら憤慨したり、懐柔して翻意させようとした。けれど、エタンが意見を変えないと知るや、別れると言ったのは向こうだ。
「そう言ったらあなたが気を変えるかと思ったのよ」
甘えるようにしなだれかかってくるのをかわし、さっさと女性たちを撒く。しつこく追って来るので、隠蔽の魔術を使う羽目になった。
せっかく大きな街へ来たのだから、と適当な場所で適当に遊んでおく。誰かの思惑をたっぷり背負った女性たちとは遠ざかるに限る。
その後、いそいそと土産の菓子を買い込んで帰途についた。もちろん、森の中で臭い消しをするのも忘れない。
「ただいま」
『お帰り』
出迎えてやろうと家にいたグランに、エタンは相好を崩す。ちゃんと帰って来たエタンにほっと安堵するグランに、純粋に帰宅を喜んでいるのが分かり嬉しくなる。グランこそが、エタンが召喚士であることを心の底から歓迎しているのだ。そんなグランには防壁の強固な守りを施しているが、無事な姿を見て、エタンも内心安堵していた。自身に向けられる刺客よりも、グランが傷つけられることの方がよほど恐ろしい。
留守番をしてくれていた礼だと言って、いっしょに王都の菓子を楽しんだ。おいしそうにせっせと食べるグランの姿を見て、幸せを感じる。
大賢者としての仕事を済ませたから、これでもう当分、のんびり召喚士として暮らせる。
そのエタンの思惑に反して、今度は召喚士としての仕事をすることになるのだった。