4.同族からのSOS
エタンは大きな街から少し離れた森の入り口付近に居を構え、住み続けている。召喚獣を探すためにそうしたのだが、契約したグランは常に自由にさせている。森の中の方が居心地が良かろうと考えてのことだ。
グランにはないしょで防壁の魔術をかけている。ブレスひと吹きで街を吹き飛ばすようなドラゴンに出会うのでもなければ大丈夫だ。過剰防衛である。
にもかかわらず、探知の魔術も常時発動させ、異変が起きればすぐに察知できるようにしている。
我が身と召喚獣を守るためにはこのくらいでちょうど良いと思っている。オーバーキルである。
ちなみに、通常の魔術師は常時、防壁や探知を使用することはできない。双方を操作するのに四苦八苦する。そして、魔力量がもたない。
エタンは大賢者の称号を得ているので朝飯前だった。なんなら、みっつよっつ、時にはそれ以上の術を同時に行使する。
「うちの子を守るためだ。必要措置だ」
過保護である。
さらに付け加えると、召喚獣を召喚書に収めていないため、そちらへも魔力を渡す必要がある。推し———もとい、自身の格好良い召喚獣に魔力を貢ぐことができるのは本望である。むしろ、時折思い出したように遠慮を口にするグランをなだめすかして魔力をやっている。
グランにはふだんから自由にしてほしいと思っている。魔力が乏しくなって不自由な思いをするなど想像するだに胸が痛くなる。
さて、そんな風に常時使用している探知が、猫種の妖獣が近付いてきていることをエタンに知らせた。
森を散歩するグランに気づいたらしく、いそいそと近寄っていく。先だって、猫の集会でグランが気を失っている際にしっかりと「うちの子をよろしくね」とお願いし(脅し)ておいたから、大丈夫であろう。
一方、森の中で同族の姿を見たグランは驚いた。
『こんな森の端にやってくるなんて、珍しいな』
『ちょっと、頼みがあってさ』
『頼み?』
同族から話を聞いたところ、縄張りの近くを強い妖獣がうろついているので、追い払うのに手を貸してほしいという。
グランたちの種族は膂力もなければ、そこまで魔力も高くない。誇れることは知能が高くすばしっこいということだ。その特性を活かして逃げのびているが、いつまでもそうしてはいられない。住まいの安全が脅かされるというのは、非常にストレスがたまるものである。
『そりゃあ、大変だな。いいぞ。手伝ってやる!』
魔力量の少なさから今までみそっかす扱いをされてきたグランは、召喚獣となったことから、その力を見込んでということだと勇み立った。
『それでさ、黒いのの召喚士に頼んでほしいんだ』
『エタンに?』
グランは相談を受け、同族が困っているから力になろうという気になっていた。頼りにされているのだから、応えたい。ところが、同族はエタンにうまく言って力を借りてくれと頼んできた。
グランはエタンを巻き込みたくない。
同族としては、猫の手を借りたいのではなく、エタンの力を頼みにしているから、せっせとグランを説得にかかる。
どちらにせよ、出かけるなら一言断る必要があるから、グランはいったん家に帰って話してみることにした。
『そういうことだから、助けに行ってくる!』
牙を見せながら笑顔で宣言する。
よほど、同族に頼られたのが嬉しいのだ。
グランの瞳はまん丸だ。琥珀色に黒い円が入っている。どんな宝玉を優秀な職人が磨いてもこんなにきれいな模様が入った円にはならないだろう。
この美しく優しく勇敢な黒猫のことを同族たちはさんざん馬鹿にしていた。その召喚士の力を借りるために手のひらを返してやって来たグランの同族を、エタンは無言で見やった。
同族は先日見せつけられたエタンの実力に頭を垂れつつ、上目遣いをする。そして、なんとかお願いします、と言う。
「「お願いしますにゃ」って言ってみて」
ここでエタンが断っても、グランは単独でも助けに行こうとするだろう。ならば、断る選択肢はない。だが、業腹だ。だから、そう言ってみた。グランは猫っぽい言葉遣いをしてくれない。先だっての集会では「にゃあ」って言っていたのに。つまり、エタンはグランの同族に腹いせをしたのだ。
『お前な……』
何度となく「にゃ」言葉を使ってほしいと言われてもすげなく断っているグランは、またそれか、と呆れる。
『お願いしますにゃ』
『え?』
そんなふざけたことをと怒るどころか、おとなしく従った同族に、グランが目を丸くする。
「うん、じゃあ、いいよ」
『いや、でも、危ないから、』
あっさり受け入れたエタンに、グランが止めようとする。
「危ないからこそ、俺も一緒に行って、グランに魔力を渡さなきゃね」
そう言われて、グランはうっと詰まり、先ほどの同族と同じく上目遣いになる。
『……お願いします』
エタンの言う通り、グランは魔力量が少ないから、供給は必要だ。
「あれ、グランは「にゃ」をつけないんだ?」
『ほら、ふざけていないで、行くぞ!』
いつもの通りかわして、同族を促し、するりと身をひるがえして家を出る。
『な、なあ、言わなくて良かったのか?』
後方のエタンを気にしつつ、グランの後を追いかけて同族がおろおろと言う。
『いいよ。というか、お前もよく言ったな』
『だってさあ』
グランはそれを、「助けを頼みに来たのだから」という意味に受け取った。同族からしてみれば、「機嫌を損ねたら怖いじゃないか」というところである。
エタンも恐ろしいが、住処の近くをうろつく妖獣も怖い。安心して暮らせる環境のためには、いたしかたがない。それに、たぶん、グランがいたら大丈夫だ。
同族の考えはあながち間違ってはいなかったのである。
同族が案内したのはエタンとグランの住まいからずっと森の中へ入った低い木々に囲まれた場所だ。崖ほどではないちょっとした段差がつき、岩がせり出して庇を作っている。中の土が大きく内側へえぐれて入口付近に木の枝を立てかけてあり、目隠しや風雨をしのぐこともできそうだ。
『へえ、良いところだな』
『だろう? おおい、帰ったぞ』
グランが周囲を見渡して言うと、同族が得意げに顎を上げ、立てかけてある木の枝を横に押しやった。
『あれ、誰かいるのか?』
「グラン、住処を守ろうとするんだから———」
中から顔を出したのは雌の同族で、腹がぽってりと大きかった。
『お前、番ができたのか!』
「やっぱり子供が生まれるんだね」
『おお、おめでとう!』
『へへ、ありがとう』
グランが目を見開き寿ぎ、同族は照れくさそうにする。見知らぬ同種の妖獣と人間とを見て警戒する番に、助っ人だと説明する。それを眺めていたグランが無言でエタンに視線を向ける。
見上げる顔、鼻の下のきゅっと閉じたへの字口がなにか言いたげだ。
「うん、分かっているよ。安心して子供が産めるように、静かに短期決戦で終わらせよう」
『うん!』
ぱあっと琥珀色の瞳が明るくなる。
同族には身重の番になにかあった時に対応しなければならないからと言って、傍についているようにした。
エタンとしては探知で相手の居場所を知り、拘束で動けなくして攻撃魔術を放てばよい。
エタンが大賢者と言われるゆえんである。視認できない場所に攻撃魔術を放って倒す、という荒業ができるのだ。
閉じた箱の中にある物がリンゴだと教えられ、ナイフを持った手を入れて皮をむくようなものである。できないことはないが、危なっかしい。自身の指を切ってしまう危険性もあるし、きれいにむけない。
だが、エタンは単なる賢者ではなく「大」賢者だった。
本人からしてみれば、当初は「大」はつかなかったのに、いつの間にかつけられていた、というところではあるが。「請けた仕事の報酬量が上がるから、まあ、いいか」程度の認識である。その分、格段に危険性や難易度が跳ね上がるのだが、エタンからすれば誤差の範囲内である。
ともあれ、自身とグランを安全な場所に置きつつ、対象を倒すという荒業を使えるのに、そうしなかった。
『よし、頑張らなくちゃな!』
同族の番の安全を守るのだ、というぱんぱんに膨れたやる気に満ちていたグランに、水を差したくはなかったからである。
影ながらこっそり手助けする方法を取ることにする。こちらの方が難易度が高い。
探知の魔術でそれらしい妖獣をさっさと見つけ出し、そちらへグランを誘導する。
「グランは風を操るのが得意なんだな」
『そうだよ。もっと水や大地の精粋力を使えたら良いんだけれど』
「じゃあ、今日、試してみよう。苦手だからって言ってやらなかったら、いつまでも上達しないよ」
『う、うん』
不安げに眦を下げるグランはだが、勇敢な召喚獣だった。なにもこんな場合ではなくもっと弱い相手の時に練習するとは言わず、格上だろう相手にこそ通用するようにならなければ、と気負う。
エタンはグランに気づかれないように、粘着性の高い液体をまいたり地面を陥没させたりすることで、妖獣の足止めした。それこそ、水や大地を駆使した魔術を駆使しての応援であり、そうしてできた隙を見逃さず、グランはあれこれ魔術を行使した。
魔力欠乏に陥りそうになるが、即座にエタンから魔力を譲渡される。水の鞭で戒め、岩を尖らせて風で巻き上げてぶつける。
「お、いい調子だな。落ち着いてやればできるんだよ、グラン」
『うん!』
徐々に傷を増やし、動きが緩慢になっていく妖獣を見ながら、そんな風に会話をする余裕すらあった。
いつもは目の前の敵を倒すことで精いっぱいのグランだ。
しかし、敵も生き延びることに必死だ。今際の力を振り絞って激しく暴れた。
『あっ』
グランの水の戒めが吹き飛ばされる。
「落ち着いて」
エタンは拘束を無音で発動させる。とたんに、妖獣は動きを止める。
「ほら、最後の力だったんだよ。とどめを刺して」
『う、うん』
拘束で一見ぐったりして横たわる妖獣に、グランは岩の楔を作り出して放つ。
「やったな、倒したぞ」
『これで、安心して子供が産めるな』
「ああ。それに、グランは水も大地も風も十分に上手く扱っていた」
エタンがそう言うと、グランは誇らしげに顎を上げ、ふたつ尾をゆらめかした。
同族とその番は妖獣を倒したと言ったら、追い払うのでも大変だろうにと驚き、エタンとグランに何度も感謝の言葉を言った。
同族は自分の番とグランが『強いんですね』『まだまだかけだし召喚獣だけれど』とやり取りしているのを複雑な表情で眺めていたが、なにも言わなかった。エタンの口止めはしっかり機能している。