歌池聡風大江戸学園落語 『ウタにはうかつに手を出すな』
歌池 聡さまの物真似で落語の物真似に挑戦してみました!
歌池さまからはお優しいお許しをいただいております。
えー、『男尊女卑』などという言葉がありますな。
封建制度と男尊女卑の思想に女性は虐げられ続けてきた、その出発点は江戸時代にあった──とか、よく言われております。
ですが、こんなの大きな間違いである、というお話をこれからいたしましょ。
江戸市中には1200以上の寺子屋があったと言われております。
寺子屋に通う生徒さんは『寺子』と呼ばれ、6、7歳から12、3歳頃までのお子さんたちでした。男尊女卑の江戸時代! だから、寺子といえば男児ばっかりなのか? と想像してしまいますが──
これがふつうに、女児も混じっておりましたそうな。
特に江戸の神田、日本橋、浅草などの町人が多い地域では、寺子の数は男女の割合がほぼ同数だったそうです。
江戸時代といえば商業活動が活発になった時代。
女子の労働力も必要になって、また生活にもゆとりが生まれたので、女子にも教養を与えようってことになったんでしょうな。
寺子屋の師匠として教えていたのも3人に1人は女性だったそうですよ。
親御さんたちは、商家や武家へ奉公ができる教養や行儀作法を身につけさせることを期待して、娘を女性の師匠の元に通わせます。武家奉公をしたという女子のキャリアは、結婚のための箔をつけるだけでなく、寺子屋の師匠として自立して生きるためにも役立つものだったと言われておりますな。
『男女7歳にして席を同じゅうせず』なんて言葉があります。6歳までは神の子と言われ、男女の性差もありません。でも、7歳からは差別しなきゃならん。そういう中国から伝わった考え方なのだそうですが──
ところが寺小屋ではふつうに男女共学で学問を学んでいたそうですよ。──あ、この部分だけはしいなここみが話を書きやすいよう、でっち上げたものですので、真に受けないように。
さて、江戸の町のあるところに、同じ寺小屋に通う仲良し3人組がおりました。
それぞれに名前を定吉、聡、ウタと言います。最後のウタだけ女の子です。歳は皆13で、昔のお話ですからそろそろ成人して、奉公に出ようという頃でございました。
3人とももうとっくに思春期です。また、中二病の年頃ですから、とにかく蘊蓄があるところを披露して異性の気を引きたい。男の子2人はウタの気を引くため、何かというと賢そうな会話をおっ始めます。
「おい、定吉。今日、師匠がギリシャ神話のイカロスの話をしてたよな?」
「ああ、勇気ある彼は翼を背にして空へ飛んで、太陽に羽根を焼かれたんだ。カッコいいよなぁ」
「俺はイカロスのような男になりたいぜ」
「俺もだ。おまえには負けないぜ、聡!」
ウタはそれを聞いているのかいないのか、冷めた目をしてさっさと先を歩いて行きます。
2人は少し焦って、ウタの背中に声を投げます。
「おぅい、ウタ! おまえもイカロスみたいな勇気ある男が好きだろ? な?」
「イカロスってカッコいいよなあ? 俺がもしイカロスになったらおまえ、好きになるよな?」
ウタはくるりと振り返ると、2人にギャル言葉で言いました。
「ばっかじゃねーの? 私はアンタらがイカロスなんかになったら笑ってやるッスよ。
知んねーッスか? イカロスは脱獄するため父親のダイダロスに翼を作ってもらって、逃げたはいいけど浮かれて飛びすぎて、そんで太陽に近づきすぎて翼を焼かれちまったんッス。
イカロスはダメ男の典型ッス!」
2人は思いました。
コイツ、ギャルのくせに、流石は寺小屋に通ってるだけのことはある。俺らより賢い──
もしコイツと夫婦になったら、ゆくゆくは尻に敷かれちまうかもしれねぇな──
ウタにはうかつに手を出しちゃいけねぇな──と。
さて、そんなふうに反省して黙り込んだ2人を見た、ウタちゃんの心の内はといえば──
イカロスのロの字は漢字の『口』とも読める。
口のなくなったイカロスは『イカス』。
コイツら、黙ってさえいれば、『イカス』のになぁ──
そんなことを、思ったそうです。
では、お後がおよろしいようで。
インターネットよりところどころ引用させていただきました。https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/182791/
落語、時代物に限らず幅広い作風! ゆんちゃんもかわいい!
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