11-10 言わないで
相手女性との約束の日、義弘は陰鬱な表情で、キッチンの椅子に腰掛けていた。
「義君、何してるの?デート遅刻しちゃダメだって教えたでしょう」
義弘の耳に、里美の声がかすかに聞こえた。
「里美さん?里美さん?いるんだったら、出てきてよ。里美さん」
その後、しばらく静寂が続いた。電車が通る音が遠くに聞こえ、また、静かになった。
「仕方ないわねえ。楽しいデートの日でしょう?それになんて顔してるのよ」
義弘の横に里美が現れた。一週間ぶりの対面だった。
義弘はすっと立ち上がり、里美の正面を向いた。
「僕は行かないよ。里美さん。この一週間で、僕が僕自身の本当の気持ちが分かったから」
いつもになく強い口調で迫ってくる義弘に、里美は後退りした。
「僕は里美さんがいなくなってから、ずっと心に穴が空いたようだった。初めは何故かわからなかったけど、でもだんだん気づいた。僕は分かっていたのに、それを言ってはいけないと、自分で自分の心にフタをしていたんだ。でも、でも、もう我慢できない。僕は、……僕は、さ」
ここまで言ったところで、義弘は話せなくなった。里美が両手で義弘の両頬を挟んだからだ。義弘は小さい頃、言い訳をする自分を黙らせるために、母親が同じことをしたのを思い出した。
「ダメ!義君……それ以上言ったら、私……私……義君のことを……」
里美さんは唇を震わせて言うと、義弘の前から逃げるように消えてしまった。
義弘はしばらく何もせず、じっとしていたが、チラッと時計を見た後、加藤さんに断りのメールを入れた。
「体調が優れず、今日は行けそうにありません。大変申し訳ありません」
義弘はテーブルに突っ伏したまま、動かなかった。