Boy's View 1
男の子の視点です。
その子に会ったのは、夏の、暑い夏の日だった。日本という国で。
細々と貿易業をしながら、日本の西側の港町にすんでいる祖父が、その年亡くなった。
僕の祖父母はもう50年来そこに住んでいて、父も大学に行くまでは一緒に住んでいたらしい。祖母のたっての希望で葬式は日本で行うことになり、僕は両親と一緒にそこに向かうことになった。父の弟の家族、つまり僕にとっては叔父といとこにあたる人たちも一緒に来る予定だったが、いとこ姉弟の弟の方が風邪だか何だか急病で、叔母といとこたちはL.Aに残ったまま、僕ら家族と、叔父だけが取り急ぎ日本にやってきていた。どうせ叔母たちの急病は口実だろう、というのは両親のひそひそ話から推測できた。祖父母と叔母はもともと折り合いがあまりよくなく(結婚のときにもめたらしい)、ほとんど交流がなかったのだ。
僕もこれまで何度か祖父母を訪ねて日本のこの港町に来たことがある、そうだ。まだ幼い頃だったらしく、ぼんやりとした記憶しか残っていない。今回訪ねて、家の形や部屋はなんとなく見覚えがあるような気がしたが、その周辺はさっぱり記憶になかった。だからどちらかといえば祖父母が僕らのうちを訪ねてくることの方が多かったのだろう。
僕の家には祖父母の部屋がちゃんとあって、僕は祖父母も、祖父母の部屋も好きだった。祖父は葉巻を吸う人で、このご時世だけにあまり外でおおっぴらには吸っていなかったけれど、部屋にはいるとわずかにタバコのにおいと、古めかしい書物とインクのにおいが混じった不思議な――タイムスリップしたような――においがして、それがとても好きだった。すべてがセピア色に、ふるめかしく、僕自身も薄く黄味がかって、羊皮紙にでもなったような気持ちになった。静かなものの一部になるのは、気持ちがいいものだ。
異国の地での、祖父の葬式の手配・・・それは正直、両親には荷の重い仕事だったのだろうが、50年もこの地に根を下ろしてすんでいた祖父母だけあって、その友人やら知人やらが、ほとんどを取り仕切ってくれていた。教会もあるの?と問うた僕に、もちろんよ、ふたりともここで教会に通っていたのよ。この港町はもともと貿易で栄えていたこともあって、色んな国の人を受け入れる素地があるのよ、と祖母が教えてくれた。でもアメリカほどではないよね?と尋ねると、まあそうね、違う形であることは確かね、と祖母は少し遠くを見ながら答えた。
祖母はよく祖父と話し合っていたらしく、葬儀の内容についても、参列する人々への挨拶についても、迷いなく、よどみなく行っていた、ように思う。夏の雨の日の部屋のような静かな沈んだ色の悲しみは常にあったけれど、祖母がアイロンがけしたハンカチのように、それらはきちんと折りたたまれ、プレスされ、決して見苦しい形で現れることはなかった。少なくとも僕の前では。
でもたった一つ、祖母が窓から教会をみながらつぶやいたことがある。正確には僕に向かって、ではなく僕の父と叔父に向かってだ。「日本ではね、火葬ではないとだめなんですって。土葬は禁じられているの。それだけが・・・」そういって少し言葉につまった。
おじが言った。「こっちでも、火葬の人は増えてるよ。もう最近はほとんどそうじゃないのかな?」
「燃やすなんてねぇ・・・わたしはあの人に、眠っていてほしいのに」祖母は小さくつぶやくと、少し首をふった。目を閉じて、そして小さく息を吐いた。父も重ねていった「まあまあ、母さん。父さんもそれを判っていてここで眠る方を選んだから、それはそれで、本望ですよ、きっとね。」 祖母は息子ふたりを見やり、何かをあきらめたように小さく笑って、「そうね。」といった。
火葬。僕は祖父が焼かれるところを想像したが、うまくできなかった。大きな、わずかに煙の匂いのする手。少しイギリス訛りのあるゆっくりした口調。今棺の中に入っている祖父と、そういった記憶とは繋がっている。たとえそれらが失われて二度と戻らないとわかっていても。祖母の言うとおり、なぜそのまま土の中に眠らせてはいけないんだろう?なぜ、焼いて、つながっている記憶をばらばらにしなければいけないんだろう?
葬儀は夏の暑い盛りであったため、むしろ朝早い方がよいということで、朝に行われた。前日に親族だけの立会いの下で火葬した祖父を、墓地に埋葬する――牧師が張りのある声で祖父の生前の行いをたたえ、参列者が花をささげ、全てが朝の光のもとで、むしろ華々しく執り行われた。
全てが終わって祖母は急に疲れたようだった。喪服から普段着に着替えたあと、ダイニングのテーブルで家族が皆集まった。僕の母がコーヒーを淹れ、みなで菓子をつまみながら、言葉すくなにこれからの片付けやら段取りを話し合っていた。
簡単な昼食をとった後も、みなまだ動き出そうとせず、祖父の生前の話やら、今後の話やらを入り混じってしていた。祖母があまりにも疲れている様子だったので、父は祖母に昼寝をするよう薦めていた。おそらく祖父がなくなる数日前から、今まで、満足に眠れた日はなかったのではないか、祖母まで体調を崩すのではないか、父はそれを心配していたのだろう。
僕はそうした中で子ども一人、ずっと部外者で退屈していた。祖父が死んだのも、祖母の悲しみを見るのも悲しかったけれど、僕にはそれは僕とは少し離れたところにあるものだった。今、がちゃりと音がして二階の祖父の部屋から祖父が現れても、僕はそれほど驚かなかっただろう。この家にはまだ祖父の気配が満ち満ちていて、僕には祖父の死を感じることができなかった。
少し散歩してくる、そういって僕が家を出たのは2時半ごろだった。暑いわよ、帽子は?近くだけよ、迷子にならないようにね、という母の言葉を背にうけながら、スニーカーをつっかけて外にでて、ゆっくりと歩き回った。祖母が住んでいるのは古くかつこじんまりした洋館で、少し坂を下ったあたりには同じような家いえがあり、その中でも特に古かったり風情があるものは、文化財などになって観光地となっているようだった。そのあたりに出ると、お土産屋らしきものや、すこししゃれた感じのカフェなどもあったが、まだ14歳の僕にはそれほど魅力的なものではなかった。
日本人以外にも、外国人の姿もちらほらあったが、その辺りにいる人はほぼ旅行者らしく、あちこちで写真をとったり、お店をひやかして歩いたりしていた。逆に手ぶらで歩く僕の方がヘンな感じでもあった。ひとわたり歩いて、興味あるものはそんなにないとわかって、僕は少しがっかりした。港の方に行けば大きなショッピングモールがあるらしいが、ここからこの暑い盛りに出かけるのも面倒だ。
少なくとも、小銭を持ってきてよかった。
自動販売機の前で慎重に小銭の種類を選び、金額を確かめてコーラを買い、近くの木陰で一気に飲んだ。コーラは本当によく冷えていて、朝の葬儀とこの暑さで、地面に足がめり込んだような感触だったのが、少しすっきりした。自動販売機が本当にいたるところにあるのに感心しつつ、販売機の横のゴミ箱に空き缶を捨てに戻ったときに、その後ろに小さな階段があるのが目に付いた。
その階段は、そのまま山の中に通じているようだった。この暑い日ざしの中にいるよりは、まだ山の中の方がましかもしれない。それに、たどっていけばどこか目新しいところに通じているかもしれない。そう思って階段を上り始めた。
日はまだまだ厳しくて、階段の白いコンクリートが目にささる感じがした。さっきのコーラのおかげで身体の熱さは少しましになっていたので、もう思い切って一段とばしにかけあがり、山の中の日陰を目指した。
階段を上ると、右手に池が見えた。そのまま道なりに右側に下りていけば池のまわりの小道につながっているようだった。道なりに歩いていくと、左手に分岐が見えた。さらに山の中に進んでいく小道のようだった。まず、そのまま進んで池のほとりに下りてみた。土肌のままだが、散策できるように道が整備されている。ゆっくりと池に沿って進んでいくと、見覚えのある屋根が池の向こうに見えた。祖母の家の近くの教会だ。そのまま進むと、下に降りるもう一つの階段が出てきた。その階段は、協会の裏手に繋がっている。結局、表の道路をたどって下の街並みまで降りて、山の階段を辿って家まで帰ってきただけのことだ。でもまあ、ある程度散策はできた。あまり興味をひくものはなかったけれど、だいたいどの辺りに何があるかは見た。いつまでここにいるかは知らされていないけれど、時間があれば明日は港の方まで朝から出かけてもいい・・・。
一旦家に帰ろうか、と思って今まで辿ってきた池まわりの小道を振り返り、そのまま山側を見上げたとき、木々の間に、ちらりと白いものが写った。人影?背伸びをしてよく見ようとしたが、もうその姿は曲がりくねった小道を進んで見えなくなっていた。ちょうどさっき上がってきた階段から、山の中に進んだ道をたどっていけば更に向こうに何かあるらしかった。
どうしようか?少し考えたが、家に戻っても疲れた顔の祖母と両親とおじの小声の会話が待っているだけだと思うと、特段急いで帰るよりはまだ少しうろうろしていてもいいかと思い直した。日も少しは落ちてきて、山の中なら少しは過ごしやすいだろう。そう思いながら、先ほど人影が見えたあたりを目指して歩いていった。
先ほどいき損ねた階段の左手の道は、やはり山の斜面に沿って斜め上に上っていく道だった。ちょっと息を切らせながら上ると、正面には平らな一本の道が左右に延びていた。ちょうどT字路のような形だ。右手はまた池に戻る方角になるので、その反対の西の方、左手に曲がって歩いていった。だんだん道筋もしっかりと太くなっていくので、もうじきどこか開けた場所に出るのだろうと予測しながら。
そこが目にとまったのは偶然だった。左手に曲がってあるいてしばらくしたとき、右手に草花が踏まれた後があるのに気付いたのだ。右手の斜面を見上げてみると、確かにそこも小道であるようだった。というより、「かつて小道であった」ようだった。よくよく見れば、土肌が固められていること、階段代わりに横に渡してある丸太があることがわかるが、すでに野放図にのびた草花が遠慮なく進出し、小道としての主張はほとんどしていなかった。でもそこを誰かが通っていったようだった。踏み潰された草花の折れたところはまだ青々しく、ここを誰かがごく最近通ったことを示していた。こんなところを上ってなにかあるのか?そう思って上を見上げても、特段なにかある様子はなく、その小道の先にはただ行き止まりの小さな広場とベンチがぽつんとあるきりだった。そしてその広場にしてもベンチにしても、普段は人々から見捨てられているのは明らかだった。
ふと、その広場の一番つきあたりにある木の根元が僕の注意をひいた。黒々とした塊がそこに見えた。周りの草花や、乾いた落ち葉の薄い茶色の中で、その黒さは何か異様な迫力をもっていた。ほとんど無意識に、僕は小道を登り、そこに近づいていた。
そこあったのはほぼ長方形の形をした穴だった。僕が、中に入ってひざを抱えて座れるぐらいの広さがあった。深さも僕の脛の半ばぐらいはあった。僕がみた黒い塊は、その穴のそばに掘り返された土だった。養分と水分を含んだ黒々とした土は、穴の横に小高く積まれていた。その黒々とした色からみても、掘られて間がないことは明らかだった。誰が、何のために?人気のない山の中の、さらに人のこない広場にあるこの穴は、いっそ禍々しいほどだった。
祖父のことが頭にあるからだろうか、それは僕に棺を連想させた。僕はざっと辺りを見回した。相変わらず人気はなく、しかもこの穴に入れるべき大きさの何かも見当たらなかった。子どもの作った落とし穴?そういう考えも頭をよぎったが、違うような気がした。この穴はそんなもののために作られたものではない。
この穴には乱雑さというものがなかった。穴の中の底も、四面の壁面も、丁寧に押し固められていた。木の根がいくつか穴の横から出ていたり、大きな石が途中で埋まっていたり、完全に平らにはなっていなかったが、それらの周りも丁寧に土が除かれていた。根や石の方が、場違いな存在に見えるほどだった。でも、何かを埋めるにしても、どうせまた埋めるもののためになぜここまで丁寧に掘らなければならないのかは判らなかった。埋めるのではないのだろうか?
何にせよ、この穴をほった人は、またすぐに帰ってくるだろう、僕はそう思った。横に土が無造作に盛られていることから、作業の途中である可能性も高そうだし、このまま放っていたのでは、雨でもふればすぐにダメになってしまう。
その人が戻ってきたら、聞いてみたらいい――そう思ってはっとした。そうか、ここは日本で、言葉が通じない可能性の方が高いのだ。それは僕を少しがっかりさせた。まあ、訊けなくても見ていれば判るだろう、そう思いながら改めて穴を見下ろした。やはりそれは僕に祖父の埋葬と、祖母の嘆きを思い出させた。
時折聞こえる小鳥のさえずりとセミの声、遠くに聞こえる車の音以外はここはとても静かだった。そして目の前の穴の中はそれに増して、確固たる静けさを持っていた。もし僕がその頃、静謐という言葉を知っていたら、この穴の中こそその場所だと考えただろう。祖母が、火葬を悲しがっていたわけが判るような気がした。祖父が、この穴の中に横たわることができたら。それはとても静かで、そして親密な眠りに思えた。
あと1話、同じく男の子の視点で完結です。