表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

源平の時代の考察など

作者: 入江 涼子

  こんばんは。今回は源平の時代の考察を述べたいと思います。


  といってもそんなに難しくは書きませんので。さらっと読んでいただけたらそれで構いません。

  ……さて、源平と言ったらまずは平家について。平 清盛さんは有名ですね。彼には数多くの息子や娘がいました。その中で才能豊かだったり人格者だったりというお子さんもいたのですね。

  この内の一人でまず私が思い浮かぶのが平 重盛さんです。彼は激昂しやすい父である清盛さんを諌めて忠告ができる数少ない人物だったと言われています。武芸もかなりの腕を持っていました。

  また、重盛さんは小松内府とか灯篭大臣と世間では呼ばれています。彼がいたからこそ平家はこの世の栄華を極めていれたとも言えます。

  ところが重盛さんも気苦労が多かったのでしょうか。彼は四十歳程の若さで急逝します。平家の滅亡の影はこの時から根ざし始めたと言えるのではないでしょうか。

  清盛さんは重盛さんの急逝に大いにショックを受け、嘆き悲しみます。自分を支え、忠告もしてくれていた頼もしい息子がいなくなってしまった……。

  数年後、清盛さんも亡くなり平家は滅亡の一途を辿りました。多くの人々が落ち延び、今でも平家の落人伝説は各所に点在しています。


  平家に関わっていた女性についても取り上げたいと思います。清盛さんお気に入りの白拍子の女性というと祇王と仏御前でしょうか。祇王は舞がすごく上手で。ある時に清盛さんに気に入られ、召し上げられます。妹の祇女と母も呼び、祇王は清盛さんというパトロンを得ます。祇王は努力を重ねて清盛さんにもっと気に入られようと頑張りましたが。清盛さんの興味は偶然にも彼女が紹介した仏御前に移ってしまいます。時間が経つにつれ、清盛さんは祇王を邪険に扱い出しました。これに嘆き悲しんだ祇王でしたが。清盛さんはとうとう妹や母共々祇王を追い出してしまいます。

  祇王は戦乱の世の中では確かなものなどないのだと落ち込み、母と妹と一緒に都の洛外に行き、庵を建てて住み始めました。三人共に出家をして尼僧になります。祇王はやっと心静かな時間を得られたのでした。


  後に庵を訪ねる一人の女性がいました。戸を開けてみるとそこに立っていたのはかつての祇王の後輩で恋敵でもあった仏御前でした。祇王は驚きながらも庵に彼女を招きいれます。話を聞くともう清盛さんも亡くなり仏御前は頼れる身内もおらず、風の噂で祇王の庵の事を聞いたとか。そうして取るものもとりあえず訪ねたと彼女は言います。それを聞いた祇王は「あなたのいう事はよくわかりました。頼れる所もないのなら一緒にここで暮らしましょう」と持ちかけます。仏御前は頷き、出家して尼僧になり静かに暮らせるのならと承諾します。こうして祇王と仏御前は庵で静かに暮らしたと言います。


  先ほど、あげた重盛さんですが。彼には息子さんもいました。平 維盛さんがそうです。すごく風流人で美男だったと言われています。彼は穏やかで神経の細い人だったと言われていますが。実際は違ったと言いますね。豪胆で戦術にもたけたお人だったとか。源氏も実際は維盛さんを相手に苦戦したという説もありますね。

  平家で有名と言ったら敦盛さんもいます。平家物語にも出てくるお人です。彼が持っていた横笛は青葉の笛といい、名笛だったそうです。


  源氏で言ったら牛若丸--義経さんが有名です。そういえば、彼のお母さんの常盤御前は絶世の美女として知られています。この常盤御前、義経さんのお父さんである義朝さんが亡くなると奥州藤原氏の親戚に当たる男性と再婚していました。なので義経さんが兄の頼朝さんに疎んじられ、鎌倉での立場を悪くしていた時期に奥州藤原氏の当主--藤原 秀衡さんに手紙を書きます。「うちの息子が兄の頼朝さんと仲違いしてまずい事になっている。もしよければ、息子をかくまってやってもらえないか」という内容でした。

  その後、義経さんは落ち延びて奥州に逃げます。秀衡さんは手厚く保護してくれました。義経さんが秀衡さんの元に行けたのは一重にお母さんの常盤御前のおかげであったと言えそうです。


  義経さんの次は静御前ですね。彼女も祇王や仏御前と同じく白拍子でした。歌も踊りも上手な彼女も後に義経に見初められ、お妾さんになります。静御前も悲劇的な最期を迎えました。齢二十歳だったと言われています。(亡くなったのがですが)

  静御前の生んだ息子さんは頼朝さんによって取り上げられ、海に流されたといいます。

 

  ……長々と失礼しました。ここまでにします。お読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ