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嘘融けの春  作者: 佐木
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【2】春の秘密

 身も蓋もない表現をしてしまえば、ふたりの出会いは戦力的ニーズが噛み合ったからに過ぎない。


「私はタンク……つまり防御力特化の騎士(ナイト)のキャラクターだったんだ。攻撃が不得手だから、ソロプレイにはあまりに効率が悪かった」


 リヒトさん曰く、ゲーム内で募集をかけたそうだ。レベル帯が近く、無課金から微課金の範囲で無理なく楽しんでいる層の、ゲーム攻略に協力しあえるプレイヤーを。結果、数人のキャラクターが応募した。


「メイン火力の戦士(ウォーリア)マッチョメンと、攻撃と補助をこなす盗賊(シーフ)シャム。ロングレンジの属性魔法攻撃担当の魔術師(メイジ)ユート。そして回復役(アコライト)のジャスミン、と私。この五人でパーティーを組むことが多かったな」


 リビングのソファに並んで腰掛けた私たちは、ローテーブルで姉のPCを立ち上げる。

 ゲーム画面を開きながらのリヒトさんの懐旧談を、耳に全神経を傾けて静聴する。姉がこのゲームを始めてから早五年。五人はその当時からのパーティーメンバーで、ゲーム内の友人同士だった。


「全員、あまりリアルの話はしなかったよ。干渉し過ぎないからこそ居心地が良かった。ログイン時期や時間帯から、学生なのかもとか推測したけどね」


 学校の長期休暇時期にログイン率の上がる学生、プレイ時間の短さを課金で補う社会人、平日の昼にもログインする無職(ニート)層。その手の大分類はプレイスタイルから想像がつく。だが姉のログイン頻度はいずれにも属せず、少々独特だった。


「ジャスミンは平日昼間にもログインしていることが多かったから、最初は無職かと思ったんだ」


 リヒトさんのいう通り、姉は無職だった。

 享年でいえば一般的な大学生の年齢だ。小学校高学年の頃に病気が発覚し、中学校は休みがちだった。高校進学は断念した。姉は高校生になりたがったが、当時は既に車椅子が必要不可欠な状態だったのだ。手近な公立高校にはエレベーターやスロープといった車椅子の生徒を受け入れる準備はなく、さりとて私立高校入学の費用を払えるほどには我が家は裕福ではなかった。還付金が支払われる程度には高額療養費がかかっていることを知る姉は「まずは身体を治すことが先だものね」と高校進学の夢を断ち切った。

 病魔のみならず単調な日々とも戦っていた姉のログイン頻度は、相当高かった。一方でエアポケットさながら、ぽっかりと空白期間も生じた。それは姉が検査や治療のために入院した時期と綺麗に重なった。


「恥ずかしながら、私も当時は学校に通っていなかった。それで勝手に仲間意識を持っていたんだが、ジャスミンが不在になるタイミングだけが不思議だった。あれは、病気のためだったんだな。私は全然気付いていなかった」


 自重する彼女に「姉は意図的に病気を隠してました。ゲームの世界だけでも健常者でありたかったんだと思います」と妹の立場から告げる。付け加えた「それと、学校に通わないのが恥ずかしいことだとは思いません。事情は人それぞれ違いますから」という言葉は私の個人的な価値観によるものだ。だが彼女は照れ臭そうに「ありがとう」と微笑してみせた。

 ともあれ、リヒトさんと姉のログイン時間は重なることが多かった。

 自然とふたりだけの時間が生じ、ふたりだけの会話を交わし、ふたりだけの秘密が増える。交わす会話はゲームの攻略情報や他愛のない雑談ばかりではなかった。「少しだけ、家庭環境の悩みを聞いてもらったんだ」とリヒトさんは告白した。


「ゲーム繋がりの相手に、リアルの愚痴を聞いてもらうのは初めてだったし、金輪際起こり得ないとも思う。ジャスミン相手だから話した。そう思わせるだけの母性や包容力が彼女にはあったんだ」


 気恥ずかしげな声にまろやかな甘さが混じる。姉を語るリヒトさんの面持ちは穏やかだった。

 事実、姉は慈母にも似た度量と優しさを持ち合わせていた。仏壇に向けてお経を唱える祖母のようには信仰を持たぬ私だが、姉に対してはある種の神聖さを感じたのだ。荘厳な聖母マリア像や観音菩薩蔵を目の前にしたら似た感覚を追体験できるのでは、と密かに思っている。病気の進行で月経も止まり、男性を知らず処女のままこの世を去った姉。実姉の神格化などおかしな話だが、私にとって姉は全世界で最も清らかな存在であった。

 ましてや、血縁のない他人であれば別の惹かれ方をするに違いない。そう確信した私はリヒトさんに訊ねた。


「だから、お姉ちゃんと結婚しようと思ったんですか」

「……なにをどう話しても、君には引かれてしまうだろうな」


 彼女は苦笑し、湯気が薄らぎつつあるティーカップを覗き込む。半ばまで減ったジャスミンティーの水面(みなも)には、長い黒髪を束ねた凛々しい女性の顔が映り込んでいた。


「私は最後まで明かせなかったんだ。本当は女なんだ、って」

 会話を遮るものがなにもない午後の静寂の中。

 自重気味に呟いたリヒトさんの声は、波紋と化し、そっと響いた。

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