フォロウェンの章 ~騎士、黄金旗の導きで丘の上へ向かうこと~
黄金旗が顕現した。
フォロウェンは空を見上げ嘆息した。
(殿下……申し訳ございません)
なんとかして魔の者の封印が解かれる前に区切りをつけるしかない。
もうフォロウェンにはこの戦いがどういう形で決着するのか、全く想像がつかなくなっていた。
一体スノーザは黄金旗をもってどうするつもりなのか。
黄金旗の元に戦意のある味方が集まっている。
フォロウェンのいた本陣と、スノーザ率いる先陣がここに合流する形となった。
フォロウェンが黄金旗のたもとまで来たとき、ちょうど向かいからもスノーザ隊が敵兵を馬蹄にかけて蹴散らし駆け付けた。
黄金旗のたもとには、さっきまで生きて言葉を交わしていたインロイが物言わぬ骸となって地に伏している。
「よくぞ黄金旗を見出し、ここまで運んできた」
スノーザは生きている者へするようにインロイへ声をかけた。
「そこにいるのはフォロウェンか。黄金旗を持て掲げよ」
体温を失ったインロイの手はいまだ固く黄金旗を握っている。
その指を一本ずつ旗から丁寧に引きほぐした。
スノーザは一度旗を仰ぎ見た。
それからおもむろに、手にした槍で前方の丘を指し、残った兵へ告げた。
「あの丘を奪る」
言うまでもなく丘にも敵軍が布陣している。丘の敵陣は堅固で数も多く、この人数で攻めかかって簡単に奪えるとは考えられない。
にもかかわらずスノーザのそれはまるで軍事演習のついでに狩りへ出かけるような、丘へ辿り着くことを当然とみなしているような、あまりに自然な物言いだった。
丘を奪うと宣言するだけでそこは自軍によって占領される、それを毫も疑わぬ、そういう体だった。
「黄金旗の征く処に敵はない。進め!」
スノーザ隊は黄金旗を掲げ、進軍を開始した。
敵兵に静かな動揺が広がっていく。
彼らは黄金旗を掲げた王子軍と戦っては負けており、それに本能的な恐怖を抱くまでになっていたのだ。
その進軍は黒い濁流を黄金の矢が切り裂くようだった。
先頭を行く老将スノーザは無尽の体力を有するように、その槍でもって次々に敵兵を突き伏せていった。
敵陣は老将の勇と黄金旗の威光に浮足立ち、少数のスノーザ隊に押され、徐々に後退した。
黄金旗を掲げたフォロウェンと周囲の兵たちも活力を取り戻し後に続いた。
「進め! 進めぇっ!」
「スノーザ将軍に続け!」
「黄金旗に敵するものなし!」
従士たちが口々に自らを奮い立たせている。
だが、戦いの狂騒のなか、フォロウェンはスノーザの考えを図りかねていた。
(なぜ、あの丘を奪取する?)
仮に丘へ攻め上がり、多大な犠牲を払って占拠したとして、それが何になるのか。
圧倒的な兵力を誇る敵軍にそのまま丘を包囲されて全滅するだけではないか?
脳裏によぎった全滅の言葉がフォロウェンの思考へある結論をもたらした。
(……全滅、そうか。スノーザ様は勝とうとしてはいない。全滅は不可避。しかし、例え滅ぶとしても我らは最強。それを証明するということ)
要は別に目標は丘でなくても良い。
どんな圧倒的な軍勢を前にしても我らが進軍を妨げることはできぬ、そういうことなのだ。
敵軍の指示が聞こえた。
「死兵に当たるは愚の骨頂。射て仕留めよ」
どうやら連合軍の大将ノイシェは、そんな勝敗を超えた確認作業とでも呼ぶべき行為に、まともに付き合う気はさらさらないらしい。
彼はスノーザとは逆の、戦さに英雄的な情緒を求めぬ現実主義者のようだ。
「後退して乱戦を避けよ。味方に被害が及ばぬようスノーザを狙え。奴を倒せば終わる」
陣容を維持して後退するのは簡単ではない。
しかし、ノイシェの直属軍はその命令を見事に実行してみせた。
スノーザの突撃に損害を出しつつも壊乱せずに後退する。
突撃を受け止められ勢いが衰えた絶妙のタイミングで、左右から弓隊が現れて散々に射かけた。
ノイシェの指示通り、先頭に立つスノーザへは特に矢箭が集中した。
しかし、老将は雨あられと降り注ぐ矢にも動ずることなく指揮を執り、あるいは自らの槍でもって血路を拓いた。
勇気や信念が矢の軌道を捻じ曲げるわけではない。
ドスッ
一矢、鈍い音を立ててスノーザの左上腕へ矢が命中した。
ドスッ
また一矢、今度は右大腿へ矢が命中した。
矢傷にもスノーザは全く表情を動かさない。
「矢如きで儂は止まらぬ! 幾らでも射よ!」
そう声を荒げるや、当ててみよと言わんばかりに胸を叩き、敵の射手を挑発した。
スノーザを先刻の矢雨に倍する数の矢が襲う。
それでもなお、老将は丘の頂上への進軍速度を緩めることはない。
「スノーザ将軍を討たせるな!」
「丘へ! 丘の頂きへ!」
受けた矢を物ともせずに全軍を先導する老将の姿は、後に続く兵の士気を狂信的な域へ鼓舞した。
王子軍の兵は足が折れ、腕がちぎれるとも戦いを止めなかった。
敵軍の指揮官には信じられなかったろう。それは精神の力が現実の力を打ち破った瞬間だった。
フォロウェンと従士たちが正面の堅陣をこじ開けて丘の頂きへ殺到する。
少数の攻め手に多数の守りが崩され、退いていく。
そうして無我夢中で敵を屠り、味方の屍を乗り越えて一歩一歩前進した先で唐突に視界が開けた。
敵兵のいなくなった丘の頂きへ、フォロウェンたちは立っていた。
そこは先刻までの死闘が嘘のように争いのない静かな世界だ。
丘から敵を見下ろすのは気分が良かった。
相変わらず敵の数は圧倒的で包囲されていることにも変わりはない。
敵が損害を恐れず攻め寄せてくれば間違いなく全滅するだろう。
だが自分たちは追い立てられてここにいるのではなく自分たちの意思でここを奪った。
つまり、敗勢は兵数の多寡で劣った結果であって、戦場の勇者は我らなのだ。
フォロウェンと兵たちはある種の満足感をもって馬上のスノーザの言葉を待った。
彼の勝利宣言を。
──言葉はなかった。
スノーザは馬上で不動の体勢を保ったまま絶息していた。
彼の愛馬が、彼の遺志を受け、丘の頂きまで全軍を導いていたのだ。
(スノーザ様、天晴れ武神の死に様、これこそ騎士の本懐というものだ)
フォロウェンが亡き老将の代わりに黄金旗を丘に突き立て高らかに宣言した。
「我らの勝ちだ!!」
王子軍の兵は拳で天を突き勝どきを上げた。
それに応じるように黄金旗が一際大きく光を放つ。
光はみるみるうちに強くなり、渦のような形をとった。
その巨大な渦が揺らいで、揺らぎの中心に小さな黒い染みが生まれた。
黒い染みはじわじわと光を侵食してその大きさを増しながら異形の姿となっていった。
光の渦を通って何かが現れようとしている。
こちら側の世界へ。
この戦場へ。
(ああ、やはり止めることは出来なかった。申し訳ありません、殿下……)
影は光の渦から抜け出すと静かに丘の頂上へ降り、フォロウェンたちの眼前で実体化した。




