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インロイの章2~従士、宿将より黄金旗の探索を拝命すること~

 こうして数多の敵兵をかいくぐり、ようやくインロイはスノーザの元へと辿り着いた。

 既にその身は敵と自分の血で朱に染まり、息は完全に上がっている。

 スノーザの周囲にはまだ多少の味方がいるようだ。

 なんとか呼吸を整えてスノーザへと声をかけた。


「遅参しました。インロイはここに」

「よい」

 堂々たる体躯の老将であった。

 総崩れ寸前の戦場にあっても泰然と指揮を執っている。

 馬上に槍を構えてインロイを見下ろすその瞳には、いまだ強い意志の力が宿っていた。


「黄金旗を持て」

「ハッ!」

 身体が言うことを聞く範囲で居住まいを正し、勢い込んで返事をしたインロイであったが、彼はその旗の在処を知らない。


 在処はともかく黄金旗のことは知っている。

 それはこの軍に属する者であれば統帥である王子のラエスリーダに次ぐ有名な存在だった。


 黄金旗。

 一年前、王子ラエスリーダは、ただ己の利得のために相攻伐する周辺国に慷慨し、王道楽土を布くべく師を発した。

 開戦以来、王子軍は百たび戦って百たび勝つ破竹の進撃を続けた。

 本陣で指揮を執る王子の傍らには常に黄金旗が翻っていて、いつしか黄金旗は王子軍の勝利と栄光の象徴とみなされるようになったのだ。


「殿下は此度の戦いでは黄金旗を掲げなかった。何かお考えがあったのだろう」

 それについてはインロイも不思議に思っていた。周囲の従士の中には、王子が影武者なのではないかと疑う者がいたほどだ。

 影武者であればなおさら見かけは今までと同じように装うことだろう。黄金旗を掲げないから影武者という論理は腑に落ちない。


(それに殿下が身代わりなど使うわけがない)

 王子は武勇に優れた将ではなかったが、必ず戦場に姿を見せてきた。

 最後の最後でそれを翻すとは、インロイにはどうしても考えられなかったのだ。

 だが、では何故黄金旗を掲げなかったのかとなると、一介の従士の想像には余るというのが正直なところだった。

 どうやらその理由は宿将スノーザも知らされていなかったようだ。


 スノーザは淡々と言葉を続けた。

「だが、事ここに至っては、並大抵のことで戦局を覆せまい」

「儂らが限界を超えて力を発揮しなくては、勝てん。そしてそれを呼び覚ますのは儂らの栄光の象徴、黄金旗をおいて他にない」

「かの旗は殿下の側近フォロウェンなる騎士が持っているはず」

「本陣へ向かえ、インロイ。黄金旗の征く処に敵はない」

「ハッ! 必ずや黄金旗を持ち帰って参ります」


 幸い本陣の方角は大体わかっている。

 ただ、自分が敵中を突破して本陣へ辿り着き、再びここへ戻ってこられるかどうかはさすがに自信がなかった。

 それでもインロイは動かぬ体に鞭打って、本陣へ向かい、駆け出そうとした。


「待て」

 制止したのはスノーザだった。

「武器がないではないか」

「はい。ここへくる途中、不覚にも折ってしまいました」

「ならば儂の剣を使え」

 スノーザは構えている槍とは別に、腰に二振りの剣を差していた。

 その内の一振りを鞘ごと外してインロイへ授けた。

「これは……! 感謝の言葉もありません」


 受け取った剣はやや細身の直剣で、その大きさに比して驚くほど軽く、それでいてしっかりと斬るための重心のバランスも取られている。

 柄が長めになっており両手で扱うことも可能な片手半剣だ。

 インロイは鞘ごと持っただけで、それが一国の宿将が身に帯びるに足る名剣だと察した。

 鞘は黒く塗られ螺旋状に渦巻く手の込んだ紋様が施されていた。おそらく美術的にもかなりの値打ちがある品だ。

 スノーザが差しているもう一振りの剣と鞘の装飾が酷似している。対になっているのだろう。


 剣の柄と鞘を持ちスノーザを見上げる。

 スノーザは重々しく頷いた。

 それを確認するとインロイは剣へ視線を戻し、ゆっくりと剣を鞘から抜き払った。


 キイィィィィン…………


 鞘と刀身が擦れ合って、今まで耳にしたことのない不思議な金属音が、インロイの脳裏にこだました。

 刀身は鞘と同様、欠いたばかりの黒曜石の様な漆黒だった。

 インロイは刀身に魅入られた。


 その漆黒の刀身は、金属の表面なら通常生じる反射の類いが、極端に少なかった。

 周囲の音や景色までもその闇の中へ吸い込んで消し去っていくのではないか。

 インロイはそんな不思議な感覚に囚われていた。

 まるで剣を見る視線を通じて自分の存在までもが闇の彼方へ溶け込んでいくような……


「インロイ!」

 スノーザの短く激しい叱咤に、ようやく刀身から視線を外すことができた。

「剣に堕ちるでないぞ。お前が剣の主となるのだ」

「はい。心得ました」


 危ういところだった。

(俺が剣の主となる、か)

 正直使いこなせる気がしない。

 ただ、この絶望的な任務を遂行するに、超常の力を借りなければ成しがたいのもまた事実。


「その剣は名を”時喰らい”という。名を知ることで支配しやすくなろう」

「時喰らい」

 声に出すことで、その剣へ力を及ぼそうとするかのようにインロイは呟いた。

(斬った奴の時間をどうにかするってことか、それとも……)

 それとも「主」であれば問題ないというのか。

 ともかく、インロイはこの剣をもって己の道を切り開くしかない。


(自分の身を案じている場合ではない)

 もしスノーザの言うように黄金旗が戦いの行方を左右するのだとすれば。

 まさしく自分の任務に全軍の命運がかかっていることになる。

 全ては殿下の御為。


「では」

「ああ、行け。求めよ、黄金旗の行方を」

 そしてインロイは時喰らいの魔剣を携え、再び敵中を駆ける。

2019.12.25サブタイトル修正

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