インロイの章1~従士、奮戦し宿将の下へ駆けること~
波打つ灰色の幕のような曇天から時折射す陽光は、既に西に傾きつつあった。
その垣間見える陽光に反射して、騎士の鎧や槍の穂先がギラリと輝いている。
ここは戦場だ。
戦いは中央に小高い丘のある草原で行われていた。
三ヶ国からなる連合軍が小国の軍を追い詰めている。
兵力差は五対一と歴然たる差があった。
小国の軍を指揮する王子は卓越した戦術眼を備えた用兵家であったが、この日は妙に精彩を欠いており、戦いは早々に将兵が己の武勇のみを恃む乱戦と成り下がっていた。
何の作戦もなく寡兵をもって多数を打ち破ることは難しい。
乱戦となった時点で勝敗の帰趨は明らかだった。
今はまだ騎士や従士たちが隊伍を成して防戦に努めているものの、彼らの最後の組織的抵抗が潰えたとき、戦場は勝者が敗者を一方的に蹂躙する狩場と化すだろう。
そしてその時は旦夕に迫っているように思えた。
そんな絶望的な戦場にあってなお、一人の従士が戦い続けていた。
名をインロイという。
味方は少なく敵は多い。
その敵を槍で突き、あるいは叩き、あるいは払って打ち倒す。
インロイが力強く槍を振るうたびに、この小国の民族特有の赤毛がなびき、汗が散り、敵の血がしぶいた。
彼がここまで戦い続けられたのは、その武勇もさることながら、やはり若さ故だろう。
敵を斃した後に辺りを窺う表情には、まだ少しだけ危うい未熟さを残している。
インロイは従士と呼ばれる身分の戦士だ。
貴族の子弟のうち家督を相続出来ない次男三男が戦さ働きで騎士を目指す。それを従士と呼ぶ。
戦場で名を挙げれば騎士に任ぜられ自分の領地を持てる。
多くの従士は、いつか自分の城を、と夢見て槍を振るう。
しかし、従士インロイにとってそれは、限界を超えて戦い続ける動機の第一ではなかった。
まだインロイが従士になりたてだった頃。
彼は戦場で敵陣を横撃して戦果を上げたものの、戦いで不覚を取り、重傷を負って治療院で横たわっていた。
大部屋にはインロイ同様の重傷者が所々に横たわって時折小さく呻き声を上げていた。
仄暗く異臭の立ち込める治療院の入口に、訪問者の気配がした。
医者か手伝いの者か、新たな重傷者か。
インロイがわざわざ首を巡らせて入口を確認したのは、自分の仕える騎士スノーザが訪問してくる可能性に思い至ったからだ。
インロイの想像は半分だけ当たった。
入口にスノーザの見慣れた巨躯が現れ、続いて細身の人物が入ってきたのだ。
スノーザは室内を見渡してインロイを認めると、うやうやしく同行者を案内して真っ直ぐこちらへ向かってきた。
スノーザは騎士の中でも長く国に仕えて重きをなす宿将でもあり、彼より目上は国に二人しかいない。
「殿下。この者です。名はインロイ」
やはり、貴人は王子だった。インロイは一度だけ、従士の叙任式で遠目に姿を見たことがあった。
何とか身体を起こそうとするインロイを王子は手で制した。
「そのまま。無理はするな」
一国の王子がわざわざ前線の負傷者を慰労に訪れるなど普通では考えられない。
逆光の室内では王子が後光をまとっているようにさえ思え、恐懼にインロイは言葉を失った。
そういうインロイのような反応に慣れているのが貴人の貴人たる所以だ。
初めて間近で見る王子、は戦場で非情の采配を振るう将とは別人のような優男だった。
「此度の戦さ、インロイが第一の働きだった」
後に幾多の戦場を共にして知ったことだが、王子がその日第一と声をかけるのは常に一人だけだった。
「多数の敵に対して一番に槍を入れるのは勇気がいる。そなたのお陰で機を失せずに敵を挟撃し勝てた」
王子の言葉にそれほどまでに俺を買ってくれるのかと胸が熱くなった。
まるで本当に目の前でインロイの奮戦を見ていたかのような口吻だ。王子のいた本陣から最前線の様子が見えるはずはない。スノーザや他の前線の指揮官に尋ねて把握したのだろう。
「インロイ。そなたのような勇士であればいずれ必ず騎士になれよう。その時を楽しみに待っているぞ」
「俺のような従士にありがたい言葉です、殿下。俺は殿下の第一の騎士になります」
傍らに控えていたスノーザが破顔して己の膝を叩いた。
「ははは! 第一の騎士とは大きくでたな、インロイ。だがその意気や良し! くれぐれも無理をして死なぬようにな!」
「その通りだ。今日は勝っただけでなく、我らが軍にもまだまだ私の知らない人材が眠っているとわかって有意義な戦さだった。焦らずに傷を癒し、また私たちのために働いて欲しい」
「ハッ!」
返答して王子と宿将の後ろ姿を見送りつつ、インロイは直感した。
己が主と仰ぎ生涯をかけてお仕えするのは、殿下しかいないと。
想いは今も変わらない。
早朝からの激戦に槍を握る力も尽きかけている。
戦いが負けかかっていることもわかっている。
それでも彼は一人でも多くの敵兵を斃すべく奮戦を続けていた。
──その時
「従士インロイはおるか!」
騒然たる戦場にあっても、はっきりとその声はインロイの耳にまで届いた。
大音声の主はスノーザだった。
(なんとか、スノーザ様の元へ参らなければ……)
インロイは主の元へ移動しようとした。
(クソッ! 数が多すぎる!)
実際の距離はそれ程離れてはいなかったが、移動は困難を極めた。
インロイは師から受けた教えを思い返していた。
多数の敵と対峙したときは出来るだけ囲まれないようにせよ。
その上でまず弱い敵を狙え。負傷者、武器や防具を失っているものなどだ。
弱い敵を倒してそのまま押し込め。
いかに平坦な場所に見えても必ず位置取りの有利不利がある。周囲の状況に注意を怠るな。
一人の敵を注視するな、全体を見られるようにしろ…………。
教えを受け、身体に叩き込まれた様々のことが、この窮地にあって鮮明に脳裏に蘇ってきた。
するとそれまで無我夢中で戦ってきた自分の戦い方、頭の中にバラバラと点在していた数々の経験が、教えを介して一つにつながっていくような不思議な感覚がした。
(これは……!)
インロイが教えを思い返すために目を閉じていたのは一瞬のことだった。
しかし、その閉じる一瞬前と、今とでは戦場が全く違う光景になっていた。
当然、戦場が一瞬で変化したのではない。それを見る側が変化したのだ。
視野が広がり、全体がわかる。
敵と味方の個々人の動きでなく、動きの流れが感得できるようになった。
ひとりの人間が次にどう行動するか予測するのは非常に難しい。
しかし、人間をひとつのまとまりと捉えたとき、その行動は予測可能だ。
まとめて捉えるから、個々人を注視する必要がない。
インロイ一人で二人を相手にするのも、十人を相手にするのも、同じことになる。
今のインロイにはわかる。
戦場とは、これほどまでに単純なものだったのか。
一対一も、一対十も、十対十も、千対千も、すべては同じなのだと。
先ほどまで混沌としていた戦場に、スノーザまでの「道」が見えた。
全ての敵を倒す必要はない。
道の途中にある敵兵を数人だけ切り抜ければいいのだ。
それでもなお、消耗しきった体では数名の雑兵を相手にするのでさえ、困難だった。
そしてとうとう──
バキン、と乾いた音を立ててインロイより先に愛槍が折れた。
残った武装は接近戦用に身に着けている短剣しかない。
幸運だったのは、今倒したのが道を塞ぐ最後の敵兵だったことだ。
(抜けた……!)
2019.12.25サブタイトル修正




