黄金旗の章3~最後の戦さの終わり~
騎士インロイは魔剣の力を解き放った。
「主が命じる! 魔剣よ、此奴の時を喰らい尽くせ!」
魔剣が大きく一度脈動した。
と、同時に戦の大公が、四本の腕の内何も持たない空いた拳で、インロイを上から殴りつける。
「ぐはっ」
無防備な背中を殴りつけられ、魔剣を放して地面へ激しく叩きつけられた。
…………が、戦の大公はインロイを殴った姿勢のまま、不自然に静止して動かない。
よくよく目を凝らすと戦の大公の脇腹に突き刺さった魔剣から黒い染みが徐々に広がっているのが見て取れた。
黒い染みが戦の大公を侵食するスピードは加速度が増していき、あれよという間にその巨躯を覆い尽くした。
黒い影となった戦の大公。やがてその影が薄れ、実体を失っていく。
しばらくすると魔の者は影も形もなくなっていた。
異形の去った丘へ声だけが陰々と響き渡った。
「我が仮初めに得し現世の時は尽きた。我は今一度眠りにつこう。
スノーザ。インロイ。
お前たちほどの勇士こそ我が眷属に相応しい。
我に仕えよ。
無限の力と永劫の闘争を与えよう」
黄金旗の力で蘇った肉体も不死身ではなかった。
スノーザの全身は朱に染まり、長く持たないのは誰の目にも明らかだった。
あるいは戦の大公の眷属となれば生き永らえるのでは。
だが、スノーザにはそんな考えは微塵もなく、笑みさえ浮かべて誘いを一蹴した。
「愚問」
インロイが続けた。
「騎士は二君に仕えぬ」
「ククク……、そうであったな。何、今のは戯言よ。聞き捨てるがよい。それとラエスリーダ。黄金旗はお前たちの物だ。好きにせよ」
声が遠ざかり、戦の大公の気配は去った。魔の者は再び眠りにつき、夢を通じて人の子を操って復活を画策するのだろう。
スノーザは何度目になるか、黄金旗を仰ぎ見た。今その身体からは血が滴り落ちる代わりに光の粒子が宙へ舞い上がり、足元から徐々に金色の光に侵食されてきている。
最期を悟った老将は、己の夢を賭けた王子へ別れの言葉を告げた。
「殿下。魔の者に斬られた儂の魂はもはや修復不能。事半ばにして去る不忠をお許し下され。泰平の世を成し、酒を一献、酌み交わせなんだのが……心、残…………り」
スノーザの身体が金色の光に包まれる。
光が消えるとスノーザの身体も消滅していた。
「長い間よく私を支えてくれた。約束しよう、共に夢見た景色を必ず実現すると」
スノーザの消滅に静まり返っていた丘の頂上へ王子の澄んだ声が響いた。
「敵将ノイシェの首級を挙げ、スノーザへの弔いとせよ!」
かつて老将が好んで口にした全軍突撃の号令をいま、王子が下す。
「駆けよ! 黄金旗の征く処に敵はなし!」
全軍一斉に眼下の連合軍敵本陣へと丘を駆け下る。
その勢は天から罰を下す神兵のごとく、何者にも押しとどめることはかなわなかった。
戦の大公と違ってあの世の力を持たない連合軍の将兵は、黄金旗が生み出した死者の軍勢に対抗できなかった。
死者の軍勢はいくら傷つけても瞬時に再生して反撃してくる。
一方的な虐殺に連合軍の士気は急速に崩壊していった。
連合軍の本陣では総大将のノイシェが絶望の呻きを漏らしていた。
「なんだ……これは?」
ノイシェは瓦解していく本陣を呆然と眺めているしかない。
忠勇を誇った彼の親衛隊までもが浮足立ち、将を捨て逃げていく。
「閣下! お逃げ下さい!」
間近で部下が叫んでいるのに、五感に霞がかかったようで現実感がなく、その声が遠くに聞こえる。
その部下が背中から斬られて倒れた。
斬ったのは漆黒の剣をもった男だ。
「お前がノイシェだな。俺たちの国を侵した罪は重い。覚悟しろ」
戦わなければ。
ノイシェはひどく緩慢な動作で剣を抜こうとした。
騎士インロイはその隙を見逃さない。
漆黒の軌跡を宙に描いて魔剣がうなると、ノイシェの首と胴は分断され、彼の長くない人生はそこで幕を下ろすこととなった。
「敵将ノイシェを討った!」
ラエスリーダには離れた場所からでもそれが見えていた。
彼はすかさず敵軍へ投降を呼びかけた。
「武器を捨て降伏せよ! 戦さは終わりだ!」
一人の兵が武器を捨てた。
それを合図に水面へ波紋が広がるように兵たちは皆、次々と武器を地になげうっていった。
その光景を見て北へ引き返す影があった。
傭兵隊長のナザクだ。
彼はいつのまにか左手に持つマントの包みから重量を感じないと気付いた。
マントを広げてみると間違いなく包んだはずの王子の首がどうしたことか消え失せている。
(黄金旗に敵はなし、か……つくづく不思議な戦さだった)
わからないことをあれこれ考えても時間の無駄だ。
ナザクは山に戻ったあとの計画に頭を切り替えて戦場を後にした。
どうやらもうしばらく傭兵稼業を続けることになりそうだ。
ここ周辺の戦争はなくなるだろう。
もっと遠くへ出稼ぎに行かなければ。
山の稜線へ陽が沈み、長い一日が終わろうとしている。
黄昏の曖昧な光と影に現れた黄金旗と王子たち死者の軍勢は、その時が終わると共に去った。
戦いは終わった。
ただ草原を吹き渡る風のみが、血臭と、人の世の営為の虚しさを、流し清めているようだった。




