勇者見守って幾千年。
続きです。
ここから、魔王様の気苦労の多い日々が始まります。
言い伝えでは、『魔王』の誕生と同時に『勇者』が生まれるとされている。
そして、それは正しい。
実際に、『勇者』は『魔王』の誕生と同時に生まれた。
しかし、最初の『勇者』は産まれて直ぐに死んでしまった。
原因は解らない。
羊水が喉に詰まったのか、元々生きる力を持つことが出来なかったのか、勇者は産声を上げることなく、そのまま還らぬ人となった。
「…こんなに、呆気ないものだなんて…」
それを見守っていた、同じく産まれたばかりの魔王は、絶望を零した様な声音でそう呟いた。
「勇者も『人』であるということでしょう。そうとして目覚める迄は、弱く儚いものなのかも知れません」
「そんな事ってあるの?勇者なのに…」
「勇者とて『人』であるならば、『人』の理からは逃れられないのです」
「…」
「魔王様。理ならば、貴方様がここにいる以上、勇者は再び産まれます。必ず」
「…うん。そうだね。有難う。ザッカルト…」
魔王はその日から、精力的に且つ慎重に勇者の存在を探った。
失ってしまった勇者を次こそは逃すまいとする様に。
「見付けた!」
それは、勇者が母体に宿った瞬間だった。
「人が男女の交わりを以って子を成すのは知ってたけど、その瞬間は初めて見たなぁ。これから母胎の中で成長していくんだよね。十月十日だっけ?長い様な短い様な不思議な期間だ」
「そうです。そうやって人の命は育まれていくのですよ」
「凄いなぁ。魔族は産まれた瞬間から成体に近いし、育むって概念も無いから実感が無かったんだけど、こうして画面の中でだけでも立ち会えると特別な何かを感じるね」
「では、これからも勇者を見守って参りましょう」
「うん!」
けれど、その期間も長くは保たなかった。
あれから一ヶ月経ったある日のこと。
「ねえ、ザッカルト。…ついさっき、勇者の気配が消えちゃった」
「そうですね…残念ながら、勇者は、またこの世界から失われてしまいました」
「…どうして?」
「人の子は母胎の中で十月十日過ごし育ちますが、残念ながら、中にはそれに耐えられないものも居るのです」
「なんで…」
「何故かは、解りません。けれど、それがこの世界の常なのです」
「そんなの!そんな…僕には、どうする事も出来ないの…?」
「貴方様もご承知の筈です。魔王自らが、人の世に手を下す意味を」
「…解ってる。僕にはどうする事も出来ないって。本当は見守る事も許されていないってことも…」
悔しそうに唇を噛む魔王の肩に、ザッカルトの手が優しく添えられる。
「魔王様、個々の人は弱くとも、人の営みは強く逞しいものです。どうか、気を強くお持ちになって下さい」
「そうか。…じゃあ、僕はまた勇者を探そう。今度こそ、無事に生まれることを信じて」
「そうですね。次はきっと無事に産まれてくれることでしょう」
魔王は祈った。
人の神のことは知らないが、儚く消えた勇者を想って。
それは鎮魂の祈りであり、新しい生命の無事を祈る切実な願いだった。
そうして、再び魔王は勇者を探した。
「ああ、今度は無事に産まれたよ!なんてしっかりとした大きな産声だろう。きっとこれなら無事に育ってくれるだろうね」
「ええ、魔王様。彼ならば、きっと我々の期待に沿ってくれることでしょう」
いつか立派に成長した勇者と相見える日を思って、魔王はその顔を満面の笑顔で綻ばせた。
「ねぇ、見て」
ある日、弾む声がザッカルトを呼んだ。
水晶の中では、それまで母や他の者達に抱かれているだけだった勇者が、時々ふらつきながらもしっかりとした足取りで、小さな足を精一杯踏ん張って、ゆっくりと立ち上がる。
魔王とザッカルトはその様子を息をするのも忘れて見入っていた。
「す、凄い。立った。勇者が立った!」
「この月齢にしては、力強い足をしていますね。きっと、よく走る子供に育つことでしょう」
「じゃあ、僕はきっとあの足に翻弄されるんだろうね」
「ふふふ。それでは、私めも勇者に対抗しうる様に今からでも鍛えねばなりませんね」
「ええ!…お手柔らかに頼むよ。ザッカルト」
「そうはいきません。勇者は常に誰よりも強くあらねばならないのですから」
「そうだね。勇者は強くならなければならない。…この、僕よりも」
キラキラと輝く瞳は、立ち上がって直ぐに活発に歩き回る勇者から離れることはない。
「ああ、今から凄く楽しみだ」
「長く生きてきた我々にとって、勇者の成長は瞬く間のことでしょう。早速、準備を始めておきます」
「うん。頼んだよ。ザッカルト」
しかし、それは全くの無駄になってしまった。
結局、此の勇者が魔王と相見えることは無かった。
歩き始めて幾許も無い内に、流行病に罹った勇者は呆気なくその命を散らしてしまったのだ。
「…」
憔悴した魔王に、既に言葉を発する力は無かった。
力無く項垂れ、勇者を失った世界を、ただただ、見詰めていた。
「…待ちましょう。魔王様。例え永劫の時が掛かろうとも。それこそが、我々に出来る最善のことです」
「……う、うん。……解ってる…解ってる…から…」
喉の奥に声が詰まる。
その目には透明の液体が、震えながら大きな粒を形作っていた。
「魔王様、ここには我々しか居りません」
気遣う様なザッカルトの、落ち着いた声が優しく耳に届く。
それを合図にした様に、堰を切って透明の液体が流れ落ちた。
自身の瞳からポロポロと落ちる其れを、魔王は止める事など出来なかった。
この世界に生まれて初めて、魔王は泣いた。
早速のブックマーク有難うございました。
完走目指してまったりと続けて参りますので、宜しくお願い致します。