第七話 『愛しい息』
『アスカさんに大事な話があります。どうか庭園に来てください』
ダリアン領を制圧した日の夕方。
いろいろありすぎて完全に疲れ切っているわたしだけど、枕においてあるその手紙を無視するわけがなかった。
だって、その本人のように真面目で綺麗な字は知ってるから。
だって、わたしにも、その手紙の送り主に大事な話があるんだから。
心は痛いほどドキドキしている。
身体を洗ったはずなのに、汗の感触はまるで消えていないように感じた。
わたしの恥ずかしい勘違いだったら、どうしょう。
わたしの思ってるような『大事な話』じゃなかったら、どうしょう。
わたしのこと好きじゃなかったら、どうしょう。
わたしと一緒にいたくないなら、どうしょう。
多分大丈夫だとは思うけど。
冷静に、客観的に考えたら、間違いないはずだけど。
それでも、不安はある。
拒絶されるのは怖い。
今まで築いたわたし達の関係、わたし達の絆を失うのは嫌。
だって、これは論理的な話ではないから。
これは感情論。
これは人間の儚い気持ち。
それ以上でも、それ以下でもない。
それでも、行かないわけが、なかった。
確かに不安だけど、確かに怖いけど。
それ以上に、ずっとずっと以上に、幸せになりたい気持ちのほうが強い。
わたしだけではなくて、彼女だけでもない。
一緒に、二人で、幸せになりたい。
※ ※ ※
「ある時、何も持っていないことに気付いた」
色とりどりの花が満開のその庭園の中に、サリアは一番綺麗だった。
「幸せに溢れているはずの人生は、実はからっぽだった」
「他人の幸せの言葉を信じただけ。帝国の鎖に安心感を感じただけ」
「誰よりも努力してるつもりだけど、そもそも方向性が間違ってた。エルフ達のために努力してどうする? 帝国の命令に従ってその先に何がある?」
「幼いころに両親を失った私だけど、仲間があった。家族があった。タルノもフィンラも寮のみんなも、私を大切に想ってるのはわかるけど」
「それでも、みんなの幸せは私の幸せではなかった。みんなが平等に好きだけど、一番好きな人は誰もいなかった。みんなの手を握っても、私だけの手を取ってくれる人は一人もいなかった」
サリアと、目があった。
「そして、アスカさんに会いました」
「誰より何よりも凄くて、かっこよくて、優しいアスカさん」
「私と同じようにいっぱい努力してるけど、その方向性が真逆なアスカさん」
「自分の夢をしっかり持って、自分の大切な人を強くて想って、自分の見たい世界を実現するためにいっぱいいっぱい頑張ってるアスカさん」
「最初はアスカさんみたいになりたいと思いました。アスカさんの真似をすれば、私もあんなに自信に溢れているようになれると思いました」
「やっぱり、それは無理でした。いくら練習しても、いくら努力しても、アスカさんにはなれなかった」
「でもそんなの、どうでもよかった。だって、こんなに不甲斐ない私でも、アスカさんは受け入れてくれましたから。やる気だけが取り柄の私でも、アスカさんは『好き』って言ってくれましたから」
「それでやっとわかったのです。帝国のためにでも、人間達のためにでも、頑張らなくてもいい。今から、私はアスカさんだけのために、戦います。アスカさんだけを想って、アスカさんだけを信じて、幸せに向かいます」
「だからこの大事な日でも、いいえ、この大事な日だからこそ、アスカさんを呼び出しました。アスカさんへの恩を少しでも返すために。アスカさんへの気持ちを少しでも示すために」
「私は、アスカさんが好きです」
「どうしょうもないほど好きです」
「誰より何よりも好きです」
「信じられないぐらい好きです」
「私と、付き合ってください」
この風。
これが楽園の感触か?
この空気。
これが幸せの味か?
「はい」
「わたしも、サリアが好き」
「最初は、怖かったよ。誰も知らない世界に来た時でも、罪のない人達が焼き殺される悲鳴を聞いた時でも、凄く、凄く、怖かったよ」
「サリアはわたしが自信に溢れているように見えると言ってくれたけど、そんなことなかった。わたしも、必死に友達を探しているだけ。わたしは凄くでも、強くでもない、ただの桜ヶ丘女子高校二年生だったよ」
「でもその時、わたしのそばにはとある女の子がいた。わたしの手を握ってくれる女の子がいた。わたしの言葉を聞いてくれる、わたしの話を信じてくれる、可愛くて愛しい女の子」
「サリアと同じように、いいえ、サリア以上に、わたしはサリアに助けられているよ。サリアの笑顔はわたしの自信。サリアの膝はわたしの勇気。サリアの手はわたしの力」
「わたしには夢がある。わたしの一番大事な人、わたしの誰よりも何よりも大切な人と一緒に生きたい」
「わたしの大切な人に、なってくれる? わたしのかけがえのない人に、なってくれる? わたしの恋人に、なってくれる?」
サリアの温かい手を取って。
サリアの美しい目を見て。
サリアの愛しい息を聞いて。
サリアの可愛い唇を、感じた。
日が青空に登るまで、花が満開のフローラリア城庭園に、わたし達は抱き合っていた。
二人で。