第三十三話 『フィンラ』
私の名はフィンラ。
二十三年前に人間として生まれてきた私には職業の自由も、未来の希望もなかった。
我々は崇高なるアルナリア帝国のために働いて、アルナリア帝国のために死ぬ家畜同然の存在だった。
それでも、子供の頃の私はそれなりに幸せだった。
なぜなら、お父さんとお母さんの優しい笑顔は太陽よりも暖かくて、女神アテラよりも尊かった。
「今日もよく頑張ったぞ! 偉いぞフィンラ!」
「ありがとうお父さん!」
畑での仕事は確かに小さな女の子には大変だけど、不満も文句もなかった。
お父さんに頭を撫でてさえもらえば、それで十分だった。
でもその生活に満足してるのは私だけみたいだった。
「俺のかわいい娘を一日中ずっと強制労働させるなんて……許せないぞっ」
「あの監督さえいなければ……」
あの時お父さんが何言ってるのかよくわからなかったけど、彼の怒ってる顔だけは覚えている。
怖かった。
私のお父さんは世界で一番優しいはずなのに、世界で一番暖かいはずなのに、どうしてその顔するの?
ある夏の日、日差しが特に強くて、仕事がいつも以上に辛かった。
息が苦しくて、汗を大量にかいて、何も考えられなくなった。
次の瞬間、お父さんの膝の上に目を覚ました。
「ごめんね、フィンラ……俺のせいだ」
「……おとう、さん?」
「俺がちゃんと守ってくれなかったから……俺の大切な、かけがえのない娘なのに……」
反論したかったけど。
お父さんのせいじゃないって言いたかったけど。
頭ではそう思ったのに、私の口がなぜか、言うことを聞いてくれなかった。
「でももう大丈夫だ……俺がなんとくするから、もう、心配しなくてもいいぞ」
「…………」
翌日、私の傍には誰もいなかった。
「この人間が、このカスが最大の罪を犯したのだ! 我々エルフに手を出したのだ! これは崇高なるアルナリア帝国への裏切りであり、女神アテラへの冒涜だ!!!」
……お父さん?
「許せない! 許せるはずがない! 貴様ら人間どもは下等生物だ! エルフの命令に従わないなら、生きる価値もない家畜なのだ!」
……どうして?
「だからこのクズも、このクズのメスも、焼き殺してやる! 崇高なるアルナリア帝国を裏切った当然の報いだ!」
……お母さん、も?
「炎に包まれてもがき苦しみながら死ぬがいい!」
……私のせいだ。
私が倒れたから、私が弱かったから、お父さんが私達の監督様を殴り倒した。
私がもっとしっかりしていれば、私がもっと頑張れたら、お父さんもお母さんも無事に生き残ったのに。
今でも幸せに一緒に暮らしてるのに。
真っ白な頭で私の唯一の家族を包んでいる炎を眺めながら、大粒の涙がぽたぽたと膝に落ちていく。
※ ※ ※
それでも、生きるしかなかった。
両親がなくとも、畑で働いて食事を貰う生活が普通に、何も変わらずに続いた。
ただあの暖かい笑顔も、優しい温もりが消えただけ。
人形のように、心もアルナリア帝国の奴隷になったかのように、私が働いた。
そしてある日、一人の少年に出会えた。
「僕の名前はマックスだ! よろしく~」
「……よろしくお願いします」
元気で、楽しそうで、いつも笑っているマックスくんは当時の私とは真逆なタイプだけど、なぜかすぐに仲良くなった。
「フィンラちゃんは真面目すぎるのよ! もっとリラックスリラックス!」
「バカマックス~」
「酷っ!」
マックスくんの影響で、心を閉ざした私が段々と気軽に話せるようになった。
かつて無意味だった私の人生に、光が差し込み始めた。
「これはね、こんな風にすると楽になるのよ」
「おお、凄い! やっぱりフィンラちゃんは物知りだね!」
第14区の人達とついに解け合った私がみんなからも尊敬されるようになった。
でも一番の相手はやはりきっかけを作ってくれた私のマックスくんだった。
「ずっと好きだった! 付き合ってくれ!」
「…………勘違いしないで」
「えっ」
「ずっと好きだったのは、私のほうだから」
「!」
9ヶ月後に、私が可愛い女の子を生んだ。
誰よりも大切な、誰よりも愛しい娘を抱きしめながら、私が静かに泣いた。
これでやっとあの温もりを、あの幸せを取り戻せる。
もう一度三人で、家族として幸福に生きよう。
「おかーさん、いってきます!」
「いってらっしゃい!」
ジャンはマックスくんみたいに元気で、頭も良くて、正直完璧な娘だった。
毎日が夢のように、笑い声に溢れている。
「……た、だいまー」
「今日もよく頑張ったわ! 偉いぞジャン!」
「ありがとう、お母さん……」
でも私より身体が弱かったジャンにとって畑での強制労働は特に辛かった。
いくら健気に笑顔を作ろうとしても、母である私にはわかった。
「やっぱりこのままじゃダメ……」
「でもどうしようもないじゃない!」
私も、マックスくんも、ジャンが何よりも大切だった。
なのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。
「方法ならある。僕達三人でパリオーナ領に逃げればいい」
「ダメ……崇高なるアルナリア帝国には逆らえないわ」
今のマックスくんの顔は、昔のお父さんそっくり。
同じ失敗を繰り返さないでくれ。
「このままじゃいつ倒れてもおかしくない。やっぱり僕がジャンを連れていく」
「いや……行かないでよ……」
「ごめん」
あの時のように私は無力で、結局何もできなかった。
でもどこかでマックスくんを信じていたと思う。
私の大好きな、いつも笑顔のマックスくんなら、無事にジャンを救えるはずだから。
やっぱり私が結局何も、何一つも、学んでいない。
「貴様ら人間どもは我々の奴隷だ! 我々の道具だ! 我々のために生き、我々のために死ぬ家畜なのだ! 崇高なるアルナリア帝国に尽くすことのみが貴様らの存在意味と言っても良い!」
ああ。
今回も私のせいだったかなぁ。
私がマックスくんと一緒に行ったら、私が一所懸命手伝ってくれたら、無事にパリオーナ領に辿り着いたかなぁ。
まさかこれほどの苦しみを人生で二度と味わうことになるなんて。
二度とかけがえのない最愛の家族が焼き殺される姿を見せられることになるなんて。
私の元気で、楽しそうなマックスくん。
私の可愛くて、健気なジャン。
大好きだったよ。
「でも、その平和を守るためには、犠牲が必要。最強であり続けるためには、ゲスどもを排除しなければならない。貴様ら! 目に焼き付けろ! 裏切り者の末路を!」
許せない。
自分が許せない。
ただ見てるだけの自分、何もできない無力で無価値な自分が大嫌いだった。
これからは世界中の子供達を守るために生きるわ。
この悲劇を繰り返さないように、全力で頑張る。
「必ず勝つわよ。もう二度と、私の子供を焼き殺させないわ。人間はもう、奴隷なんかじゃない。お姫様はもう、私達の神様なんかじゃない」
私の名はフィンラ。
人類を救いたい。