第十四話 『温もり』
「ね、屋上に行こうか? 言いたいことがあるんだけど……」
コルタルシ領に勝利した日の夕方。
ライナー領主の城に休んでるわたしは、その可愛い掛け声になんと返したらいいのかわからなかった。
確かにわたしは総統で、ご主人様で、この連軍の支配者だ。
確かにこの娘はわたしの命令に従わなければならない存在だ。
でもだからといって、何をすればいいのか、どうしたいのか、全然わからなかった。
わたしはわたしの気持ちがわからなかったから。
可能性はいくらでもあるし、無限の選択肢はわたしの手にある。
でもだからこそ、どの道を選べばいいのか、わからない。
この娘は可愛いと思うけど、同時に怖くもある。
尊敬するけど、軽蔑もしてる。
あなたはわたしの何よ? 敵? 捕虜? 仲間?
そして何になりたい? 戦友? しもべ? 恋人?
仲良くなりたいけど、許せない。
好きだけど、大嫌い。
あなたの手を取ったら、それは人類への裏切りになるのかな?
あなたを拒絶したら、一生ずっと後悔するのかな?
わたしの心には不安しかない。
何をしても間違いそうで、どこに進んでも迷いそうで、誰を選んでもこの胸のドキドキは止まりそうにない。
幸せになるにはどうすればいい?
わからないまま、必死に考えながら、わたしは屋上に向かう。
※ ※ ※
「いつか、遠い昔の夢を見た」
真っ白で真ん丸い月の儚い光の下で、エルちゃんのツインテールは太陽のように輝いている。
「お母様は私の頭に手をそっと乗せて、優しくナデナデしてくれる。
リリア姉様は純真な笑顔を浮かべながら、わたしをからかってくれる。
ソルナ姉様は昨晩徹夜で作ってくれた愛情たっぷりのケーキをわたしに食べさせてくれる」
「いつそのかけがえのない日々がなくなったのか、覚えていない。いつみんなの笑顔を見なくなったのか、みんなの温もりを感じなくなったのか、みんなの愛を失ったのか、覚えていない」
「幼かった私は必死に真実から目を背いた。きっとお母様もお姉様達も昔と変わらずに私のことが大好きで、私のことが一番大切で、今にもその冷たい態度とその冷酷な目をやめて、もう一度抱きしめてくれるだろうと思った」
「だから頑張った。信じられないぐらい頑張ったよ。友達もなくて、遊ぶ時間も捨てて、ひたすら毎日毎日毎日勉強に全力を尽くした。その笑顔、その大好きな家族の愛情を取り戻すために」
エルちゃんと、目があった。
「でもある日、お前に、アスカに出会った」
「アスカは私に真実を教えてくれた。私の目を覚ましてくれた。私の世界がどれほど狭くて、どれほど愚かで、どれほど間違っているのか、見せてくれた」
「今、わかるぞ。人間は家畜でも獣でもなくて、我々エルフと同じように知能のある、心のある存在だ。崇高……アルナリア帝国は平等でも親切でもなくて、理不尽で不公平で国民のことを考えていない最低の国だ」
「すべてはアスカのおかげだ。アスカは酷いことした私を叱ってくれた。アスカは苦しんでいる人々を救ってくれた。そして、アスカはバカで価値のなかった私に手を伸ばしてくれた! この私なんかでも必要とされてくれた!」
「人生で初めて意味を感じた。この腐っている帝国からかわいそうな子供達を救ってやるぞ! アスカの側で私の罪を償ってやるぞ! 焼き殺した憐れな人間達の代わりに何倍も何十倍も命に希望を差し出してやるぞ!」
「家族から愛されなくてもいい。あの温もりを取り戻さなくてもいい。酷いことをした、酷いことを今でもし続けているお母様もお姉様達も、今はもうどうでもいい!」
「その代わり、アスカの温もりがほしい。アスカから愛されたい。強くて、かっこよくて、優しくて、一生懸命なアスカの笑顔が見たい」
「私はアスカが好き」
「お母様よりもお姉様達よりも好き」
「国よりも世界よりも好き」
「種族も捨ててもいいくらい好き」
「皇位も捨ててもいいくらい好き」
「私と、付き合ってください」
その手。
勇気と愛を掴んでいる。
その目。
未来の希望に満ちている。
「はい」
「わたしも、エルちゃんが好き」
「わたしも、エルカルサ・フローラリア・ダリアン・アルナリアが好き。わたしも、アルナリア帝国の第7王女が好き。わたしも、熱き絢爛たる雷火使いが好き」
「ああエルちゃんは無罪の人々を焼き殺した。ああエルちゃんは我々連軍の天敵のお姫様だ。でもわたし聞いたよ、エルちゃんの言葉を。わたし見たよ、エルちゃんの勇気を」
「エルちゃんは悪くない。社会の倫理観に従ってどこが間違っている? 親の教えを守って何が悪い? 子供にその責任はどこにもない! 何もわかっていないから!」
「死んだ憐れな人々と同じように、苦しんでいる国民と同じように、エルちゃんはアルナリア帝国の被害者だ! だからわたしはエルちゃんを許さないことをここで宣言する! 許すも何も全然悪くないから!」
「今まで、わたしはどうすればいいのか、どうなりたいのか、わからなかったよ。不安で不安で仕方なかったよ。でもエルちゃんの勇気はわたしの勇気にもなって、エルちゃんの希望はわたしの希望でもある」
「だからエルフでも、お姫様でも、少女でも敵でもどうでもいい。エルちゃんはわたしに愛をくれた。だから人間として、心のある生き物として、答えなければならない」
「わたしはエルちゃんのお母様の代わりにも、お姉様の代わりにもなれない。血は繋がってないし、子供の記憶も共有できない」
「でもそれ以上に、想像できるより遥か以上に、エルちゃんに愛を捧げたい。笑顔を見たいならいくらでも笑ってやる。温もりを感じたいならいくらでも抱きしめてやる」
「わたしには夢がある。わたしの一番大事な人、わたしの誰よりも何よりも大切な人と一緒に生きたい」
「わたしの大切な人に、なってくれる? わたしのかけがえのない人に、なってくれる? わたしの恋人に、なってくれる?」
エルちゃんを強く抱きしめて。
その小さなエルフの身体の温もりを肌で感じて。
その爛々と煌めく金髪に指を差し込んで。
その温かい唇に自らの唇を寄せて。
そのかわいいパンツに、手を突っ込んで。
「ちょっと待ってくれ……そこはダメっ」
「言っただろう。エルちゃんに拒否権はないって」