第十三話 『他人の幸せ』
「魔法はね、距離が重要だぞ」
それはエルちゃんっていう可愛い少女の声でも、ダリアン領の最高領主の声でもなかった。
それは完全に熱き絢爛たる雷火使いの声だった。
「自分から遠ければ遠いほど、使える魔法の規模が低下し、必要なエネルギーも上昇するのよ。だから目の前の敵なら簡単に炎で焼き尽くさせるけど、あの野原の向こうの相手には何も出来ない」
巨大な紫色の壁の前に立っているのは準備を整いた我々連軍である。
「だから、この『雷光の壁』を維持しているのはライナー領主ではない。当たり前だろう? あそこからこんな莫大な魔法を自分だけで扱えるなんて私どころかお母様すら出来ないぞ」
「そう。これを作っているのは魔法使いのチームだ。一緒に手を組んで、一緒に物凄い量のエネルギーをこの壁に送り込んでいる。そして向こうの軍隊からじゃなくて、壁の真ん中からだ」
エルちゃんがゆっくり、でも確実に半透明の紫色の壁の真ん中の小さな丘を指さした。
「私なら、あそこに地下室を掘って、魔法使い達を待機させるだろう。そこが一番効率的で、一番安全だと思う。そして魔法のバリアーで地下室を囲んで、普通の遠距離攻撃から隔離して、無敵な壁を作り上げる」
そしてわたし達の隣には準備万端の連軍の最大の、最強の新武器。
「エルちゃんの言う通りだ。でも我々には切り札がある! 科学の力がある! 人類はエルフなんかに、魔法なんかに負けない! 射手、弾込めー!」
いくら千キログラムの鋼鉄の塊でも、我々の大砲はあの巨大な雷光の壁に比べたらそんなに凄い光景ではなかった。
でも敵のエルフ達はその可能性、その威力をまだ知らない。
「射撃用意っ!」
今日、この瞬間はコルタルシ領の終わりになるだろう。
「撃てーー!!」
大砲からの巨大な弾丸は一瞬で雷光の壁を通過し、小さな丘に激しく炸裂し、煙と塵が周りに噴き出した。
凄まじいほどの音に耳を塞いでいる兵士は少なくない。
そして、紫色の雷光が瞬いて、また瞬いて、最後にふわりと消えた。
「全軍、突撃ーーーー!!!」
銃を抱えている我々連軍が凄まじい勢いでコルタルシ領に乗り込んだ。
唖然としている帝国軍の兵士達へ大量の弾丸を撃ち込んだ。
そこからの戦いは長くなかった。
最初の大砲の発射でコルタルシ領の一番強い魔法使い達は全滅され、戦線を立て直す時間も余裕もなかった帝国軍は中途半端な反撃しか何も出来なかった。
たった数十分で敵の態勢は崩壊し、我々の勝利は確定となった。
「バカなっ……俺の最高の、無敵の壁が……」
コルタルシ領の領主の前にわたしは銃を構えて、エルちゃんも隣で複雑な表情を浮かべている。
「エルカルサ姫! テメーのせいか!? 『雷光の壁』の弱点をこの人間どもに教えやがったなっ!」
「そうだ。お前を倒したのはこの私だぞ、ライナー領主よ」
怒りに満ち溢れているそのエルフの周りは撃ち殺された部下達の死体だらけだった。
「ふざけやがって! 崇高なるアルナリア帝国を裏切って人間なんかに力を貸すのか? 何考えてんのよ!」
「俺らは完璧な人生を手に入れたじゃねぇか! 領のみんなが俺らの奴隷で、俺らのおもちゃだ! この帝国は好きなだけ遊んで、好きなだけ殺して、何をしても許される最高のユートピアじゃねぇか?」
「なぜそれを放り出すのかダリアン領の領主よ! この環境に、この生活に何が不満? これ以上何がほしいのか理解出来ねぇ!」
熱くて怒気に溢れたその言葉に対して、エルちゃんの声は寒気がするほど冷静だった。
「お前は本当に、本っ当にクズだぞ」
「この生活に何が不満、だっと? 笑わせるな。私は自分のために、自分だけのために生きているのではないぞ。一緒にするなザコが」
「ああ我々の命令に従ってくれる奴隷で、おもちゃだ。何をしてもいいし、何をしてもらってもいい。好きなだけ遊んで、好きなだけ奉仕され、好きなだけ他人の人生を蹂躙できるだろう」
「でもその生き方に、愛がないではないか!」
「奴隷がいくらいっても仲間が一人もいない! 他人の幸せや喜びを共感できない! 自分だけが満足でも、空気は負の感情に満ち溢れている! それのどこがユートピアよ!」
「私はずっと愛されたかったのよ! お母様に、お姉様達に私の能力と私の可能性を示して、認めたかったのよ! 私は支配するために領主になったのではなく、幸福を掴むためになったのよ!」
「我々のキラキラな未来にお前のようなゴミは不要だ! 他人の幸せを考えてないやつは私にとってどうでもいいぞ! クズらしく死ね!!」
それを合言葉に、わたしが引き金を引いて、コルタルシ領の領主は人生の最後の息を吐き終わった。
リーダーも軍隊も失ったコルタルシ領は完全に我々連軍の領土となった。
エルちゃんの手を優しく取って、わたしのすべての愛情を込めながら、そっと握った。
暖かった。