第十二話 『一般常識』
「何か、方法はないのか?」
人軍の大将になったタルノの声は不安と微かな希望に満ちている。
「そうだね……『雷光の壁』に弾丸を撃っても通過するだけで効果は皆無だ。でも向こうの軍隊までは遠すぎて届かないから……少なくとも、わたしの知識では壊せないね」
残念ながら、いくら考えてもタルノの希望に答えられなかったわたしだった。
「じゃあ、壁を迂回して南に回って、セレクタス領から攻めるとか?」
「それは危ないな……この領境を放置すると、コルタルシ領はいつでも我々に裏から攻撃できるだろう? かと言って、ここに軍隊を残すとセレクタス領に勝てるかどうか……今の連軍は分けて戦えるほど強くない」
やっぱり、わたしにとってもダリアン領にとってもこの戦線でなんとか勝つしかない。
「タルノのほうはどう? 壁を調べただろう?」
「動物とかで試してみたんだけど、やっぱり生身の人間があの紫色の雷光に通れるわけがない……瞬死だよ瞬死」
「さすがエルフの魔法……これは不公平だよチートだよ……」
「あと、連軍のエルフ達にも聞いてみたんだ……まさかボクがこんなふうにエルフと平等に話せる日が来るなんて、思ってもみなかったんだけど。アスカのおかげだよ」
「いえみんなが頑張ったから……それよりエルフ達は何って言った?」
「彼らにはわからないって。この『雷光の壁』は凄く高レベルな魔法らしくて、普通の魔法使いはどうやってこんなのを作るのか想像もできないみたい」
「そうか……」
いくらわたしが期待した返事でも、落胆せざるを得ないな。
「そうだね、エルフ達によると、連軍にこんな強力な魔法を操れるのは一人しかいない」
「『熱き絢爛たる雷火使い』か」
※ ※ ※
「言ったぞ。私は手伝わないって」
その金髪ツインテールの少女を雷光の壁まで文字通り引っ張った。
「だからわたしも言っただろう。エルちゃんに拒否権はないって」
頑固な表情を浮かべているこの下着姿の姫様は我々連軍の最後の手札だ。
「じゃあどうする? また火や水を持ってくる? ……どんなことをしても、私は負けないぞ」
凛とした強気な声だけど、その小さな手は微かに震えている。
「考えてみろ、エルちゃん。わたし達がここで負けたら、どうなるのかを。あの領主を見たんだろう? あの宣言を聞いたんだろう? それでいいのかダリアン領のお姫様よ?」
「いいわけないぞ! 私だって、あいつのことが大嫌いだ! 我々領主は大切な国民を守るために頑張っているはずなのに、あいつは自分の最低な趣味にしか興味がない! 人間だけじゃなくて、あいつに逆らったエルフも監獄で消えちゃうのよ!」
「そうだ出来れば私もあいつを焼き殺したい。でもいくら嫌いな、性根の腐った人でも、あいつは崇高なるアルナリア帝国の由緒正しい領主だ。お母様に、皇帝陛下に忠誠を誓っている仲間だ」
「だからもしあいつの雷光の壁を壊せる方法をお前に話したら、それは大逆罪になるぞ。お母様にあいつの罪を伝えて、処刑されたらもちろん嬉しいけど、こんなふうに戦争に持ち込むのは許されない」
「私は家族を裏切らない」
わたしが狙っているのはストックホルム症候群だ。
いくら姫様で領主で最強の魔法使いでも、この娘は若くて不安定な少女でしかない。最初は痛めつけて原始的な恐怖を感じさせて、次は優しく接して安心感を招いて、そして最後にアルナリア帝国の残酷さを見せつけてわたし達のほうを選ばさせる。
正直エルちゃんが個人的に嫌いってわけではない。確かに人達を焼き殺した暴君だったけど、帝国に言われたとおりにやってるだけで、本当に人間に感情や知能があることを知らなくて、ただの無邪気なかわいい女の子だった。
それでも、いやだからこそ、わたし達の仲間になってほしかった。わたしと一緒に戦って、わたしと一緒に笑って、その可愛くて元気な笑顔をもっともっと見たかった。
だから許してほしい。
「笑わせるな」
「エルちゃんのお母さんが、アルナリア帝国の皇帝陛下が知らなかったとでも思ってんのか!? あの領主がやってる酷くて、酷悪な行為は秘密だったとでも思ってんのか!?」
「……え」
「こんなのは当然じゃないか! 一般常識じゃないか! 貴族は至高、貴族は最高、貴族は崇高! 人間でもエルフでも一般人はご主人様のために生き、ご主人様のために死ぬのだ! それがエルちゃんの言う崇高なるアルナリア帝国だ!」
「何が国民を守るよ! 何が国への責任よ! そんなのは子供を慰めるための戯言でしかないだろう! そんなの誰一人も信じていないよ!」
「コルタルシ領の領主は特別とでも思ったのか? 違うだろう彼は隠すのが下手なだけだ! 崇高なるアルナリア帝国の貴族達はみんなやってるよ!」
「……そんな」
「どうしてわたし達人間が反逆したと思ってるの? それは、このアルナリア帝国は腐っているからだよ! それは、我々が理不尽に拷問され殺されているからだよ! 国民を守りたいならエルちゃんの帝国こそが最大の敵じゃないか!?」
「……お母様が……みんなが……」
「そうだそうだよ! わたしを、わたし達を手伝うのか? 新しい未来を拓けるのか? それとも、この永遠の拷問を続けるのか? 自らの手で!?」
「…………わかった。あいつを、コルタルシ領の領主を止める」
その目にうっすら涙を浮かべているか弱い少女を優しく、でもしっかりと抱きしめた。
「大丈夫だよエルちゃん。みんなを助けるから。みんなを笑顔にするから」
もちろん、嘘だった。
いや嘘かどうか知らないけど、少なくともコルタルシ領の領主の暴虐は常識なのか全然わからない。
もしかして皇帝陛下は全然聞いてないかもしれない。
もしかして他の領主は公平に、温和に人々を治めているかもしれない。
ダリアン領の人達は近くの領からの噂しか何も知らないから。
でもこの初々しい少女、このかわいい箱入り娘も、何も知らないから。
人間が家畜っていう常識を覆されたエルちゃんは、騙されやすいから。