第九話 『銀色の首輪』
フローラリア城の地下室。
その薄暗い牢屋の壁に寄りかかっている少女の小学生に間違えそうな幼い身体は痣や傷だらけだった。
かつて太陽みたいにキラキラな金髪ツインテールは薄汚れていて、そして下着と左肩の絆創膏と銀色の首輪しか、何も着ていない。
「こんなことして……許されるとでも思ってんのか……」
まぁ、この娘の根性だけは認めざるを得ない。
「私は……エルカルサ……フローラリア……ダリアン……アルナリア」
「長い名前だなぁ……よし、エルちゃんでいいか」
一人でエルちゃんの前に微笑を浮かべているわたしの役目は情報収集である。
「ふざけるな……私は崇高なるアルナリア帝国の第7王女だぞ……絶対ころああああああぁぁぁぁ」
なお、その首輪はエルフの犯罪者などに使うものらしくて、魔法を完全に封じられている今のエルちゃんはか弱い少女でしかない。
「痛い痛い痛いやめてやめてやめてぇぇ……はぁはぁはぁはぁ……」
「そろそろわたしの質問に答えてもいいと思うけどなぁ」
「……誰が……お前なんかに……」
「これもダメか……ねぇ、エルちゃんは火が好きなんじゃない? だからこれも持って来たよ~」
「ま……まさか……いや、いや、いややめて近づけないでおねがあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁぁぁ」
「我々人間達を魔法で焼き殺したお姫様とは思えない言葉だねぇ」
「…………」
「……もう一回やろうか?」
「……なんで……」
「なんで?」
「なんでお前は……そんなに頭がいいのよ?」
「え?」
「人間は下等生物だぞ……無能で、下劣で、力作業しか出来ない……家畜なんだぞ……」
「……やっぱりもう一回やろうか」
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁぁ…………痛いよ痛すぎるのよやめてお願いだからやめてぇぇ」
「…………」
「そうじゃなくて……そうじゃなくて、こういうこと、出来るはずがなかった……やっぱりお前は……違うのか? ただの人間じゃ、ないのか?」
「エルちゃんも、わかってないなぁ」
「……なに、よ」
「エルフ達も、人間達も、プロパガンダを信じているだけだよ。我々人間は下等生物なんかじゃなくて、むしろエルフと遜色ないくらい賢くて、知性が高くて、そして身勝手で、無慈悲な生き物なんだよ」
「ひぃぃぃぃぃぃ!?」
「ぁぁ……ぁぁぁ……ぁぁぁ……絶対、泣かないぞ……私は強い……私は負けない……」
「なんなら証明してみようか? 数学でも物理学でも、語学でも地学でも、勝負しない? まぁさすがに史学や魔法学は無理だけど……」
「……でも……お前の言う通り、私は人間どもを獣のように……焼き殺したよ……奴隷だから……家畜だから」
「そうだ! エルちゃんが殺した人達にはね、希望があったんだよ。幸せな人生を送りたかったんだよ。エルちゃんみたいに大切な友達と、愛する家族と一緒に生きたかっただけだよ」
「……そんな……バカな……認めない……認めないぞ!」
「まったく……じゃあさ、火がダメなら水はどうかな? 水桶も持ってきたし」
「いや待て……何するつもりだ……いやぁ離してやめてっ!」
急に割と静かになった牢屋で、わたしは手に力を込めて、二十秒数えた。
「ゲホッゲホッ……がはっ……はぁはぁはぁはぁはぁ……」
「……」
「はぁはぁ……けほけほっ……はぁはぁはぁ……」
「よし、もう一回やろうか」
「いやぁ!! もういややめてやめてやめてぇ!!!」
「どうしようかな~」
「わかった! わかったから! 私が悪かった!」
「そうなの?」
「そうだ! 私が知能のある人間の命を残酷に奪った! 人間じゃなくて、私のほうが化物で、クズで、価値のない人なんだよ!」
「私は崇高なるアルナリア帝国の第7王女だった。子供の頃から、あなたは凄い、あなたは特別、あなたは最高って言われたのよ。友達からも、先生からも、国民からも貴族からも」
「でも足りなかった。お母様だけが、お姉様達だけが私を認めてくれなかった。帝族なら当然じゃないって。私達のほうが百倍も凄いじゃないって」
「だから頑張ったよ! 魔法の勉強に一所懸命取り組んで、毎日毎日遅くまで練習して、熱き絢爛たる雷火使いって呼べるようになった。ダリアン領の領主になって、できるだけ賢く、効率的に治めようとした」
「それでも、それでも足りなかったよ! いくら頑張っても、いくら成果を上げてもいくらダリアン領が盛んでも、お母様もお姉様達も見向きもしなかった! 気づきもしなかった!」
「焦った。完璧じゃなければならないと思った。失敗は許されないと思った。だから人間達をもっともっと働かさせて、だから逃げたら許せなくて、だからあんなことを、あんな酷くて、最低なことをやっちゃった……」
「ごめんなさい」
「許されないのはよくわかってるけど、それでも、心の底から、ごめんなさい」
頭を素直に下げたエルちゃんの手は微かに震えている。
「いいだろう。それなら命を、未来を奪った人達のために、彼らの家族や愛する人のために、償えよ。人々を悲しませたら、その二倍も人々を幸せにするために頑張れよ」
「何でも言うけど、わたしは自由の、幸福の世界を作りたいよ。でもわたしだけでは、人類だけでは無理だよ。エルフ達の協力も、エルフ達の仲間も必要不可欠なんだよ」
「わたしと一緒に、頑張ろう。わたしと一緒に、罪を償おう。それなら、本気で全力でキラキラな未来を拓けるなら、許すよ」
優しく、わがままな子供を慰めるみたいに優しく、そのエルフの姫様に手を伸ばした。
一瞬の躊躇。
「ごめんなさい」
「私の罪は重くて、一生消えないだろう。それは否定しようのない事実だ」
「でも私は崇高なるアルナリア帝国の第7王女でもある。帝国にも、国民にも、お母様にも、私には責任がある」
「お前の言う自由の世界はきっと素晴らしいだろう。出来れば私もこの目で見てみたいぞ」
「でも私の家族を、私の友達を、私の国を裏切ることはできない」
「お前の手は取れない」
悲しそうに、申し訳なさそうに、エルちゃんが私を見上げた。
「何言ってんの? エルちゃんに拒否権なんて、ないよ」
「えっ」
わたしの手にあるそのリードを銀色の首輪につけた。
「一緒に来い。聞きたいことがまだたくさんあるんだからね」
「えっ……待って……引っ張らないで、自分で歩けるから!」