第八話 『進撃あるのみ』
アルナリア帝国 セイラ28年(帝歴3747年)現在
テーブルの上に、フィンラがその精巧な地図をゆっくり広げた。
フローラリア城の作戦会議室は窓が広くて、ここからでも銃で訓練している人間達がよく見える。
テーブルの下に、サリアの手を優しく握った。
「これが崇高な……これが我々の相手、アルナリア帝国だ。そして、これが我々の領域、ダリアン領」
一番東のパリオーナ領のすぐ西のその小さな領を指で指しながら、フィンラが人間とエルフ軍のリーダー達に話しかけた。
「帝国軍が我々の反逆を見逃せるはずがないだろう。帝国の領土を、お姫様を、我々人間達を、必ず取り戻しに来るだろう」
なお、エルフ達は人間達から離れて、部屋の右側に静かに座っている。
わたしに忠誠を誓いさせたとは言え、まだ信用はしてないしされてもいないだろう。
「だから、次はどうするのかをここで、我々で、決断しなければならないわ」
「はい。ありがとう、フィンラ」
サリアの手を名残惜しく離し、視線をみんなに向けた。
「わたしには、わたし達には使命がある。それは人類をアルナリア帝国の束縛から解放し、自由の世界を作り上げることだ! だから、我々には進撃あるのみ!」
「幸い、帝国軍はまだ銃と爆弾の存在を知らないはずだ。今すぐ侵攻すれば、ダリアン領の兵士達と同様に狼狽え、そして敗れるはずだ。我々の武器に対応する前に攻撃するのがチャンスであり、唯一の勝算なのだ」
「だから、わたしの計画はこうだ。今すぐ、西のコルタルシ領とセレクタス領に全軍で侵攻し、領主を討って、そして虐げられている人達を解放し、我々の軍勢に加えるのだ。このように力を増しながらカント領にもクリオファス領にも侵攻し、最後に全力で帝都テラシアに挑む。そこで勝てば、皇帝陛下を倒せば、我々人類の勝利だ」
「どうだみんな? わたしの計画に、乗るのか?」
一瞬の静寂。
「私は、反対だよ」
なんだと。
正直、フィンラの反論の声はまったくの予想外だった。今まで、この作戦会議室にいるみんなはわたしの提案に、わたしの命令に素直に従ってきた。
「ああ、帝国軍を破れば、皇帝陛下を倒せば、なんて素晴らしい結末なんだろう。出来れば私も全力でしたいわ。勘違いしないでね」
「でも無理だ。この地図を見たんだろう? 崇高……アルナリア帝国の巨大さを見て実感しただろう? 私達の軍勢より帝国軍のほうは何倍、何十倍強大のか私にもわからないわ。勝てるわけがない」
「ああ、確かにダリアン領のお姫様を相手に勝利を収めた。でも熱き絢爛たる雷火使いより強くて、より恐ろしい魔法使いは何人いるだろう? そして、今回は不意打ちでも奇襲でもない真の戦争になるわよ」
「だから勝てないなら、逃げればいい。崇こ……アルナリア帝国から、逃げればいい」
「西ではなくて、東に行こう。我々ダリアン領の人間達全員で、パリオーナ領に進軍し、そしてエンサスの荒野へ向かおう」
「誰も知らない新世界を、見つかろう。アルナリア帝国から遠い遠い地の果てに、我々が夢見た自由の国を、作ろう」
もう一度、室内に張り詰めた静寂が訪れた。
確かにフィンラの言い分には一理ある。
正直アルナリア帝国に挑むのははどれほど無謀なのかわたしもよくわからないけど、この地図を初めて見た時は寒気がした。
だって、わたし達がこんなに頑張って、こんなに血も涙も流してやっと掌握したこのダリアン領が、まさかこんなに小さくて、こんなに些細な領土だったなんて。
アルナリア帝国に勝てるわけがない、かもしれない。
そして勝っても負けても、大勢の人が死ぬだろう。男も女も、子供も老人も、エルフも人間もわたしのために戦い、そしてわたしのために死ぬのだ。
なぜならこれは戦争だから。
世界で一番不毛で、一番非建設的で、一番残酷な行為だから。
もしわたしの計画を実行したら、世界中の人々が無意味に死んでいく。相手の帝国軍も、わたし達の軍勢も、そしてまったく無関係な人達も苦しみながら、わたしを呪いながら命を落とすだろう。
でもしかたがない。
だって、わたしには夢があるから。
だって、わたしには大切な親友がいるから。
だって、もう一度結衣と春乃の綺麗な顔を見、可愛い声を聞き、そして温かい手を感じたいから。
世界中の人々の命を助けるために逃げたら、それが叶わないから。
ごめんなさい。これから死んでいく人達、これから子供を、親を、兄弟を恋人をわたしのせいで失っていく全世界の人々よ。
ごめんなさい。
「わたしの作戦で行く」
「アルナリア帝国に勝てる方法ならある。わたしを信じて」
本当にこれでいいのか、もちろんわからない。
自信満々な言葉を並べているわたしだけど、内面には不安しかない。
でも決めたの。わたしの大切な人を優先するって。
例え世界を犠牲にしても。