遠い日の思い
先視の巫女の若い頃の話。
フィーアが先視の巫女として王宮に連れてこられたのは、10歳になった時だった。
生まれた時から目は見えないのだが、急に不思議な光景が瞼の裏に見えることが度々あった。その光景は、美しいものもあれば、とても残酷で恐ろしいものもあった。
幼い頃は見えた美しい光景を両親に話したり、恐ろしいものを見た時は泣いて縋りついたりしたものだ。しかし、次第にこれは普通のことではなく、両親もフィーアのことを持て余しているのを感じ、なるべく口に出さないようにしていた。
しかしある時、美しい金色の麦畑に囲まれた街が恐ろしい魔獣に襲われる光景が見えた。
目が見えないため実際には見たことはないが、その街がフィーアが暮らす街の特徴と一致しているように感じたのだ。今も、この街の周囲は収穫間際の麦が金色に輝いているはずだ。
眼裏の光景に、どうしようもない不安を抱き、黙っていることが出来なかった。
普段からお世話になっており、自分の言葉を無下にしないだろうと信頼できる、教会の司祭様に相談してみたのだ。
司祭様はフィーアの言葉を真摯に受け止めてくれ、街の領主や衛兵に忠告をしてくれた。そして数日後に実際に魔獣が現れ、無事に撃退することが出来たのだった。
それからはあっという間だった。
フィーアは先視の力がある、と教会で保護され、そのまま王都の王宮へ行くことになったのだ。両親との別れも短時間で終わらせられ、有無も言わせずに移動させられた。
そして王都に着くとすぐさま王から先視の巫女に任命され、専用の塔に入れられたのだった。
身の回りを世話する人が付けられ、服も食べ物も、今までより格段に良いものになった。居室である塔の部屋も、見えないながらも美しい場所であることは分かるし、寝台やソファーなどはとてもふかふかだ。
だが、世話係や護衛兵が必ず身近に控え、一人で居室から出ることは出来ない。何をするにしても、必ず周りの人間から確認が入る。
「息がつまる……」
贅沢だ、ということは承知しているが、思わずそんな言葉が口から零れていた。夜中の寝室で、窓際に置いた椅子に腰掛け、窓枠にもたれかかる。
フィーアに求められているのは先視の力。だから、日中は力を磨かせるために様々な人が色々なことを教えに来る。
過去の巫女の在り方、あちこちの風景、魔獣や他国の情報。色々なものを詰め込まれ、そして言葉にはされないが、早く未来を告げろというプレッシャーを掛けられる。
まだ10歳の少女には、辛い日々だった。
風に乗り、遠くから王都の喧騒が聞こえて来る。
和やかで賑やかな声は、故郷の街と家族を思い出させる。しかし今となっては、もうあの場所に戻ることも出来ない。
「……どこかに行きたいな」
「じゃあ俺と出掛けるか?」
「っ!? あなたは……?」
フィーア一人しかいないはずの寝室で、唐突に男の人に声を掛けられ、ビクリと身を震わせる。声の方向に見えない目を向けると、相手が笑った気配がした。
「ちゃんと警戒心を持ってるのは良いことだ。俺はこの国に住んでる『賢者』だな」
「『賢者』様……? どうしてここに?」
「あー……。まぁ、色々なヤツ見てるからな。お前さんはそろそろ限界が来ると思ってた」
そう言いながらポンポンとフィーアの頭を撫でた『賢者』は問い掛ける。
「それで、どうする? 気晴らしにどっか連れてってやるぞ?」
「……良いのですか?」
「ああ。俺の行動を制限出来るヤツなんかこの国には居ねぇからな」
からりと笑ったその声に、フィーアの縮こまっていた心も和らいだ。自然に笑みが零れ、『賢者』を見上げた。
「では、お願いします!」
「おう、任せろ。んー、お前をこのまんま連れてると流石に目立つな。……これでも被ってろ」
ばさり、と頭から被せられた布を触ってみると、とても手触りの良い布に細かな刺繍が施されているようだ。一体どこから取り出したのかとかも気になるが、全身をすっぽりと覆う素敵な布に嬉しくなり、ギュッと布の端を握り締める。
フィーア自身は見たことがないのだが、世話係が言うにはフィーアの髪の毛は光によって虹色にも輝く不思議な銀色をしているらしい。こんな髪の毛を出していては、すぐさまフィーアであることがバレてしまう。
わざわざこんな手間を掛けてまで、フィーアのことを気にかけてくれることに、とても嬉しくなった。
「ありがとうございます、『賢者』様!」
「大したことじゃない。あと、ゼノな。『賢者』って呼ばれると流石に目立つ」
「ふふ、そうですね。では、ゼノ様。よろしくお願いします」
「ああ」
にっこり笑いかけると、どこかぶっきらぼうな声が返される。その様子にクスクス笑っていると、軽く頭を叩かれた。
そして少々強引に椅子から引き上げられ、その腕の中に抱き上げられた。
「っ!? ゼノ、様?」
「ちゃんと掴まってろよ。今日はまぁ、適当に連れてくぞ」
そんな言葉を掛けられてすぐに、不思議な揺れるような感覚が襲ってくる。そしてその感覚が収まると、どこか懐かしい空気を感じた。
「おー、綺麗な麦畑だな」
「ゼノ様……?」
「見えないから分かりにくいかもしれないが、お前の故郷の街だ」
「……!」
遠くの酒場からか、陽気な歌声が聞こえて来る。この街では畑仕事をするときに良く歌われる、大地の恵みに感謝する歌だ。
つい最近まで毎日のように聞こえていたその歌に、胸がいっぱいになる。
いつの間にか、眦から涙が零れていた。
腕に抱えたフィーアの頭を軽く撫でながら、ゼノは優しく語り掛ける。
「先視の力は、意識して使えるもんじゃない。視たいものを見せてくれるわけでもない」
「そう、なんですか?」
「ああ。王宮のヤツらが何言ってるかは大体想像付くが、先視の巫女は視る力を制御できるもんじゃねぇ。今まで何人も、無茶を言われて潰れてった」
吐き捨てるようにそう言ったゼノは、フィーアの涙を優しく拭ってくれる。そしてフィーアを見つめる、強い眼差しを感じた。
「フィーア、お前がやることは、視たものをどう解釈するかだけだ。重要なものは何か、視えたものが何なのか。それが分かるように、色々学べば良い」
「……はい!」
「よし。……さて、今日はもう遅い。そろそろ戻るか」
満足気に頷いたゼノがそう言うのに、思わずフィーアはギュッとゼノの服を握り締めてしまった。また、あの塔に戻るのかと思うと少し怖かった。
しかしゼノは軽くフィーアの頭を撫でると、からりと笑う。
「またどっか連れて行ってやる。安心しろ」
「はい……! 約束、です」
「わかった、約束だ」
そしてその言葉の通り、その後も度々ゼノはフィーアを塔から連れ出してくれた。
いつも夜中にこっそり出掛けるのだが、『賢者』であるゼノの転移で移動出来る距離は途轍もない。遠く離れた国のバザールや極寒の雪国にも行くことが出来た。
そしてそんな優しいゼノのことが、愛しい男性になるのはあっという間だった。
先視の巫女としてある程度実績を積み、フィーアが年頃の娘になる頃には、ゼノの訪れを毎日心待ちにするようになっていたのだ
しかし、それと同時にゼノが訪れる間隔が空くようになってきた。
ゼノが距離を置こうとしているのだ。
そのことに気付いた時、フィーアは悲しみよりも、諦めを感じていた。『賢者』というものが、どれ程残酷な運命を背負っているのか、その時には既に知っていたのだ。
きっとこの想いを告げても、ゼノを苦しめることしかできない。
ゼノを置いていくことしかできない自分は、これ以上一緒に居るべきじゃない。
そう決断した数日後。
夜の塔に訪れたゼノが差し出した手を、フィーアは取るのを止めた。
「フィーア?」
「……今まで、色々な場所に連れて行ってくださって、ありがとうございます。もう、わたくしは大丈夫です」
「…………そうか」
「はい。あなた様が導いてくださったおかげで、ここまで来れました」
「そうだな。お前はもう、立派な先視の巫女だ」
そうゼノが認めてくれる言葉は、嬉しくもあったが、胸に突き刺さった。
しかし、そんなことは表に出さずに、笑顔を浮かべる。今ではいつも被っている、あの日ゼノがくれた布をギュッと握りしめ、溢れそうになる涙を堪える。
「どうか、あなた様に、善き道がひらかれますように」
「ああ。お前も元気でな、先視の」
「……ええ、もちろんです」
そして掻き消えるように、ゼノが転移で去って行ったのを感じ、フィーアは顔を手で覆う。
自分で決めたことだ。ゼノのため、と言いながらも自分を守るために、拒絶したのだ。
だから、泣く資格などない。
名前を呼んで貰えなくなったことに、ショックを受ける資格などない。
そう思いながらも、溢れる涙を止めることは出来なかった。
前話でゼノがロリコンというレッテルを貼られてキレていたけど、10歳の少女を連れまわしていた前歴も踏まえると、否定できないのではと思ったり。




