第一話
久々に筆が乗ったので。
銘歴一八九五年九月十一日
ノーワポイント島沖、約三〇〇メイス
「左舷に敵艦見ゆ。十時方向、距離三万ハイス!」
見張り員の敵艦見ゆの声に、甲板上が見るからに忙しくなった。セイルを操る甲板員はロープと格闘し。その隙を縫うように、凶悪なモノが準備されていた。
船尾の操舵甲板に船の首脳部が集まる。見た目が純白の軍服。帝国の補助艦隊所属を示す、ホワイトクロス。簡単に言うと、帝国海軍に雇われた傭兵。それが祖国失った、俺とこの船の立場だった。
「敵艦の数およそ二十! 連邦の先遣隊と思われる」
「キャプテン。攻撃命令を!」
高い声が響いた、言葉が威圧的だが決して、俺のことを見下してはいない。長い黒髪をポニーテールに結わえた麗人、俺の傍らに常に立つが、俺たちと服が違う。正規軍を示す紺色の軍服と肩から吊るされた金モールが、高級参謀であることを誇示していた。帝国海軍に所属する、彼女はシャノン・P・バルボッサ。帝国がよこした俺のお目付け役……。そんなこと今はどうでもいい。
「これより、本船アトランティックは戦闘行動に入る。戦闘旗、掲揚!」
「オール、ハンズ。バトルステーション!」
船尾に高々と掲げられる、真っ青な青地を背に中央に描かれた四方針羅針図の旗が、帝国海軍の補助艦隊部隊を主張している。
シャノンが同時に総員に戦闘配置を命じた。甲板上に並べられた、凶悪なモノ……。帝国の誇る最新型のカノン砲に砲弾が装填され、手すきの甲板員はライフル銃に弾丸を込める。
いよいよ、戦闘が始まる。これまで何度かあったが、今回はこれまでと相手が全く違う。正規軍との正面での殴り合いだ。武装はしているが商船であるアトランティックが戦っていい相手ではない。
手に持った双眼鏡を使い敵艦を確認する。
完全武装の大型ガレオン船が二十隻。いくら前時代の軍艦でも主力艦であることには変わりはなく、数の暴力と船乗りたちの練度はかなり厄介で、最新鋭装備と装甲を施した、アトランティックでも手を焼く敵だ。
だが、この船の船籍は海洋都市国家「セイレーン」。海と生きともに発展してきた国家だ。この国の船乗りは「海の魔女」と畏怖されて来た。この戦いを見守る、見極める者たちのためにも、逃げるわけにはいかない。
「エーテル炉、臨界まで圧力を上げろ。オールエンジン。エンゲージ!」
ガタガタッと足元から伝わる振動。直列四気筒カモイン式エーテル燃焼蒸気機関の頼もしい鼓動音とともにこの船は足を速める。
帝国の技術者の努力の結晶であるエーテルを使った、革命的な動力機関を心臓部に産業革命が成った帝国で、製造された鋼鉄を使った船体。
それが俺の船。この武装商船「アトランティック」
「何を考えているのかしら? スコット?」
目の前に少女がふわりと現れ傍らに降り立つ。明らかに普通のヒトではない……船精霊アトラス。この船の精霊だ。精霊は実体できるほどその力が強い。
「いや。何でもない」
俺は俺のできることをやる。ただそれだけだ……
「ヒトのあなたは脆い。わたしはどこへでも行けるわ」
「それは逃げろということか」
「それがわたしが結んだ、ポートレットとの契約。ポートレットを護ること。アトランティックとわたしはそのためにあるわ」
「古い契約だな。じゃあ、これはポートレット家を護るための戦いだ。力を貸してくれアトラス」
そういうとアトラスはやれやれという仕草で答えた。
「いいわよ。それも契約……我が名はアトラス、海に愛されし子よ……我が力其方とともに」
これが、俺たちセイレーンの船乗りが「海の魔女」と呼ばれる由縁だ。船精霊と契約し船に加護をつける。アトラスは船精霊の中でも最上位に位置するといわれ、武装商船「アトランティック」に数多くの加護をもたらす。
「海の魔女の力……畏れよ。よーく聞け! 俺はスコット・B・ポートレット! 海洋都市国家セイレーンの船乗りだ」
力いっぱい声を張り上げた。海の魔女、敵はそう罵り。味方は敬意する。それが海の魔女だ。
「敵は、ヤークトヴァニア連邦。我が祖国セイレーンの誇る一等戦列艦【カリュブディス】を大規模魔術で無力化し、その勢いでセイレーンを手中に収め。その勢力はアメリア帝国でさえも無視できない……。これは我が祖国セイレーンを取り戻す戦いだ。海の魔女の我らが帝国よりも先に国を取り戻す! 檣頭に旭海洋旗、掲揚!」
セイレーンの国旗。海洋に昇る太陽を具現化した旭海洋旗がメインマストの一番高いところに掲げられた。
「諸君の健闘に期待する。さぁ開戦だ。」
武装商船アトランティック。海洋都市国家「セイレーン」に船籍を置き、名門「ポートレット家」が運用する。海の魔女たちの船。しかし祖国を失った彼らは、帝国の服を着こみ、帝国の旗を掲げて彼らは戦う。
祖国を取り戻し、再び海洋の覇権を握る。
そのために帝国でさえ利用する。
これが彼ら最後の海の魔女が決めた航路であった。
銘歴一八九一年四月七日
海洋都市国家セイレーン:中央城塞都市セラフ
海洋都市国家セイレーン。大太洋のほぼ中心部に位置する群島とそこにある、城塞都市の集合体。中央城塞都市のセラフはセイレーンの中でも最大の大きさを誇り、セイレーンの行政中央府が置かれ、自他ともに認める首都だった。
外敵から守られるように高く積み上げた壁。その中に聳え立つ煉瓦造りの建物。これがセイレーンの中心部。中央城塞都市セラフはいつも賑わっている。とくにその中心部となると、平日休日関わらず人でごった返す。
俺の名前はスコット・D・ポートレット。自分で言うのもあれだが、セイレーンの名門ポートレット家の三六代目当主。肩書で見ればなかなかの家柄だが、五年前に起こったセイレーンでの大きな内戦で、ポートレットはほとんどの財産とセイレーンでの力の象徴である、船舶をすべて失った。
「おい、見ろよ。船なしが港に向かってるぜ」
まれに外を歩くと、今みたいに後ろ指をさされ、陰口をたたかれる。
そう。船なし。これがセイレーンでの評価だ、仮にどれだけ古く名門な家柄であっても、この国では船の数こそが力になる。
「だがそれも今日まで。ですな。坊っちゃん」
「坊っちゃんはよしてくれ」
俺の一歩後ろを常に歩く、白髪の老男。ポーター・Aサウザント。強い太陽の光を遮蔽物が全くない海上で浴び続けたせいか、小麦入りを通り過ぎた日焼けと目を守るためにかけた色付きの老眼鏡が特徴。代々ポートレットに仕えた、優秀な船乗りだ。
「ではキャプテンと」
「まだ船は持っていないぞ」
カカカッ。と笑いながらポーターは言う。完全にからかわれている気もするが、今でもポートレットに仕えるその忠誠心は本物だ。
さらに足を進め人でごった返す、市場を抜ける。豊かな漁場と土壌に支えられた市場は、いつも新鮮な食材であふれている。目的地はこの先だ。
「これから会いに行くんでしょう、艤装中の彼女に」
「なぜ、セイレーンで造らなかったとは聞かないんだな」
ポートレットを背負うために新規建造されている船は、ここセイレーンで作られていない。俺の質問にポーターは微笑みながら答えた。
「この国。セイレーンは資源に乏しく、国土が狭い。唯一の財産と言えば、豊かな土壌から採れる潤沢な小麦」
「あぁ。この国はパンだけはうまいからな。帝国や連邦の黒パンなんて硬くて食えない」
この国は国土が狭いが、土壌はかなり豊かで小麦一杯のバケツから一三〇杯分の小麦が取れると言われ。豊かな土壌から取れる小麦と水だけには困らない。
「その小麦を貿易に使おうと発展したのが、独自の航海技術と」
「船精霊」
セイレーンの航海秘術。
新造船の進水式の際、その船の初代キャプテンが船精霊と契約し。精霊の力で船に加護を与える。神話の世界では、原初の海の女神「ティアナ」に導かれ、海域を超え神海「ファーバード」で直接加護を受ける。ここまでが神話の話……それがいつの間にか、セイレーンでは召喚の技術を確立させ精霊との直接契約という形になっていた。
「ポートレット家にも長く契約を続けていた、船精霊がいましたね。それも数多く。それのおかげと言いますか、頼り過ぎたといいますか、建造技術については諸外国に一歩劣るものもあります」
「さすがだな。そいつが、帝国で建造した理由だ。さぁついた、セラフ貿易港」
セラフ唯一の海外への玄関口、セラフ貿易港。特産品の小麦を船倉に積み込んだ船が、東の帝国、西の連邦に向かう。
「今日も貿易港はにぎやかですな。セイレーンと帝国に連邦。おや珍しい。エルテス皇国も。どうやらエルメ大陸の食料状況は噂通りみたいですな」
港にはたくさんの船が接岸し、荷物や人を下ろしたり、積み込んだりしている。マストに翻った旗も様々だ。ポーターが注目したのは、白地に教皇を示す冠が描かれた皇国船籍を示す正教旗。
「百年に一度の大飢饉……か。エルメの人々には悪いが、こっちにとってはチャンスだな」
「そういうことですな。来ましたぞ。帝国とセイレーンを結ぶ貨客船ノルアディック」
桟橋につながれた、三本マストの大型快速帆船。高速性が求められた、細長い船体。
「セイレーンで主流のガレオンとは違った、スマートな船体ですな。これなら外洋でかなり速度が出るでしょう」
「セイレーンのガレオン船は荷物を積むために横幅がとても長い。帝国のクリッパーと比べたら、ずんぐりむっくりとした船体だからな」
「船は国の特徴が出ますからね」
「アメリア帝国、帝都【エルファースト】行き。貨客船ノルアディック、間もなく出港します。乗船の方はお急ぎください」
案内人の声が響いた。ポーターと駆け足で急ぎ乗船手続きと出国手続きを済ませた。舷梯を駆け上りノルアディックの甲板を眺めた。無造作に並べられた、小麦を詰めた麻袋が船員の手によって固定されていく。
この船は間もなく世界最大のメガロポリス【エルファースト】に向けて出港する。
◇◆◇
セラフの城壁が小さく、遠くなっていく。
出港後甲板に出て、心地よい潮風に当たりながら屋敷から持ってきた、船舶関係の本を読み進める。船の甲板の後方のベンチに腰をかける。ポーターも隣に座り船乗りが必死にセイルを広げているのを眺めていた。どうやら船乗りとしての血が騒ぐらしい。
貨客船ノルアディックは外洋に出るとすべてのセイルを広げ、速度を上げる。
「さすが、クリッパー。ゆうに十五ガルドは出てますね」
「船精霊の加護なしで……」
「帝国の造船技術と言いますか。技術発展には目を見張るものがありますね」
「この本もそうだ。帝国ではエーテルを使って、船を進める技術もあるらしい。もう帆船と船精霊の時代もおわってしまうかもな」
手元の本に目を落とす、キスリング・カモインの書いた本。造船技術者でありながら魔術学に通じていて、エーテルを使用した蒸気機関を発明した稀代の天才。
「どうも、私にはついていけませんな」
「俺もそうだ。ポーター」
ポーターは笑いながら、ちょっと煙草を吸ってくると言って立ち上がり視界から消えた。
心地の良い潮風が肌をなでる。
海の上にいると不思議と幸福感を覚える。
セイレーンからアメリアまで航海日程は五日間。その間、船室にこもっているのはもったいない。
「お隣の席、よろしいですか」
頭上から声がした。顔を上げると、俺の同い年ぐらいの女が立っていた。
「どうぞ」
大きく開いた碧眼。セイレーンでは珍しい黒髪。服の素材から身なりはかなりいい。帝国の名家の人間か……。それにしても、潮風でなびく腰まで伸びた黒髪。キレイなヒトだ。
「あの。なにか?」
いかん。ジロジロ見すぎたみたいだ。取敢えず誤魔化す。
「あっ。失礼、かなり珍しい服装だったのでつい」
苦しい誤魔化し方だが、彼女の服が珍しいのは本当だ。
「これですか。帝国の今の流行だそうです。スーツと呼ばれています。連邦の方でしたら珍しいかもしれませんが」
「なんとなく。船乗りの士官服に似ていますね」
黒のジャケットに真っ白のシャツ。首に巻かれた臙脂色のタイがおしゃれなのだろうか。だが詰襟の士官服によく似ていた。
「そうですね。帝国でもネーバルオフィサーにあこがれを持ってる人たちは多いですから。あなた方連邦と同じように」
「俺は連邦の人間ではないんだ。生まれも育ちもセイレーンだよ」
俺がそういうと彼女は大きな目をさらに広げた。どうやらかなり驚いたようだ。
「ごめんなさい。でもセイレーンの人が帝国船籍というのもかなり珍しいですね」
「あぁ。俺の家はセイレーンでもはぐれ物で大ぴらに乗れないんだ」
「セイレーンでそのような家柄になりますと……。あなたはポートレットの末裔……ね」
急に雰囲気が変わった。彼女は大人しく優しそうな印象だったが。ポートレットの名を出した途端に、鋭い刃が胸を貫いたと錯覚する。
この女!
流し目でこちらを見続ける視線が、本能的に危険だと告げる。ネコをかぶっていたのか。それともこちらの方が演技なのか。どちらでもいいが、これ以上はダメだと体はそう語っていた。
「ふふッ。失礼しました。それではポートレットさん。我がアメリア帝国の心臓【エルファースト】まで。良い航海をお楽しみください」
そう言い残して、女は立ち上がり船首の方に姿を消した。
「何だったんだ……。あいつは」
考えようにも思考は全く進まない。この感情は恐怖というのか。それとも……。
手に持っている本を広げ目を落とす。今起こった出来事に上書きされるように、文字列を読み進めた。
◇◆◇
周りが暗くなってきたことに気づく。本に熱中しているうちに日がだいぶ傾いていた。
「お客様。間もなく日没です。どうぞ客室にお戻りください」
乗組員に声をかけられた。士官を示す青い制服。金色に輝く二本線の袖章。この船の航海長か。
「はい……どうやら雲行きが怪しいようですが」
立ち上がった瞬間東の空が目に入った。どす黒い雲。雷雲だ。波も少し高くなっているみたいだ・
「ご安心ください。ノルアディックのキャプテンは優秀ですから。ですが、甲板には出ない様にお願いします」
「分かりました」
甲板から階段を下り上階層に入る。ノルアディックは積み荷がメインの貨客船だが上階層の客室のランクは高く、通常の客船にも劣らない豪華な装備。ランプにはエーテルの優しい光が灯り。洗面台とフカフカのベッドまである。
「だいぶ海が荒れてきましたな。少々まずいかもしれません」
すでに部屋に戻っていた、ポーターが舷窓から外を眺めていた。もう夜の帳も降りていたが、船の揺れで海がさっきまでとは違いかなり荒れてきたことはわかる。
「クリッパーは細長い。それが特徴だ」
「細長いということは、その分横波に弱いということ。過積載気味のこの船が耐えきれればいいんですが」
「甲板上はかなり荷物が乗っていたからな」
頭の中に甲板の上の風景がよぎった。船倉に入りきらない、小麦の詰まった麻袋が無造作に甲板に並べられていた。
「その通り、この船は今重心が極端に高い状態。つまり」
「トップヘビー」
船の重心が極端に高い状態……トップヘビー。大きな横波を食らえば、あっという間に横転し転覆する。
「波の高さは六。この嵐、クラスで言うと強さは真ん中の三か四といったところでしょうか。まぁセイレーンの近海では珍しくもないですし」
「大太洋のど真ん中にセイレーンはあるからな。おっ!」
突然、船体が持ち上がるような揺れとともに、きしみ音が響く。ふわっと来る浮遊感。この船はいよいよ本格的に嵐に突っ込んだらしい。
「坊っちゃん。こんな時は大人しくしておくのが一番ですよ」
「それはわかっている。部外者の俺たちが出て行ったらかえって迷惑だ」
理屈ではわかっているが、言い知れぬ不安感が頭を支配している。
しかし、ポーターの言う通りで、何もできない。いや口出しできる立場ではないというのが本当のことだ。
ここはノルアディックの船乗りたちを信頼するしかない。
それが、船乗りとしての心得なのだから……。
◇◆◇
時間がたつにつれて、嵐はひどくなった。
高波は容赦なく甲板をたたきつけ、風はマストを折ろうと吹き付ける。
それでも、ノルアディックのキャプテンは懸命に船を操り、絶対的な危険は避けていたようだ。
しかし、船体が大きく持ち上がった瞬間。船体後ろの方から轟音とともに何かが破壊されるような音がこだました。
ポーターと顔を見合わせるが、一向に状況は好転しない。むしろ先ほどよりも揺れがひどくなり、船体が傾く角度も増した。
けたたましく扉がたたかれる。コンコンというノックではなく、扉ごと吹き飛ばすようなノックだった。
「お客様。ご協力を!」
返事の前に、びしょ濡れの乗組員が飛び出してきた。どうやら状況はかなりひっ迫しているらしい。
「どうしたんですか?」
「本船は舵を失いました。船底からも浸水がひどくお客様の協力が必要です」
「船尾がやられ舵が吹き飛んだか」
さっきの高波で船体が持ち上げられ、船尾から海面にたたきつけられる。運悪くその時に舵がやられた。
「協力しましょう。キャプテンは? その様子では何かあったのでは」
何かに気づいたのか。ポーターが乗組員に尋ねた。乗組員は戸惑いながらも、答えてくれた。
「舵を失った衝撃で、船尾で指揮を執っていたキャプテンと首脳部は海に投げ出され今、航海長が指揮を執っています。航海長の指示で乗客への招集がかかっています。さぁ急いでください!」
キャプテン不在。突然船の動きが激しくなった理由はそれか!? 指揮を執るものがいなくなれば、船そのものが安定しなくなる。
最悪のシナリオが頭をよぎる。
船体破損。
座礁。
遭難。
沈没。
「航海長に会わせてほしい。私はポートレットに仕える、ポーター・A・サウザント。セイレーンの一等海技士だ」
セイレーンの名を聞くや、乗組員の表情が変わる。
セイレーンの一等海技士。海上都市国家セイレーン公認の正真正銘の海の魔女の称号。海の住む人間ならだれでも認める実力を持つ。
「では、あなたも海の魔女なのですか」
乗組員の目が敬意の目に代わった。この状況に差し出された、クモの糸だ。船長が行方不明になった今、セイレーンの船乗りは何よりも貴重な存在。
「スコット・D・ポートレット。セイレーンの特級海技士。ポートレットの名なら聞いたことぐらいあるだろう」
「はい。存じております。急ぎであなた方の手が必要です。このままではこの船。ノルアディックは沈没してしまいます」
◇◆◇
甲板はひどい状況だった。
セイル、マストを広げ操るためのロープは無残にも散乱し、その役割を果たしているものは少ない。
そんな中でもまだ動ける、乗組員が懸命にロープをさばいていた。
「トップスルを左舷に! 何とか風上に船首を向けるんだ! 頑張れ」
航海長が声を張り上げて、必死に指示を出していた。船長他の首脳部の生き残り。彼の指示が船の命運を左右している。
「見ての通り! 今セイルだけで方向を定めていますが、マストもどれほど持つか。航海長! セイレーンのポートレット様をお連れしました!」
「なに!? 海の魔女か。よくやった! こんな状況ですみません! 本来ならもう少ししっかりとした場で……」
「挨拶はいい。俺はスコット。聞いての通りセイレーンの船乗りだ。状況を教えてくれ」
甲板に最後にあった青年は読み通り航海長だった。そのからは今制服をずぶぬれにさせながらも、懸命に指揮を執り船と乗客を救わんとしていた。
「いま、舵は復旧作業をさせているところです。しかし船の重心は高く。非常に危険な状態。すでに甲板上にあった積み荷はすべてパージさせました」
吹き付ける風と波に来ていた服もあっという間に濡れる。しかしそんなことを気にしている場合ではない。
「よし。ポーターを航海長に貸そう。俺はやることがある。ポーター頼んだぞ。お前ならこんな嵐何回も経験してきただろう」
「もちろんです。すべてはポートレットのために。この身を捧げましょう」
「それでは頼む。航海長! 俺は一つの望みにかける。俺の血筋を信じてくれ」
航海長が何か口を挟もうとしたが、俺は船の船尾。操舵甲板へ向かう。
「航海長! 私はメインマストの指揮を預かろう。君は引き続き船全体の指揮を」
「は、はい。あの人は一体何をしようと」
「ポートレットの秘術。その噂ぐらいは君も聞いたことはあるだろう」
「えぇ。私も船乗りの端くれですから……。それでは」
「船精霊降臨の儀。セイレーンでも一握りの家系しかできない秘術中の秘術。没落したとはいえポートレットは八のロードの一つだ。さぁこっちはこっちでやるぞ! メインマストのセイルを全部広げる。このまま風と波に乗って嵐を突っ切るぞ!」
◇◆◇
「ひどいありさまだなこれは……」
改めて目にする操舵甲板の状況を目にして、つい目を覆いたくなった。甲板には人だったものが転がり、散らばった木片がそれを貫いていた。
「早くしないと、私たちの運命になるわね」
自虐的な声が聞こえた。聞き覚えは幸か不幸かあった。昼間の恐怖が蘇る。背中に突き刺さる視線。怖くとも魅力的な声。振り向くとその女は立っていた。
「こんばんは。ポートレットさん。とうとう年貢の納め時かしら」
「なにをいう。それにしても帝国の人間とは思っていたが。本物のネーバルオフィサーだったとはな」
「あら言わなかった?」
昼間に話した女。いまはスーツと呼ばれる服ではなく。紺色の制服。帝国海軍の士官服を着ていた。正真正銘の海軍士官、ネーバルオフィサーだ。
「初耳だ。ここに来た目的はからかいに来たのか、それとも邪魔をしに来たのか」
「あら、ひどい言い方ね。せっかく手伝いに来てあげたに」
「うそをつけ。見に来たんだろ。門外不出のこいつを」
俺は首から下げたチェーンを見せる。チェーンの先にはダークブルーの結晶体がぶら下がっていた。結晶体を手に握りしめる。妙に結晶体は熱かった。
「それもあるわ。さぁやるのなら早くしないと。このままでは私もあなたも海の藻屑よ」
「いわれなくてもやるさ。ここで俺は終わるわけにはいかないんだ」
船主の方に目をやった、ポーターがメインマストに昇り、必死にセイルを広げていた。熟練の技でノルアディックは安定性を取り戻そうとしていた。
衝撃でまた船が揺れる。手を舵輪にかけ必死にしがみついた。
船を操作する役割を完全に放棄した舵輪の中心部分に躊躇なく右手に握りしめた、結晶体を突き刺す。
ガン! ともバキッ! とも聞こえるような音が響く。
不思議と時間の流れが遅くなったような感覚。
「我は海に愛されし子。太古の契約に誓いを……」
足元が青白く光る。俺を中心に広がる青白く光る軌跡。軌跡は円陣を描き紋様を完成させた。
「魔法陣。これがセイレーンの秘術」
「原初の女神ティアナよ。我が呼びかけに応えよ……。絶海には船を。船には魂を! 我が契約に従い、真の力をここに!」
船が持ち上がる。波に襲われたのではない。無限に続くような浮遊感。メインマストが蒼く輝いた。
「浮いた? いえ翔んだ?!」
「よっし! うまくいったか!?」
《ワタシはノルアディック。船精霊ノア。契約者よ、海に愛されし子よ。しばしの間ワタシの力、其方とともに》
目の前に現れた幼き少女。だが向こうが透けている、世界に定着していない。そう長くは持たないだろう。
◇◆◇
《ワタシはノルアディック。船精霊ノア。契約者よ、海に愛されし子よ。しばしの間ワタシの力、其方とともに》
「これが船精霊の儀式」
メインマストの真ん中、ちょうどメントップスルの上あたりで絡まったセイルと格闘していた、航海長とポーター。操舵甲板で起きた状況を観察していた。
「そうだ、これが降臨の儀。本来は命名式に同時に行うものだ。長くは安定しないぞ、早く今のうちにセイルを復帰させなくては」
「はい。ハリヤードを引け! ブレースを緩めろ! 左舷にセイルを開くんだ!」
解けられたセイルが大きく広がった、その機を逃さずハリヤードが引かれセイルがさらに大きく広がり名一杯風を受ける。
「このまま嵐の勢力圏を抜ける。ブレースを引け! 船首を真西へ!」
「スパンカーを展開させる。船体を安定させるんだ。最船首のフォアマストのセイルを全部展開だ」
ポーターの指示は的確だった。船体を安定させるため船尾にあるスパンカーを展開させ、ノルアディックを安定させようと試みた。
「だめです! やはり舵がないと! 現在針路南南西!」
「諦めるな! キャプテン! メインマストが悲鳴を上げている。そう長くは持たない!」
◇◆◇
『諦めるな! キャプテン! メインマストが悲鳴を上げている。そう長くは持たない!』
「だ。そうよ。どうするの? ポートレットさん」
この状況でも、他人事のようにふるまう。帝国の女。癪に障るが、事態は好転していない。
「今考えている! そう偉そうに言っているが帝国の人間として何か手はないのかッ! このままだとお前の言う通り全員仲良く海の藻屑だ」
「それができていたらとっくにしているわ、自慢の船精霊はどうなのよ?」
「世界に定着していない。ノルアディックの船体を安定させることが精いっぱいだ」
「確かに安定はしているわね」
いつしか、船体の激しい上下の揺れは自然とおさまっていた。天候は全く回復していないのにもかかわらずに。
「問題はここからだ。舵をどうにかしないと」
「この舵って」
そういって。女は舵をおもむろに回し始める。ギシギシと音を立てるが、舵としての機能は。
「生きていない? 反応はとても遅いけど」
「なに……。確かにさすが帝国のネーバルオフィサー。ノア! このまま針路を固定。真西へ! 暴風圏を抜けるぞ」
舵は生きていた。そうなれば後は簡単だ、風と波に乗って、防風圏を抜け出す。そのためには船精霊ノアの力がいる。
《承認。船体の安定に努める》
「それと、スコットだ!」
「うん?」
「何かしらって顔をするな! お前とかあんたとかじゃ呼びにくいんだよ。スコット・D・ポートレット! お前の名は?」
「シャノン。シャノン・B・スミス。帝国海軍の大尉よ」
シャノン。見た目は美しい少女だが。帝国海軍の大尉。その若さで上級士官に上り詰めた実力者か、それとも親の七光りか。だが、舵の状態を見極めた目は本物だ。
「海図は読めるか?」
「馬鹿にしないことね。後悔するわよ」
明らかな土器を含めて「主席参謀の資格も持っているんだから」とシャノンは付け加えた。シャノンは海図台に向かいクロノメーターで位置を計算し始めた。
「針路がずれているわ。面舵二〇度!」
「アイ。ノア! 面舵だ行くぞ。船体制御たのむ」
《承認。船体制御》
大波を切り裂き。ノルアディックは海を越える。ノアの加護で船体の揺れは最小に抑えらる。しかし無理な償還でもちろん代償もある。
「つッ!」
突如体を襲う脱力感。掴んでいた舵輪に必死にしがみつき崩れるのを阻止する。
「いきなりどうしたの!?」
シャノンが駆け寄る。大きな蒼い瞳が俺を貫く。
「無理な召喚には代償が必ずいる。正規な方法でやれば本来こんなことにはならない」
「セイレーンの人間には生まれ持って魔法力を持っていると聞いたことがあるわ」
「多少の誤解があるが、正しい認識だ。今俺の魔法力をノアの維持に使っている」
「なるほどね。まぁ詳しい話はあとで聞かせてもらうわ。スコット。貴方は操船と船精霊の維持に集中しなさい。私はサポート役に徹するから」
「頼む。ポーター! セイルを左舷に開いてくれ、針路を修正する!」
「アイ・サー。キャプテン! 航海長行くぞ!」
《針路を西へ。速度八ガルド。暴風圏脱出まで三〇メイス》
「あと少しだ。踏ん張るぞ!」
まだ動ける乗組員が必死に船を操ろうとしている。状況は確実に好転していた。
ノルアディックは波を越え、暴風圏から確実に距離をとっている。気が付けば海は先ほどの荒れた表情から穏やかな表情に変わり、月明かりが照らしていた。
ボロボロになったセイル。メインマストも傷つき、ノルアディックに無事なものは何一つない。
「だが俺たちは生きている」
操舵甲板から前方を眺める。甲板にはロープの残骸や木片が散乱しているが。確実に生き残った者がいる。
気配がして振り向くと、船精霊ノアが光に包まれ、消えかかっていた。
《ワタシは役目を終えた。若き契約者に敬意を。よくワタシをここまでこちらの世界にとどめた。その素質、評価に値する。海に愛されし子よ。縁があればまたまみえんことを》
「……ありがとう」
ノアは最後に微笑み。満足そうな表情で消えていった。
緊張の糸が切れたのか、体に力が入らなくなる。その場にへたり込むように倒れる。
「無理のし過ぎね。魔法力? というのそれは回復するのかしら」
シャノンが俺の顔を覗き込むようにかがみこんだ。シャノンの表情は何か嗜好をピンポイントでくすぐられたような、愉しそうな顔で笑っていた。
「何か愉しそうだな。人がぶっ倒れているっていうのに」
「えぇ。その通りよ貴方の表情。なかなかのモノよ」
シャノンの言葉を聞いた瞬間。俺がシャノンの視線を恐れるわけを理解した。こいつは……。
「あらごめんなさい。怖がらせちゃったかしら?」
「いや……少し疲れただけだ」
そうだ、少し疲れた。俺の意識は深淵へと旅立った。
最後に見たものは妖艶な笑みを浮かべるシャノンの姿だった。
◇◆◇
それから三日たった。貨客船ノルアディックは損傷個所の修復を行いながら、アメリア帝国の帝都エルファーストに向けて進んでいた。
その後シャノンと会うこともなく。向こうから愛に来ようともこちらから行くこともしていないためかなのか。初日と比べれば穏やかに時は流れている。
「乗客の皆様。長らくお待たせいたしました。本船ノルアディックは間もなく、エルファースト港に入港します。どうぞお手荷物などのお忘れ物なきようにお願いいたします」
「嵐でセイルが半分吹き飛んでるとはいえ、一日遅れでしたな」
「それだけ優秀な船ということだろう。行くか」
「はい。坊っちゃん。お供します」
トランクを持って世話になった部屋を後にする。階段を上がり甲板に出る。心地よい潮風が頬をなでる。舷側に近づくともう陸が目の前に迫っていることがわかる。
帝都エルファーストはもう近くまで来ていた。
港湾の工場からは蒸気の煙が立ち上り、その間を縫うように、空を突き刺す摩天楼が立ち並ぶ。
「あれがエルファースト。聞きに勝る大都会だな」
「たしかにエンパイア・ステート……帝都と名乗るだけのことはありますね」
初めて目にするエルファーストの近代的な造り。巨大な都市だが、どこか時代が止まったようなセラフとはまた違った偉容と魅力を持った都市。
貨客船ノルアディックは無事にエルファーストに到着した。この航海で船長を含め八名が行方不明者になっているため、ノルアディックはしばらく運休となる話だ。まぁ当たり前と言えば当たり前か。
上陸後やけに長い入国手続きを行う。どうやらセイレーンの人間というだけでかなり警戒されているようだった。
「終わった」
「やたらと長かったですね。坊っちゃんの方は」
「なんだ。ポーターはすぐに終わったのか」
「はい。特にややこしい説明をすることもなく」
なんでなんだ。疑問は尽きないが今は彼女に会うことを考える。俺の到着を待ちわびているであろう彼女のことを。
「そうしましょうか」
完成間近、あとは命名と完成披露式を行うだけの。ポートレットいや俺にとって全く新しい相棒。新規建造中の彼女に。
大学時代に書いた没作品をサルベージしました。更新はたぶんのろいと思います。ご了承ください。