廃棄点(ターミナル・ナヘト)の冬景色
確かにそこに幸せはあった。あったのだ。
「すまないけど、詐称された以上、これ以上ウチでは、君を雇うことは出来ないよ。君がウチで一生懸命働いてるのは、分かっている。その分の礼はこっちにつめてある。これでお別れだ。すまないね、双岐君」
優しいそうな顔をした老年の男性が苦虫を噛み潰したような顔をして俺を見る。裏切られたとは言わなくても、嘘をついていたことを嘆き悲しむようだった。本当にこの人は優しい。騙されたことが分かれば、罵声や暴力をふるってきて、手切れ金すら渡さなかった前の雇い主に比べれば数億倍マッシだ。その事もあって俺はむしろ感謝するように彼に告げる。
「今までありがとうございました、主任。こんな見ず知らずの俺をここまでおいてくれた上に、手切れ金までくれて、本当に感謝します、迷惑かけてすみませんでした」
そういって、お礼と御詫びを告げて、渡されたお金を持って最後にもう一回お礼をして、部屋を出た。ガチャリとドアを閉めて廊下を歩く。明日からはもうここでは働けない。そんな事実が俺を蝕む。早足で出口に向かった。
正面の出入口から出た外は季節通りの冬景色に染まっていた。また冬になってしまったという、言いがかりようのない苛立ちが頭を過る。この時期のこの環境が一番の敵になる。そんなことを考えながら、駐輪場に入る。オートバイやマウンテンバイク、自転車があるなかで、一番小汚ない自転車を見つける。表面上は磨かれているけど、錆びて油がささってない。メンテナンスが充分に出来てないチャリだ。鍵をかけ、動かす。今にもパンクしそうなタイヤはまるで俺の未来みたいで不吉だ。凹みそうで凹まない。そんな薄氷の上をおそるおそる移動している不安定感が拭いきれず、思わず舌打ちする。後ろを振り返ってみると、昨日まで働いていた工場の更に向こう側には、煌めやかな豪華絢爛とでもいえる黄金に輝く都市が見える。正面を向く。此方に見えるのは、真っ暗な闇と消えかかっている街灯と、荒廃して死んだ街だ。華やかなあちら側とは完全に違う掃き溜めがここにはあった。
キーコキーコと錆びたチャリが不協和音を軽やかに鳴らす。その矛盾がまたどうにもならない現実みたいで萎えてくる。一体何時からこの世界は理不尽だったのか。否、最初からだ。生まれてきた時から差があったのだ。選ばれなかった捨てられてた者達が俺らだった。世界はいつだって端から理不尽だ。当たり前のことだった。
消えかけの街灯すらなくなった灯りが灯されない人の暖かみがない冷えきった廃墟の中を自転車をこいで進む。自転車のライトは壊れているから、月の光だけが光源だ。無駄に長いビルなどに時たま遮られるが、それでもキーコキーコと鳴らして進む。既にここは世界から切り離されたかと思うくらい静寂が占めて、動物の鳴き声すら聞こえない。辺りを見てみるが、建物に蔓が絡まっていて、花がところどころに咲いているが、この花も一ヶ月も経たない内に枯れるだろう。雑草くらいしかここでは長生きしない。月明かりに照らされる風景は裕福な人が見たら、幻想的だとか抜かすかもしれないが、毎日見ている人間からしたら、これは文明の退廃でしかなく、排除されたものだ。そう、ここに存在するのは、文明に置いていかれたものだ。ここは、廃棄点。文明の終着点。救いようのない結末でしかなかった。
相も変わらず代わり映えのない風景がようやく途切れ始めた。三十分かけてここまで来た。家は後少しだ。ペダルを踏む力を大きくした。退廃して風化した家が軒並み見えてきた。家はこの中にある。いりくんだ細い路地を抜けていく。左、右、右、左と通り、こじんまりとした薄っぺらい灯りが灯る家へと着いた。鍵を開けて、玄関にチャリを止めて、家族の待つリビングへ向かった。
ギィーと立て付けの悪いドアが軋んだ音をたてて、人の帰りを伝える。リビングに入ると足元にいきなり衝撃が走る。なんだなんだと視線を下に向けると、チビ達が足を掴んでいた。どうしたと訪ねる前に向こうから声が聞こえて、チビ達が震える。
「おい、どこいった! 潤、康太! 出てこい‼」
家の面倒を見ているやつの声が響く。その声を聞いて、チビ達は俺を揺さぶって訴えて来た。
「「にぃに、助けて‼」」
「助けるっても、俺はお前らが何をしたのかが分からんぞ。どうして遼真が怒ってる理由を教えてくれ」
そう伝えると、チビ達はピキーンと固まる。まるで、バレたら困るもんがあるみたいに。それを問い質そうとすると、横から声がかかる。
「簡単よ。潤と康太が皿を遊んで割ったのよ。それを見つけた遼真が怒ってるってわけ」
「育美か、ただいま。それと情報提供ありがとう」
「お帰りなさい、兄さん。どういたしまして」
そういって、手をヒラヒラと降ってキッチンに戻っていった。俺は視線を戻し逃げようとしていたチビ達をガッシリ掴む。逃げようともがいてるが俺がキチンと掴んでいるため逃れられない。
「さぁて、潤、康太。何か俺に言うことはあるか?」
その言葉で観念したのかガックリ項垂れるチビ達。そして、ようやく見つけたばかりドシンドシンと音をわざとらしく立てて遼真がやって来た。遼真は、俺が帰ってきたことに気づいたのか、目をパチクリさせた。
「あれ、兄ちゃんいつの間に帰ってきてたのさ。と、チビ達を確保してくれてありがとう」
あいよと言ってチビ達を遼真に受け渡す。そうやって、今から自分の部屋というか兄弟と共用の部屋へと戻る。仕事着から部屋着に着替える。そうやって再びリビングに戻ると、潤と康太は部屋の隅で正座していた。反省の意でも示してんのかと思っていると遼真がこの意味を伝える。
「二度とやらないと誓いをこめて、一時間このままにさせる。ただでさえ、兄ちゃん達が頑張ってくれてるのに、能天気すぎだよ。あいつら」
「歳相応で、いいと思うけどな」
「兄ちゃんは甘いんだよ」
そういって、ため息をついた。何か気苦労しそうな雰囲気があふれでていた。普段家のことを任せているだけあって、そのあり方は専業主夫じみていた。情けない兄貴だなぁと思い頭をポリポリとかいてしまう。その様子に気づいたのか、遼真は怪訝な様子で此方を見ている。何でもないよと断ってキッチンへと向かった。
キッチンでは、育美がお玉で出汁をすすっていた。此方に気づいたのか、何てないように育美は言う。
「水は冷えてるから、勝手にとってもらってもいいわよ。今日の晩御飯はお鍋よ。もうそろそろ姉さんや兄さんも帰ってくるし、準備始めといて」
あいよと返すと、玄関からガヤガヤと声が聞こえてくる。どうやら育美のいった通り他の兄弟が帰ってきたらしい。人数分のお椀や箸を持ってリビングへと移った。
リビングでは、他の兄弟が、潤と康太が正座しているのに疑問を持ったのか、遼真に質問している。その様子を見て、声をかける。
「文人、芳佳お帰り。晩御飯はもうそろそろだぞ、手を洗って着替えてこい」
「「はーい」」
元気よく返事して洗面所へと消えていった。そして、晩御飯と聞いてソワソワし出した二人組を遼真が厳しげな視線で見ている。二人もそれが分かったのか、すぐにその佇まいを直して、平然としらをきっていた。すると、キッチンから育美が出てきて、遼真を呼び出した。天恵を得たみたいにまた潤と康太はソワソワし出す。それが分かっているから遼真は苦渋の表情で俺にこう伝えた。
「僕が戻ってくるまで、この二人が姿勢を崩さないか見といて。崩したら明日のおかず一品減らすからな、二人とも」
最後に恐ろしい捨て台詞を吐いて、遼真はキッチンへと移動した。俺が潤と康太の方を振り向くと、最後の言葉がよほど聞いたのか、顔まで真剣味を帯びた表情になっており、姿勢は一切崩れていない。最初からこういえばよかったんじゃないかと思うほどだ。遼真と入れ替わりにこっちに戻ってきた育美が引くほどの有り様だったので効果は抜群だったらしい。飯の力は偉大だなと確信していたら、またもや鍵の開く音が聞こえた。どうやら、最後の兄弟の帰宅らしい。家族が全員揃うのはやはりいい気分になるそう思えた。
「ただいまー」「今帰りました」
「おかえり、お疲れさん。飯はもうすぐだ。さっさと着替えてこいよ彰、奈々(なな)乃」
俺の言葉に反応して彰が返答する。
「分かった。全員揃ってるのか? 賢俊」
「ん、育美が二階に上がって恋を起こしにいってるから、キッチンにいる遼真を含めて全員だ」
「そうですか、では、私たちも皆を待たさないために急ぎましょう。行きますよ彰君。賢俊君は皆を席につかせておいてくださいね」
そういって、奈々乃は彰を引っ張っていった。さて、奈々乃に言われた以上それを守るべきなので、俺は皆を席につかせるために尽力した。
育美が恋をつれてきて、遼真が鍋をリビングに置いて、彰と奈々乃が戻ってきて、これで俺達家族十人が揃った。俺が遼真と育美の方に視線を向ける。その視線に気づいた遼真と育美が声をあげる。
「「手を合わせて下さい」」
俺達はそれに合わせて声を合わせて、全員で揃える。
『いただきます!!』
流れるようにあっという間に食事は終わり、数人で洗い物をして、今は奈々乃を中心とした女子組と、潤と康太の引率の遼真と
文人は銭湯にいってもらっている。残った俺と彰は窓際によって、話を始めた。
「すまない、俺は見つかっちまった。前の所と違って主任がいい人で手切れ金はもらえたけど、明日からは俺の収入は半減しちまう」
そう彰に伝えると、彰は気にするなとでも言いたげに言う。
「手切れ金をもらえただけ大丈夫さ。だけど、やっぱりきついね。働く上での年齢制限。廃棄点に近いところでも十五才以上じゃないと引っ掛かっちゃう。まぁ、首都の方は十八才以上からじゃないと働けないらしいから。まだマッシなほうなんだよね」
「十五才からは引っ掛からないなら俺達は後一年だ。俺とお前と奈々乃は十四才。今はどうしても規定に引っ掛かってしまう。チビ達には、キチンとした暮らしをさせてやりてぇ。本来なら文人や芳佳にも働いてほしくはねぇんだけどなぁ」
「二人もまだ十二才だからね。アルバイトとして小遣い程度しか貰えないけど、それでも家計の足しにはなってるからね。本当に申し訳ない気持ちだよ」
そういってどちらともなくため息をつく。ため息をつくと幸せが逃げるそうだが、こちらとしてはため息の一つもつきたくなる。この世界は貧富の差が大きくなりはじめてから、弱者が強いたげられるように変化していった。特に俺達みたいに社会的立場が最弱の身寄りのない子供達には地獄そのものだった。廃棄点というある意味では、捨てられた貧民街が出来るまでは。廃棄点が出来てからは両者の住み分けが出来て、マッシになったが、それでもひどいもんだ。俺達は住んでいた孤児院が経営破綻して以来ずっと十人で生きてきた。生きるために何でもしなければならなかった。それを、下のチビ達には味わって欲しくはないのだが、それでも現実は不平等で、救いようなどない。
廃棄点も別段安全ではない。首都に住む上流階級の奴等が貧民狩りとかいったふざけた遊びをするために廃棄点を荒らすときだってあるし、廃棄点での縄張り争いだってある。俺達の住む家だってカモフラージュを重ねて見つかりにくくしてある。場所だって廃棄点の外側にある。それだけしてるから皆には沢山の苦労をかけている。更に天気も敵だ。雨は廃墟にあるこの場所にとっては、恵みと共に悪影響を発生する。雨なら水を貯蓄して節約出来るし、俺と彰はシャワー代わりに出来る。だが、同時に雨漏りも発生して家が水浸しになる。地球温暖化が進んだせいで、夏は暑さの極みだ。これはまだ我慢できる。しかし、冬は俺達の一番の敵だ。寒さはどうにもならない。皆で集まって暖をとるしかない。だから、雪など降るとシャレにならないくらい不味くなる。そんな環境で生きている。皆が皆一生懸命生きている。ふと、窓の外の景色を眺める。思わず顔が歪む。それは隣にいる彰も同じようで、好ましくない顔をしている。
外は白い粒が降り始めた。雪がまた振りだしたのだ。寒さの厳しい時期がより強さを挙げて到来する。それがひどく分かった。俺は彰に伝える。
「取り合えず、一刻も早くまた働ける所を明日から探すさ。見つかるまでは負担がかかるかもしれないけど頼む」
「任してくれよ。僕らは家族だ。これまでだって皆で分かち合ってきた。僕は賢俊を信じてるよ」
そういって彰は自信満々に笑う。それにつられて俺も少し笑う。すると、ドタドタと騒がしい音が玄関から聞こえる。どうやら、雪から逃げ帰ってきたらしい。ドアが開くとまた家族で笑い会える瞬間がやって来る。それが分かっているから俺も彰もまた笑って、ドアの方へ向かう。ほら、すぐそこだ。皆はもうそこにいる。
こんなにひどく厳しい世界でも、極寒に震えようとも家族がそこにいる。そんな事実が何よりも温かいものだった。そんな冬の話。かけがえのないものがそこにはあった話。もう取り戻すことが出来なくなった過去の話。何時か何処かの誰かの話。
暖かい過去から醒め、どうしようもない現実に青年は戻る。