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春過ぎて  作者: 菊郎
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春過ぎて



「いってらっしゃい」


 シオンの笑顔を目に焼き付け、俺はバイクに跨った。周囲にパパラッチはいなかった。退院後、家に帰ってから最初の朝は記者が大挙して押し寄せてきたが、三日経った今は人っ子ひとり見えない。上層部の圧力が効いたのだろう。茶色いライダースジャケットをなびかせ、鳴り響くエンジン音とともにコンクリートの道を走り抜ける。サイドミラー越しに小さくなっていく我が家の姿は、作戦前と同じだ。だが、目を向けている理由はまるで違う。惜別のためではないのだ。

 クーデターで最大の被害を被ったカニアはまだ復興の途中だった。あちこちで、作業員や有志で集まった人々が、積み上がった瓦礫や寂しく佇む廃墟と向かい合っている。革命戦争のときほどではないが、復興には時間を要するだろう。その道は長く険しいが、誰ひとりとして悲観的な顔をしている者はいなかった。

 街行く人々をゴーグル越しに眺めつつ、壁が一部後悔している勤務先へ向かった。会社の側にある駐輪場にバイクを停め、入口を開ける。久しぶりの日常は、俺の挨拶と同僚たちのいつも通りの返事によって始まった。作戦が始まる前とまったく変わらず、さまざまな人々が忙しなく室内を行き交っている。鳴った電話から受話器を手に取る音と話し声で辺りは満ちていた。机のあいだを通り抜け、編集長がいる奥へと歩いていく。


「おはようございます」


 老眼鏡したままカイさんは顔を上げた。彼の机には新聞が広げられている。


「おはよう」


「改めてお礼を言わせてください。俺の無理を承諾してくださってありがとうございます」


「気にしなくていい。君の提案は誰にとっても利益になるものだった。君にとっても、わが社にとっても、この国にとってもね」


「では、さっそく」


「一区切りついたら見せてくれ。しばらくは作家だな」


 はい、と返事をし、自分のデスクへ向かった。席の隣でリックがこちらを見ながらにやついている。

 彼を一瞥し椅子に座った。


「よお、元気そうでよかったぜ」


「お前もな」


 あれだけの激しい戦闘は久しぶりだった。彼は腹部に銃弾を受けたものの運よく致命傷には至らず、一ヶ月半ほどで病院を退院。その後はいつも通りの日々を送っていた。さらに、うれしい“手土産”を残していった。

 病院にまだ入院していたとき、ベッドで寝そべりながら、国の耳が発行している新聞を読もうと一面を広げると、一枚の写真に目を引かれた。軍用車に乗りながら、ガリム軍と俺がともに戦う姿。ロンバイル要塞を出てトリアノン市に戻る最中に起こった戦闘の風景だった。トリアノン市に駆けつけた社の人間をリックが見つけ、戦場を観察しやすい位置まで連れて行ったらしい。

 イーリスに端を発し、ガリムも巻き込んだクーデターを受け、両国は一時的に緊張状態になっていた。トップ同士はすでに手打ちしていたが、世論はそこまで淡泊ではない。

 平和条約締結に暗雲が立ち込めようとしていたところに出てきたのが、俺の映った写真だった。人々に漂っていた負の感情を、この厚紙に印刷されたひとつの光景が打ち払ったのだ。

 写真に映ったジョシュアとエトムントが無事だと訊いたときは安心した。ふたりは両国の友好の象徴として、ガリムではちょっとした時の人になっているらしい。

 椅子に深く腰掛け、机の上に置かれているタイプライターを見た。文字や絵には、人の心に何かを強く訴えかける力がある。かくいう俺も、その力を借りようとしている――うまくいくだろうか。


「お前が思ったことを書きゃいいと思うぜ」


 タイプライターを見つめている俺の心情を察したのか、リックが言った。


「英雄の回顧録なんて、それだけで十分魅力がある。変に脚色するくらいなら、多少しょぼくとも本当のことを書いたほうがいいに決まってる」


「さすが記者だ」


「同業者に言われても嬉しかねえって」


 そういえば、リックに渡すものがあった。俺は鞄から目当ての物を取り出した。腕を伸ばし、彼の机に置く。


「ペン?」


「ああ」


 彼はボールペンを手に取ると、まじまじと見つめた。黒く細い容器が周囲の景色を縦長に反射している。通常のボールペンと比べて倍くらい重く、光沢もほとんどない。


「これ、どこのだ?」


「俺のだ」


 リックが俺を見た。なにを言っているんだ、と言わんばかりに眉をひそめる。


「銃を溶かして再利用したんだ」


 博士に頼んで長年使っていた対物ライフルの銃身を溶かし、ボールペンとして再加工した。ラインハルト、ルイーゼ、ヴィンセント、デイビッドの銃も同様だ。ひとりでは使い切れない量になったため、こうして知り合いに配っている。


「……大事にする」


 四人は何て言うだろうか。自分たちの銃を勝手に文房具ごときに変えられて怒っているだろうか。ラインハルトが訊いたら卒倒するかもしれないな。

 だが、隊長として、大切な部下を“置き去りにするわけにはいかない”。


「そういや、題名は決まってるのか?」


「もちろん」


 兵器として生きることを選び十年。その役目はたったの一度しか遂行できなかった。悔しかった。悲しかった。平和な世界と対面し、死を受け入れて臨んだ、人生最期になるはずだった戦い。道中で手にかけた、かけがえのない存在たち。

 戦火を潜り抜けた俺は、盤上の駒を操る者たちによって今度は生きることを義務付けられた。思うところはあるが、命令なら従おう。

 脈々と受け継がれてきた戦いと拒絶し、イーリスは、パークス大陸は、新たな歴史を歩もうとしている。そこに何が待ち受けているのか、俺もわからないし、エルキュール大将や上層部だって、誰も想像できないだろう。

 人類が初めて戦争を経験したとき、当事者たちも似たようなことを思ったかもしれない。戦争が世界をつくるというのなら、対極に位置する平和もまた、同じ可能性を秘めているかもしれない。

 それが結果的に争いを招くというのなら、そのときは“四人”に代わって俺が再び立ち上がろう。


「気になるな。訊かせてくれよ」


 ペンと銃。どちらを握ることが正しいのか、その答えは未来にある。


「題名は――」






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