慟哭
◆◆
陽射しと北風を一身に受けながら、カニアの中央公園に入って北を目指す。まだ朝方だが、肌を指す寒気が眠気を覚ましてくれた。開け放たれた柵の扉を通り抜け、しばらく道なりに歩くと、墓石の連なる広場が見えてきた。
イーリス国立墓地。
戦没者を弔うための施設。隣には、身寄りのない戦死者を葬るための無縁墓地がある。近くにいた何人かの参拝者にあいさつしながら、中将に訊いた場所へ向かった。
国立墓地の北東の一角にたどり着いた。目の前には四つの墓石が建っている。ほかとまったく変わらない、普通の墓石だ。そこに書かれている名前以外は。
右から左へ視線をずらしていく。
≪ラインハルト・ヘルツフェルト≫
≪ルイーゼ・バラドュール≫
≪ヴィンセント・アンハイサ―≫
≪デイビッド・へヒト≫
それぞれの墓石には花が置かれていた。上層部の面々が置いたにしては数が多い。彼ら以外の人が献花したのだろう。四人に縁のある人物――誰が置いたのかは見当がつく。
照り付ける日差しをスーツ越しに感じながら、手にしたリンドウの花束を置いていく。リンドウの花言葉のひとつは正義。俺たちにふさわしいだろう。花束を置き終え、真ん中に立つ。気が付くと周囲は誰もいなかった。風で木々がそよぎ、小さく乾いた音を出しているだけ。ただの偶然だが、感傷的になっているのを誰にも見られないのはありがたい。
四つの墓石を見つめながら、俺は立ち尽くしていた。一分だろうか、十分だろうか。死にそうなわけでもないのに、四人との思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る。
――もしも
もしも俺がラインハルトの誘いに乗って反政府勢力の一員となっていたら。俺が話せば、デイビッドも戦いに賛同してくれたかもしれない。そして、十年前のように五人で――
いや、俺は彼らを殺したのだ。ほかでもない、自分の手で握った銃で、ナイフで。青白く、冷たくなった四人をこの目で見たはずだ。“敵”が誇ってくれるような存在になるためには、振り返ることは許されない。セレーヌにだってかつてそう言ったはずだ。
そう思わなくてはいけないのに。
ひとつの未来を思うと、つぎからつぎへと“余計なこと”が思い浮かぶ。
目頭が熱い。目尻から垂れた雫が頬を伝って整った芝生へと落ちる。四つの墓が、俺の成し遂げた大儀と、犯した四つの罪を突きつけていた。戦いで押さえつけていた思いが溢れてくる。
――お前の本心について問い詰めることもしない。ロイ・トルステンは“私たち”とは別の道を歩んだ、ただの敵だ。
ラインハルト、ルイーゼ、ヴィンセント、デイビッド。本当はお前たちといっしょに戦いたかった。いや、戦わなくてもいい。どうにかして平和な時代を生きる方法を見出して、どこかで生きたかった。エルキュール大将なら、<五つ子>だけでなく、シオンやレアールを匿うことだってできただろう。リックやほかの友人たちに危険が及ばないよう根回しだってしてくれたかもしれない。
富も名声もいらない。望むのは、大切な人たちとの時間。
声をあげて泣いた。どれだけ悔んでも四人が生き返ることなどない。いまさら本心を見せてなんになる。それでも泣いた。自分の運命を呪った。どうしてこんなことになったのだ。国のために、人々のために戦いたい。神話や小説に出てくるような英雄たちのように、絶望を振り払い、希望を与える正義の味方になりたい。それだけだったのに。
力なく手と膝が地面につく。両手の隙間から飛び出した芝生を土ごと握りしめた。夢から覚め、寝床から天井をぼんやり見つめる人のように、夢はある日突然醒めた。大の大人が声を挙げて泣く羞恥心も、軍人、<五つ子>としての矜持も、悲しみがすべて塗りつぶした。死ぬために生きていたはずの俺は、いまや自発的な死は許されない。明日からまだ新たな日々が始まる。その前に、せめて今だけは、お前たちの前で弱みを見せることを許してくれ。
流す涙も枯れてきたとき、背後に誰かが芝生を踏みつける音が訊こえた。
ふたりいる。
慌ててポケットからハンカチを取り出し、目と鼻を拭って立ち上がる。できる限り平静を装おうとしたが、ここまで近いとさっきまでの俺の姿は見られただろう。せめてもの悪足掻きとして、愛想笑いを浮かべながら振り返った。
「私にも弔わせてください」
セレーヌとジェラルド博士だった。
ふたりは俺と同様に黒いスーツに身を包んでいた。セレーヌは両手に花束を持っている。
彼女は俺の隣に来ると、目を閉じた。博士は腕を組み、すぐ左に生えている木にもたれかかっている。
「さっきの見たか?」
墓を見つめたまま、少し間を置いて彼女に訊いた。
「……はい」
「情けないだろ? 自分のやったことに後悔して泣き崩れるなんて」
「そんなことありません」
セレーヌは言った。
「ブルクのホテルでロイさんが私に話してくれたこと、覚えてますか?」
<五つ子>としてではなく、新兵として戦場に立ったときの話だ。
「ああ」
「ロイさんは完全無欠の英雄に違いないって、どこかで決めつけていました。でも、ホテルで初陣のことを訊いて、そしていっしょに日々を過ごしていくうちに段々わかってきました。ロイ・トルストンという男性はどこにでもいるごく普通の人なんだと。喜んで、怒って、悲しんで、悔んで、私と何も変わらないだなって。だから――」
彼女は墓を見つめたまま続ける。
「少しくらい、休んでもいいと思います」
俺はセレーヌに笑いかける。
「君の言う通りだな。少し疲れた」
彼女は左手に巻かれた腕時計を見た。
「仕事か?」
「はい。軍の会議に出席することになりまして。ごめんなさい、もっとお話ししたいのですが」
セレーヌは今回の作戦に参加した実績を買われ、エルキュール家の人間の中で唯一軍に在籍することを許可されていた。当初は、彼女が作戦後も安全に暮らせるよう、俺の死と引き換えに上層部の連中と取り引きするつもりだったが、どうにかうまくことが運んでよかった。
「また会えばいいだけだ。そうだろう?」
「はい」
彼女は俺の方を向いた。
「ロイさん、ありがとうございました」
一点の曇りもない、美しい笑顔だった。
「こちらこそ」
俺は右手を差し出した。彼女も応じる。
「私はお役に立てましたか?」
「もちろんだ。こういうのもなんだが、君がいたからこそ、俺は自分を見つめることができた。最悪の作戦をやり抜くことができた……ありがとう」
君はもう新米じゃない。俺の左に君が立っている。それが証拠だ。
お互いに手を離すと、セレーヌは振り返りその場を離れていく。博士に一礼するとこちらを再び見た。
「ロイさん! 私のこと“登場させて大丈夫ですからね!”」
金色の髪を左右に揺らしながら、セレーヌの姿が小さくなっていく。入口を出たところまで見守り、博士に視線を移した。察したのか、博士が身体を起こし、こちらに歩いてきた。
◆◆
「大したものだな。作戦前とは大違いだ。お前の教育の賜物か」
博士はセレーヌと同じく俺の左に立った。
「俺は何もしてない。彼女が自力で学んだんだ。あれならエルキュール家の家紋がなくても問題なく生きていけるさ」
「そうだな」
博士は目を細めたかと思うと、墓石を見つめた。俺と同じように、右から左へと視線をずらしていく。
一通り見終えると、彼は口を開いた。
「ここ最近、お前たちのことをよく思い出している。デイビッドを除いてやんちゃ揃いだったからか、昔は世話を焼かされたものだ……ヴィンセントは出会った時点で大人だったが我が強かったからな。こうしていると、あいつらの死を実感するよ――もう、いないんだな」
唐突に語りだす博士に、俺は驚いた。探究心、好奇心の塊のような男から感傷的な言葉を訊いたのはこれが初めてだった。
「お前がいまの半分くらいの身長しかなかったとき、孤児院にいる子どもたちは私にとって研究対象でしかなかった。だが――」
まるで懺悔のようだ。
「親父やお袋は私を育てているとき、きっと“このような”思いだったのだろうな。お前たちが<五つ子>になると決意したとき、誇らしかった。同時に、自分の存在意義に懸けて、必ず成功させなくてはいけないという責任感があった」
<五つ子>を生み出すために犠牲となった人々が脳裏に浮かぶ。
「ラスト・コート作戦の案が持ち上がったとき、どうすればこの状況を変えられるか必死に考えた。だが、当時の状況を鑑みれば無理だった。<五つ子>を生み出した本人である以上、ろくに反論もできず、いざ終わってみれば“この通りだ”。黒にも白にも染まり切れなかった半端者……どうすればよかったのだろうな」
「俺たちは自分の意志で選んだんだ。あんたが気に病む必要はない」
「そう言ってくれるか」
「それに、作戦は“失敗”したしな」
博士が俺を見た。
「……ラスト・コートはできなかった」
「過程はどうあれ、俺たちの存在は明るみに出た。状況が巡り巡って、ガリムの鼻っ柱をへし折ったんだ。こいつらも痛快に思ってるだろう」
「違いない」
もう一度四つの墓石を見た。時代に翻弄され、犠牲になることを余儀なくされた英雄たちの名を。
「そういえば、なぜミレイユを助けた?」
博士が言った。
アルバーン中将に救出を依頼した後、ミレイユは別の病院に搬送された。いまはカニアの刑務所に服役している。彼女の四肢に移植されたデイビッドの身体はそのままのはずだ。
「あいつは俺の鏡だ。エルキュール大将のクーデターに賛同した場合の、俺の姿」
「情けをかけたのか?」
「かもな。だが、もし彼女を殺せば俺自身を否定することになると、そう思った」
兵士としての責務と純粋な思い。自分のふたつに意志に揺れ動きながら、俺は兵士としての俺を取った。ミレイユを手にかけるのは、もうひとつの自分を殺すことに等しい。己の心を否定し、隠すような真似はしたくない。
「……羨ましかったか。彼女の蛮勇が」
「否定はしない」
「時代に合わせて生きるのもひとつの勇気だ。自分を責めず、誇ってくれ。彼らもそれを望んでいるだろう」
目を閉じ、十年前を、今を、これからを思う。再び風が吹き顔を撫でる。木々と草がそよぐ音だけが耳に心地よく響いていた。
「これはもう要らないか」
声がして目を開くと、博士がポケットから何かを取り出した。錠剤だ。
「安楽死の薬か」
「ああ、どうするかはお前に任せる」
差し出された右の手の平からふたつの錠剤取り、俺は全力を込めて握り潰した。指を開くと、風と共に白い粉末が霧散していく。
ひとり残された俺には、やるべきことがある。




