清算
銀世界となったラスペン州の街を窓越しに眺めていると、子どもたちの元気な声が訊こえてきた。降雪の寒さなどものともせず敷地内の公園で遊んでいるのだろう。思わず顔が綻ぶ。
上体を起こそうとベッドに右腕を突いたがもう痛みは感じない。肩も、脇腹も、左耳もだ。枕を背もたれにして、窓の側の棚に置かれていた見舞いの品の中からリンゴを手に取る。赤く熟れた果実に、真ん中から思い切りかぶりついた。
一ヶ月ほどの期間だったのに、あまりに濃密な日々だった。
一連のクーデターは、反政府勢力が起こしたという括りで処理された。本来ならばロンバイル要塞に傭兵集団を送り込んだことについて糾弾されるはずだったが、制服を着ているだけでろくにチェックもせず内部へ通したこと。そしてアードラの連中へガリム政府が革命戦争当時に貸し出していた軍服を放置していたこと。ガリム側にも責任があった。
平和条約締結の前に波風を立たせたくないという思惑、今回の出来事には互いの不手際が大きく関わっていることもあり、けっきょく“引き分け”となった。
これらは秘密裏に処理されたが<五つ子>の存在は公表された。俺の見立て通り、トリアノン市、およびロンバイルでの戦いはその日のうちに新聞の一面を飾った。あまり言いたくはないが、タイミングが良かったと言わざるをえない。超人的な身体能力を駆使して戦う姿は、人々の目に勇姿として映り、人体実験で改造されたという話は小説に綴られた冒険譚のように英雄性を帯びた。病院に入院して一週間も経つと、毎日読んでいた新聞には<五つ子>に関する特集がよく目に映った。
関係者以外との面会は謝絶していたが、国の耳は別だ。俺が長らく勤めていた会社。編集長のカイさんから申し出があり、俺は受諾した。口に蓄えられた白い髭が勢いよくつり上がったのを見たときは恐怖を覚えたが、彼は突然の長期間休暇について俺を責めることはなかった。すぐにいつもの温厚な顔に戻ると、他愛もない世間話に花を咲かせた。記者だというのに、クーデターに関連した情報を何も訊こうとしなかった。自分から話し出すまで待っているつもりだろう。それが彼の優しさだった。
クーデターと言えば、エルキュール大将は、今ごろどうしているだろう。ギプスをはめておぼつかない足取りで向かったイーリス軍の軍法会議。上層部の人間はもちろん、軍の将校全員が集結した今回の裁判で、証人として俺が招致されるのは目に見えていた。彼のことを糾弾しながらも、立場や意志をなるべく尊重するよう話すのは想像以上に苦労した。人体実験を流用して<五つ子>のコピーを生み出したこと、クーデターを画策したことで当初は死刑が妥当だと見なされていたが、すべてはあくまで国のためであり、それが嘘偽りでないことは、彼自身が今まで打ち立ててきた功績が物語っていた。彼は最悪の結果こそ免れたが、死ぬまで自宅での軟禁生活を余儀なくされる。老い先短い残りの人生を監視されて過ごすのは、死ぬことより辛いのかもしれない。彼らに共鳴した軍属の者たちも自首し、事後処理は円滑に薦められた。
エルキュール家は貴族としての地位を没収、家財は必要最低限のもの以外すべて売り払われ、今回の戦火で被害を被った人々に充てられる。これらはすべて機密であり、当人たちは知る由もないだろう。大戦を指揮した英雄が裏切り者だったなどという事実を公表するわけにはいかない。
参考人として協力したクリストフ、および彼が率いるアードラは、イーリスの即応部隊に組み込まれるという条件と引き換えに恩赦を得た。恩を返すと言った彼に、俺が持ち掛けたのだ。彼らは今回の戦いで損害こそ出したが、両国のどちら側の人間も殺していなかった。だからこそ、イーリス軍内部にも大した反論はなかった。アードラは革命戦争を経験したベテランの集まりだ。きっとこの国の力になってくれる。
勢いよくリンゴを食べていると、ふと口内に痛みが走った。シオンの強烈な平手打ちによる傷だ。
「やっぱり間違いじゃなかった」
五日前。ベッドから上体を起こした俺を見て、シオンはそう言った。革命戦争中、衛生兵として俺の身体を診たときに発した言葉を思い出した。
――あなたはまるで、私たちとは“異なる戦場”へ行っているように感じます
まさか怪我人に向かって平手打ちをかますとは思いもよらず、俺は患部を手で押さえながらただ彼女を見つめていた。シオンの顔は、うれしいんだか、悲しいんだか、怒っているんだか、まるでわからない、さまざまな感情が入り乱れていた。すぐ隣にいたレアールを交え、俺の過去、立場をすべて話した。ひとつの内容を伝え終えるたび、心の重荷が軽くなっていくようだった。時代から拒絶され、仮面を被って生きていた自分が認められるような思いだった。ふたりは驚きこそしたが、<五つ子>としての俺を受け入れてくれた。存在を秘匿するために戦ったのに、その結果広く知れ渡ることになるなんて、とんだ皮肉だ。
ふたりがトリアノン市にいたのは、イーリス兵に案内されたかららしい。俺が来ることを知っていたようだが、それを知っているイーリスの兵士は関係者以外いない。ともすれば、そのイーリス兵は何者なのか、自然と答えは見えてくる。反政府勢力の仕業だろう。
人質にはならず、そのまま正規軍側へ行くよう促されたらしい。ミレイユは俺をふたりに見せたかったのだろうか。仮面を剥ぎ取った、俺本来の姿を。
物思いに耽っていると、病室のドアから短い音が訊こえた。少しの間を置いて扉が開き、茶髪の看護婦が姿を現す。
「カリーナ、今日でお別れだな」
「はい。あっという間のニヶ月でした」
「本当ならとっくに退院してるはずなんだけどな」
「運び込まれてきたときは全身血まみれで驚きましたけど、もうすっかり元気ですね」
ミレイユとの戦闘後、担架で輸送車へと運び込まれた俺は、ここラスペン州立病院に入れられた。
本来ならニ、三日で元通りの身体になっているはずだった。だが、身体にできた銃創、裂傷、骨折は想像以上にひどく、<五つ子>の治癒力をもってしても回復が遅れるほどだった。全身の弾丸を摘出され、然るべき処置を施された後、今日にいたるまでここで英気を養っていた。適度に体を動かしてはいたが、激しい運動は禁じられているせいですっかり鈍っている。
「十二時ちょうどでしたよね?」
「そうだ。あと十分くらいか」
病院を退院した後、家に帰る前にやるべきことがある。上層部の連中に帰還報告をせねばならない。俺の怪我を考慮された結果、報告書だけで構わないと言われたが、上層部メンバー全員を集めてほしいとアルバーン中将に話したのだ。
紙っぺらだけで済ませるものか。
リンゴの芯をゴミ箱に放り込み、カリーナが持ってきてくれた服に着替える。白い患者服ともおさらばだ。新調した服はイーリス軍の制服。俺は“まだ少佐”なのだから当然だろう。カリーナの案内で病室を後にする。長い廊下を歩いてロビーへ。自分の手術を担当してくれた担当の先生、世話をしてくれたカリーナに改めて礼を述べ、玄関のドアを開けた。
灰色に伸びる道のさきにはすでに軍用車が止まっていた。エンジン音が曇り空に響いている。
「ロイさん。一ヶ月ぶりですね」
車の側には軍服を着たセレーヌが立っていた。後ろでまとめ上げていた金髪を垂直に流している。作戦前とは顔つきがまるで違う。引き締まっていて凛々しい。
「ああ。元気そうでよかった」
笑顔で出迎えた彼女にドアを開けられ、助手席に乗り込む。運転は彼女がするようだ。
「長旅になるな」
「到着は夕方か、あるいは夜になりそうですね」
「できるだけ遅く行こう」
「どうしてです?」
「“奴らに律儀なことはしたくない”」
彼女は笑った。
「上層部の方たちなのに」
「だからだよ。どうせ具体的な時間は決めてない。これは俺からの“お返し”だ」
作戦はまだ終わっていない。彼らと話し、この長い旅を締めくくろう。
ひと際大きい音を立てながら、セレーヌはカニアを目指してアクセルを踏み込んだ。
◆◆
イーリス上層部の会議室は首相官邸の最上階にある。木製の円卓には五つの椅子、五つの名札が用意されていて、正面の壁にはイーリス全土が描かれた地図、左右には国旗と軍旗が立て掛けられている。地政学、経済学、歴史といった専門書が置かれた棚が左右に長く伸びていた。その上には、これまで首相を務めた者の肖像画が金色の額縁に入れられ、黙って室内を見守っている。円卓は可変式で、いまは三日月のような形で配置されていた。わざわざ形を変えたのは、俺たちがここまで出向いてきたからだ。国の方針に最終決定を下す五人の男。権力を握る者たちの前に、俺とセレーヌは立っている。彼女は遠慮していたが、この場にいる権利がある。そう言ってここまで連れてきた。セレーヌはこうしているあいだも緊張のせいか、身体がわずかに震えている。窓の外の景色は暗く、日が暮れてから時間が経っていた。
「さて――」
厳かな空気を破ったのはウェントだった。
「報告を訊こう。ロイ少佐」
「<五つ子>は自分を除いて全員死亡。反政府勢力を裏で率いていたエルキュール元陸軍大将を拘束し、トリアノン市、ならびにアードラに乗っ取られたロンバイル要塞の制圧に成功。ラスト・コート作戦は、無事完遂しました」
「ご苦労だった」
エルディー大佐が言った。親友が黒幕だったことは衝撃だっただろう。しかし、ニヶ月を経た彼の顔は以前と変わらなかった。
「この度の功績を称え、君を陸軍大佐に昇格させる。私と同じだな」
“二階級特進”か。
「そして、君は明日の午前零時をもって一般人に戻る」
再び沈黙が流れる。
「作戦が始まる前、お前に渡したい物があると言ったな」
博士が言った。カニアの中央公園で博士と話した際、そのようなことを言われたのを思い出した。
「ああ」
「中枢神経の活動を弱めて心肺停止状態にさせる、いわば安楽死の薬だ。だが、お前の存在が世間に認知された以上、死ぬ必要はない。ガリムはこちらに対する切り札を失った。むしろ、死刑になれば国民は反対するだろう」
「俺はこのまま生きていられるということか」
「そうなる」
俺は左右の手を思い切り握りしめる。<五つ子>の存在が明るみに出たことで、死ぬ必要がなくなったと言うのなら――
「俺は“四人に”なんて言えばいい? お前たちを殺したが、俺だけは運よく生き延びられました、とでも?」
博士の顔が曇る。
「反政府勢力に与している以上、いつかは手を下さなければいけなかった。そのタイミングが、いまだったということだ」
「ならあいつらと話し合う道もあったはずだ」
結果論だ。そんなのは自分でもわかっている。ラスト・コート作戦が始まった時点では、<五つ子>は国の最高機密であり、公になるなんて誰も思っていなかった。そもそもそれを阻止するための作戦だったのだ。
「“戦死した”四人も二階級特進。遺体はカニアの国立墓地に埋葬されている。我々はすでに献花を済ませた」
論争になる空気を察したのか、アルバーン中将が言った。
「銃器はどうする? 希望するならお前が保管してもいい」
「……お願いします」
いっそのことこの場で俺を軍から除籍してほしかった。そうすれば、“事情を知る一般人”としてこの場でいくらでも文句が言えたというのに。
何も語らず、上層部の面々をひとりずつ見ていく。雄弁は必要ない。俺が直接出向き、こうして対面していることが重要なのだ。
忘れるな、この顔を。
「……自分からの報告は以上になります。私はこれで」
俺は踵を返した。セレーヌも後に続く。
「ロイ」
振り返ると、ウェントが席を立っていた。
「エルキュール元大将の情報漏洩を逆手にとって、私たちはガリムが我が国を脅迫していたという“噂”を証拠つきで流すつもりだ。これからの外交で優位に立ち回りやすくなるだろう。これからは武力ではなく、外交を主力に戦うつもりだ」
ほかのメンバーが驚いた様子でウェントを見つめていた。おそらく上層部の会議で決めたことなのだろう。それを話すのは、彼なりの謝罪なのか。
「外交で済めば血が流れることもない。きっと、この綱渡りのような十年が、平和な時代が続く。いや、続けて見せる。リーダーとして、まだ見ぬ世界へ向かおうとするイーリスを導くために努力するつもりだ。頼りないかもしれない。つまづくかもしれない。力に救われるときがくるかもしれない。それでも、いまは見ていてほしい。私たちの足掻きを」
「やっぱり無理でした、なんて言ってみろ。官邸に乗り込んで、その頬に拳をお見舞いしてやる」
セレーヌを連れて会議室のドアへ向かう。取っ手に手をかけた瞬間、扉の装飾品が反射し、こちらを見つめているウェントと目が合った。




